歌さがし〜リクエストカバーアルバム〜
2007/11
ビクターエンタテインメント VICL-62660

 多忙な大歌手がこんな過疎サイトを閲覧しているはずもなかろうが、夏川が休養後に初めて発表した本作は、まさに私が "Single Collection vol.1" 評で述べた通りの、すなわち「既存の曲の魅力を引き出すこと」を専ら意図したと思しきアルバムだったので少なからず驚いた。(ついでながら、ジャケットおよびケース裏の写真にはさらにビックリした。明らかに体型が変貌し、当方が歌手紹介ページなどでしつこく触れた「巨大化」など何処吹く風といった感がある。おまけの「オフィシャルファンクラブサイト入会案内」に掲載されていた過去画像とのギャップも凄まじい。おそらく自らに相当厳しい歌の修行を課していたのであろうが、その副産物かもしれん。)サブタイトルにも示されているが、何でも「2000曲におよぶリクエストの中から選ばれた珠玉の14曲収録」ということである。ただし、私はどういう訳か「CDジャーナル」の新譜紹介を見落としてしまったらしい。リリース情報を得たのは年が明けてからのことであった。その時点で即座に買い決定。生協に注文しても良かったのだが、ヤフオクでチェックしたところ複数が出品(うち数点はサンプル盤横流し)されていたので、そちらからの入手を試みた。ところが新譜ということで予想外に高騰したため連敗。ようやく3度目にして新同中古を落札できたのだが、諸経費(送料&かんたん決済手数料)も含めると結局は生協組合員価格(15%引き)と60円しか違わなかった。が、それも承知の上。ギリギリ安上がりとなる自動入札額を設定したのはYahoo!ポイントが結構貯まっていた(註)からであり、そのため持ち出しは300円程度で済んだ。(註:最近は手数料のかからないイーバンク銀行対応の出品者の割合が増えており、かんたん決済利用時にポイントを使う機会はめっきり少なくなっている。)
 ところで当盤はiTunes Storeからも購入可能である。ただし、(人気歌手の新作では珍しくないものの)トラック当たり200円、アルバム単位で買うと2000円という高めの価格設定である。さらに、この「配信スペシャル盤」には "蘇州夜曲"(製品版のトラック9)が入っていないため収録曲数が一つ少ない。なんでや? また、ボーナストラックも初回限定盤に加えられている「花〜Live at 浜離宮朝日ホール」ではなく「涙そうそう〜Live at(以下略)」である。おそらく同じコンサートからの収録と思われるが、やはり別曲を採用した意図が全く不明だ。
 さてさて、カヴァー集のためか、このCDには夏川のアルバムとしては珍しく(少なくとも私が手にした中では初めて)歌詞掲載のブックレットだけでなく解説と曲目紹介を記した四つ折りの紙も入っていた。執筆者は能地祐子という初めて目にしたライターだったが、平易な日本語でありながら内容は充実というなかなかに優れものの付録である。そこでは歌手へのインタビューについても触れられている。どんな基準でカヴァー曲を選んでいるのかという能地の質問に対し、「言葉ではうまく説明できない」などと言いながら少し困った表情を浮かべた夏川は、以下のように答えたということだ。

 「聞いた瞬間、なぜか“この曲は絶対に歌いたい!”と、思うんですよね。」

なるほど。その典型が歌手の代名詞ともいえる「涙そうそう」であるのは能地も指摘している通り。やはり夏川は優れた曲を見つけ出すことにおいて並外れた「嗅覚」を持っているということであろう。(ただ私としては時に狂うことがあるような気もしないでもないが・・・・)ということで、(少々強引な展開ながら)この意欲作については1トラックごとにガチンコで採点を試み、その平均値をもってアルバムの得点とすることにした。(←なら今までのはヤラセかい?)
