Focus(フォーカス)
2003
Universal 980 829-0(UCCS-1044)

 あるソプラノ歌手(アジア系)によるミュージカルのアルバムを買って聴いたことがある。彼女はミュージカルのナンバーが大好きで、いつかレコーディングすることをずっと夢見てきたが、歌手としての知名度を上げるのが先決であると考え、クラシック畑での活動を積み重ねることによってオペラ歌手としての地位を確立した。今ようやくその願いが叶って自分は嬉しくて仕方がない。たしかそんな内容だったが、ブックレット表紙裏に載っていた文章からは喜びが滲み出ていた。ところがいざ再生してみたところ、歌唱はやたらと仰々しく(入れ込みすぎ?)、ただ譜面通り歌っているだけでミュージカルらしいノリの良さはまるで感じられない。落胆は大きく直後に手放してしまった。本人の希望と適性とは必ずしも一致しない。よくある話である。(キリ・テ・カナワにもそういうところが少なからずあるものの、はるかにマシである。この種の企画ものではシュヴァルツコップが抜群に上手かったし、現役ではアンネ・フォン・ゾフィー・オッターが傑出している。とはいえ、彼女たちが魅力ある歌唱を聞かせていたのはオペレッタだった。「餅は餅屋」という言葉もあるのだし、ミュージカルはサラ・ブライトマンあたりに任せておけばよいと思うのである。)
 さて、こんな前振りを置いたからには、きっと当盤にも同じことが言いたいのだろう。そう思われた方、実に鋭い!
 1994年にポンテスはエンニオ・モリコーネ作曲の映画主題歌 "A brisa do coração" を歌った。(なお、翌年5月6日のコンサートを収録した同名の2枚組ライヴ・アルバムが発売されている。「ア・ブリーザ・ド・コラサン〜心のそよ風」という邦題の国内盤もリリースされているが、ライヴを敬遠するという基本方針のため私は手を出さない。)日本語解説によると、モリコーネは「いつか君と一緒にレコードを作りたい。でも、少なくとも君が30歳になるまではお預けだ」とポンテス(当時まだ20代半ばだった)に語ったらしい。それから8年後に実現したのが当盤の録音という訳だが、作曲家は歌手のために自信作を揃えたらしい。彼の招きでポンテスはローマに飛ぶ。「一緒に仕事をすることができて本当に素晴らしかった」と述べていた彼女にとっても、それは待ち遠しいものであったに違いない。つまり両者にとって願ったり叶ったりの舞台である。まさに機は熟した。さぞかし素晴らしい作品ができあがることだろう。(ちなみに当盤の解説は横堀朱美が執筆している。クラシック関係にも寄稿しているため私にとっては馴染みのあるライターだが、ここでの出来もなかなかに良い。が、過去3作に携わってきた中川が外れたのは何故だろう。あの名解説が読めないのはちょっと寂しい。)
 ここまでは感動的ストーリーなのだが、以後は残念ながらそうではない。ここで結論を言ってしまえば、当盤を聴いてもまるで感動できなかったのだ。購入後しばらくして感想を例のMさんの掲示板に書き込んでいる。

 ポンテスの新作「フォーカス」、完成度はひじょーに高いですが
 ちょっとゴージャスすぎて私は敬遠してしまいます。
 高価なブランド品をいっぱい身に付けたからといって
 必ずしもお洒落というわけではない。(怒られるかな?)

そういえばKさん主催BBSのご常連Yさん(相当なポルトガル音楽通)は、全く自分の好みではないとコメントされていた。確かに当盤収録の14+1曲にはポルトガルらしさが極めて希薄である。それは同国の音楽へのこだわりのない私にとっては別に構わない。また、ある歌手が異ジャンルの音楽に手を出していても、それを理由にダメ出ししたりはしない。本業よりも高く評価できた作品はいくらでもあるから。要は内容次第である。
 で、その中身であるが、モリコーネの音楽は質が非常に高いことを認めざるを得ない。(でなければ世界的名声を得ることはできなかったはず。)ただしトラック2 "A rose among thorns (The Mission)"(邦題「一輪のバラ」、映画「ミッション」のテーマ)にだけは文句を付けておく。南米のパラナ川上流域(現在のパラグアイ付近)を舞台にしているらしいが、そんな要素はどこを聞いても出てこない。明らかに無国籍音楽である。(パ国関係ということで派遣前の訓練中に観る機会が与えられたが、映画に全く関心のない私は結局見逃してしまった。今もってどんな話か知らない。)戻って、ポンテスの方も例によって見事な歌唱を聴かせている。にもかかわらず「どうもしっくりこんなぁ」で終わってしまったのだ。
 理由をあれこれ考えて思い付いたのは以下の2つ。まずは私がモリコーネの作品を聴いてもほとんど心を動かされないということ。2000年に世界的大ヒットとなったフィリッパ・ジョルダーノの同名アルバムのためにモリコーネが1曲書いている。が、それは全収録曲中で最も印象がパッとしなかった。野球に喩えたらボテボテの内野ゴロである。(その次からのジャコモ・サルトーリによる3曲が大ホームランで、オペラ等のポップス風編曲はシングルヒットからツーベースといったところ。ちなみにサルトーリはアンドレア・ボチェッリの出世作 "Con te partirò" ─ 全世界で2500万枚以上売れたというブライトマンとのデュエット "Time to say goodbye" の方が有名だが─ の作曲者である。)一方、ポンテスの方も英語曲(全部で5曲)では字余り感が凄まじく、例の情緒的な節回しが裏目に出ているようだし、不自然な発音にはしばしば辟易させられる。また、それぞれ1曲ずつ収録されているスペイン語曲 "Luz prodigiosa" とイタリア語曲 "I girasoli" についても、前者は西語本来の歯切れの良さが全く感じられないし、後者は伊語特有のネチっこさが度を超していると聞こえる。(これは歌手よりも作曲家の罪だとは思うが。)それ以前に、豪華絢爛たる伴奏の弊害がモロに出ているとしか思えない。それに対抗するためには大袈裟な歌唱に終始するよりなく、結局自由度を奪われたポンテスは真価をほとんど発揮できないまま終わってしまった感がある。そういえば、彼女はボチェッリの2ndアルバム "Sogno"(1999年、邦題「夢の香り」)の4曲目 "O mare e tu"(邦題「海とあなた」)でゲスト参加していたが、そこでの印象もサッパリだった。"Lusitana" のようなポップスなら問題は生じないが、重厚な映画音楽ではグロテスクさのみが強調されてしまうのも致命的かもしれない。(なお、ボチェッリの歌自体がデビュー盤 "Romanza" よりも低調だったため、"Sogno" は間もなく中古屋行きとなった。)
 ということで、「作曲家と私」「歌手と音楽」という2種類の相性の悪さが当盤の低印象の原因であると結論した。モリコーネはこれらの曲を他の誰かに献呈するべきだったのだ。適当な歌手がカヴァーアルバムを出せば聴き手の多く(私は除く)に感銘を与え、ミリオンセラーとなっていた可能性もある。ちょっと勿体ない気がした。
 最後に採点だが、曲が80点、歌が80点、両者を掛けて64点(0.8の二乗)としておこう。(←どういう計算しとるんや!)

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