 トップバッターの「時代」は中島みゆき作詞作曲。2ndシングル(1975)として発表され、今も彼女の代表曲に挙げられているらしい。とはいえ、「らしい」と書いているように実のところ私はよく知らない。曲名とメロディが一致するのは、メルセデス・ソーサのページで触れた「わかれうた」と「悪女」(もっとも後者は記憶の風化により歌詞出だしの「マリコ」を曲名と錯覚)、そして(NHK以外のテレビ局でも散々聞かされた)「地上の星」ぐらいのものである。たぶん通しで聴くのは当盤が初めてのはず。(余談ながら、冒頭の「今はこんなに悲しくて」以下のメロディが2番を歌い終わって反復に至るまでの経過句のように聞こえるため、元ディアマンテスの千秋が「童神」のカヴァーで打って出たのと同様の奇襲戦法ではないかと私は当初思った。だが、調べてみれば全然出だしっぽくない出だしは元々だったと判明した。)6分12秒という相当長いトラックだが、最後までダレないのは原曲、編曲、歌唱の全てが優れているからに他ならない。(ここでアレンジャーについて述べておくと、既所有盤で目にした2名、すなわち京田誠一および吉川忠英は参加していない。15トラック中、ジャズ、民謡、ボーナスの「花」を除く12については古川昌義と井上鑑が半分ずつ担当している。うち前者によるピアノとギターを中心としたこの曲の伴奏は非常に上品だが、それは当盤の全収録曲についても当てはまる。器楽部はいずれも上出来であり、歌手のサポート役としては文句の付けようがない。)ただし、気怠さが漂ってくる声と歌い方を持ち味とする中島のオリジナルの方が曲との相性という点で僅かに上回っているのではないか、と思われたため(実際には聴いていないから想像ながら)1点引く。99点。
 2曲目「花咲く旅路」には、しばらくの間「これって夏川の持ち歌じゃなかったっけ?」などと首を傾げてしまった。もちろん当方の勘違いで、どうやら「花になる」(「夏川りみ」名義による2ndシングル)と曲想が近いのが原因だろうと納得したが、他にも「赤花ひとつ」(「てぃだ〜太陽・風ぬ想い〜」収録)や「愛よ愛よ」(8thシングル)あたりとも似ているような気がする。(ちなみに4曲全てがハ長調を採用している。)正しくは原由子(サザンオールスターズ)の3rdアルバム収録曲で作詞作曲は桑田佳祐である。解説の「日本的でもありアジア的でもある」はよく解らないが、とにかくメロディに何ともいえぬ親しみを覚えるのは間違いない。(本作のカヴァーに対する「沖縄メロディ風の味わいを強調した歌唱」はさらにワカランのでノーコメント。なお2番が終わった直後、2分40秒からピアノパートにビートルズの "Let it be" からの引用が聞かれるが、これは原のオリジナルにあったものを継承したのだろうか?)ここから脱線。正月休みには吉田秀和の「私の好きな曲」(ちくま文庫として久々に復刊)を読んでいたが、そのドヴォルジャーク(註:吉田が常にこう記し、こう発音するのは原音に近いからだろう)の交響曲第8番の項では、第2楽章のアダージョの歌についてこんなことが書かれていた。

  これは、完全に民謡といってもよいような、おおらかで、のびのびと
 くりひろげられた歌である。だが、かつて、誰がこういうふしの緩徐楽
 章を書いたろうか?
  だがまた、このふしをきくと、どんな人だって、これまできいたこと
 がないくせに、どうしてもはじめてきいたような気がしないのではない
 だろうか?
  すっかり馴れ親しんでしまって、今さら何の刺激もないというもので
 はない。むしろその反対に、いつも新しく、新鮮な印象を与えるのだが、
 しかし、けっしてよそよそしさを覚えさせないもの。
  私たちのまわりの「自然」とは、そういうものではないだろうか?

そういうのがこの曲であり、あるいは(私が「南風」評にて考察したように)「涙そうそう」なのである。というより、ヒット曲というのは大抵みなそうである。オリジナリティの感じられないものは当然ペケ。といって、その追求のみに終わっているような自己満音楽はもっとダメ。それを理解しているからこそ、桑田はニューミュージック界の第一人者としての地位を長年にわたり保ち続けていられるのであろう。(これって他ページで紹介した批判と逆のことを言っているような気も。)戻って、夏川の歌唱は完璧。サビの「咲く紫は旅路を彩る」の出だし「ミソラドレーレードー」における高音への駆け上がりには胸がすく。ところが直後の「レド(下がって)ミーソレミミレドー」の印象はイマイチ。メロディの詰めが甘いというか画竜点睛を欠いているためである。歌手の責任ではないが、やはり99点。
 3曲目は「秋桜」(コスモス)、山口百恵の歌により当盤収録曲中では数少ない(というより唯一の?)リアルタイムで聴いた曲である。今度は山口についてグダグダ書く。これといった思い入れは全くない。1973年デビューということだから、入れ上げていたのは私より少し上の世代であろう。(中学時代を思い返してみれば、圧倒的に人気があったのはピンク・レディーでキャンディーズが少数派だったような。個人についてはよくわからない。)歌唱力にしても(あるいは結構上手いと評価されていたのかもしれないが、)私の耳にはプロとして活動するに最低限のレベルを何とか備えているという程度である。また、Wikipedia掲載のシングル曲一覧を眺めても、松田聖子ほどの名曲揃いとは思われない。たとえばデビュー曲の「としごろ」はどう聴いてもしょーもない詞と音楽だし、相当ヒットしたらしき「横須賀ストーリー」や「プレイバックPart2」にしても良さがサッパリ解らない。しかしながら、この「秋桜」や「いい日旅立ち」は滋味溢れる名曲だと昔も今も思う。(それらよりだいぶ落ちるが「しなやかに歌って」が3位か。)さだまさし、および谷村新司による自作自演の方が断然素晴らしいと考えてはいるけれど。
 オリジナルを知っているため、はからずも聴き比べ(新旧対決)となってしまったこのトラックだが、結論から言えばまるで勝負にならない。山口より高いキーで歌っている(註)ことにより鮮烈な印象を与えるに留まらず、声の伸び、キレ、表情づけ、何を取っても夏川の方が圧倒的に上、5回コールド勝ちである。(註:2人の声質の違いを考慮しても極めて妥当な上方への移行といえる。私の脳内チューニングより少々高いような気もするが、たぶんヘ短調よりは演奏しやすいホ短調であろう。ただし本当に調にまで差異があるのかは確認できていない。iTunes Storeには山口版が置いていなかったからである。なお、ついでに検索結果のいくつかを試聴したところ、Hで始まる女性歌手 ─数年前にクラシックの人気管弦楽組曲の第4曲に詞を付けてヒットさせた─ のカヴァーは実に酷かった。反吐が出そうなほどに。またかつての人気歌手N (以下同) によるそれも多少マシとはいいながら全く冴えがない。)特にサビが凄い。というかヤバい。「こんな小春日和の穏やかな日は」の終わりの「ラーソーファーミ#ーファーソラー」は、それ自体がドキッさせられるような音型だが、さらに夏川のシャープな声で歌われるのだから聴く側は超弩級のインパクトを受けずにはいられない。やはりホ短調の「哀愁効果」(?)は絶大である。(ブラームスの交響曲第4番やショパンのピアノ協奏曲第1番を思い起こしながら今これを書いている。)久しぶりにこの言い回しを使うはずだが、紛れもない「鳥肌もの」である。夏川があと20年ほど早く生まれていたら、ってこれは既に "Single Collection vol.1" のページに書いてしまったから以下は省略するとして、わが国にこのような素晴らしい歌手がいることを私は心底から誇りに思う。(普段から「愛国心」という言葉には胡散臭さを感じ、時に過剰反応することもある私だが、こういう場合には別である。以下暴走:豊かな自然に恵まれた国土を愛しているゆえ、それを守るための必要条件として日本人が米をもっともっと食べてくれることを当方は強く願っている。自給率の低い小麦による製品を毎朝食べているようではダメだ。まして水田に平気でゴミを投げ込むような外道には「国家反逆罪」の咎により厳罰を処すべきである。)ここは掟破りを承知で105点を付けてしまおう。(後で辛い点を付けざるを得ないトラックが出てくるから今の内に貯金するぞ。)
 次は「涙そうそう」つながり(作詞者の息子がヒットさせた)という訳ではなかろうが、「さくら(独唱)」である。私がよく知っている「弥生の空は〜」とはもちろん別物である。ライナーでは「“桜”ソングブームの先駆けとなった」と紹介されていたので、私は「もしかするとあれかな?」と思った。それはサビで「さくら、さくら、さくら・・・・」と連呼される軽快テンポの曲で、毎週のように足を運ぶ業務用食材の販売店がBGMとしてよく流していたため耳にこびりついてしまったのである。だが、それとも異なっていた。(既に当サイトのあちこちで述べてきた通り、私は90年代以降の歌謡曲 ─今ではJポップに分類されるのだろうが─ については、ほとんど何も知らないに等しい。夏川以外のアルバムを通して知ったものといえば、沖縄関係コンピレーション盤の収録曲あるいはTHE BOOMの「島唄」ぐらいだろう。)そして、「これはイマイチやなー」と思わずにはいられなかった。メロディが全ての元凶である。個々のフレーズはどれも平易で取っ付きやすいといえるのだが、それらの接続がまるで良くない。時に唐突、時に強引。その結果、美しいと聞こえるところもない訳ではないのだが、全体としては凡庸な仕上がりに終わっているのは言を待たない。(何よりもサビが尻すぼみなのは痛い。作曲の腕は以前批判したしゃかりとどっこいどっこいではないか?)もっと言えば、出来合いのパーツを寄せ集めてきただけとすら思えてしまうのだ。先の「花咲く旅路」とは対照的に何かの二番煎じ、いや出涸らしとすら評したくもなってくる。80点。
 続いてコブクロによる「忘れてはいけないもの」。長いこと焼肉屋のメニューから取ったと思っていたが、グループ名は単に2人の姓(小渕&黒田)を合成しただけと今になって知った。それはともかく、小渕の手になるメロディはかなり意外性および独創性を感じさせるものだが、決して独り善がりには陥っていない。曲調が私の好みとは合致しないことを差し引いても95点は与えられる。
 6曲目は字面から夏目漱石を思い起こさずにはいられない「こころ」であるが、解説によると「夏川同様“歌さがし”の旅を続けている」らしき作曲者の沢知恵は韓国系(日本国籍)の人らしい。また、ここで歌われている日本語詞(元は韓国の詩)は著名な文学者であった彼女の祖父、金素雲(キム・ソウン)が訳したということだ。でもそんなの関係ねー。内容さえ良ければ。(音楽を語る際に国籍や国境などはなるべく持ち出したくないものだ。もちろん国民性や民族性は別である。)で、実際にギター、ヴァイオリン、チェロの落ち着いた伴奏による夏川のしっとり歌唱は素晴らしいの一言に尽きる。ただし、(ここで「箸休め」的な曲を挟むという狙いはあったかもしれないが)もうちょっと華が欲しいという贅沢な不満は抑え切れない。これも99点。
 発表時よりも後に知ったとはいえ、「秋桜」以上に忘れようのない「なごり雪」が続く。言わずと知れたイルカ最大のヒット作である。夏川の歌に非の打ち所がないのは事実。2番の出だしのフレージングを「うごきはじめたーきしゃのまどにー」としているのも好ましい(イルカの「夢の人」評を参照)。だが、声域の違いからやむを得ないとはいえ、キー設定が高すぎる(私にはイ長調に聞こえる)ためか、サビの「春が来てー」の「はる」あたりが浮ついて聞こえてしまうのは惜しい。またイルカ版(ヘ長調)よりもノスタルジックな雰囲気が減じているような気もする。そもそも当時のイルカですら(失礼)歌いこなせたほどの平易な曲である。超絶的技巧の持ち主では必然的にオーバーフローしてしまうということかもしれない。97点。
 トラック8「キセキノハナ」のライナー中に出てくるLyrico(歌手&作詞者)については、情報はおろか名前すら目にも耳にもしたことがなかった。が、「荘厳さスケール感に満ちたアジアン・バラード」という紹介文に偽りはない。導入部と展開部それぞれのメロディがともに魅力的だし、両者の接続もスムーズそのもの。徐々に厚みを加えていく器楽部も素晴らしい。(またしても四つ前のトラックを持ち出したくなったが自粛する。そういえば、これと「こころ」でヴァイオリンを弾いている奏者は「クラッシャー木村」という人を食ったような名だが、もちろんアンサンブルを崩壊させるような乱暴狼藉は働いていない。)ところで、サビの「10年先も」の「も」は相当な高音で、夏川がそれを問題なく出しているのは当然として、これは原調通りなのだろうか? そうだとしたらオリジナルの方もかなりの実力者ということだから少しばかり気になる。それはともかく、上方移調(変ロ短調→ハ短調?)した後のリフレインでも歌手は「も」を完璧に(裏声に逃げることもなしに)出している。ノックアウトされた。「日曜喫茶室」出演時に彼女が挙げていたマライア・キャリーやセリーヌ・ディオンにも全く引けを取っていない。実は「好きな歌手」というよりライバル視しているのではなかろうか? そう私に思わせたほどにも圧倒的名唱である。ここは無難に100点を付けておこう、と最初は考えていたが上乗せして102点。
 続く「蘇州夜曲」は昭和歌謡の父、服部良一の代表作であり、「支那の夜」という映画(1940年)の劇中歌として使われたらしい。私の耳には次曲の方が古風と響いたのはご愛嬌だが、もちろんこっちが当盤収録曲中では最古である。キーボードを駆使した現代的アレンジのため時代がかっているようには聞こえない。また、異国情緒を付加するために採用された中国の伝統楽器、二胡が大活躍している。間奏部で沖縄民謡「てぃんさぐの花」を弾いているのは魅力的だ。だが、時に夏川の歌に被さってくることがあり正直耳障りだった。これは聞き逃せぬ減点対象。98点。
 次の「少年時代」は井上陽水が作って自分で歌いヒットさせたらしい。もちろん彼は知っているが、曲は全然知らなかった。発表年(1990年)に私は日本にいなかったのだから無理はない。(そもそも井上の作品を私はほとんど知らない。数少ない例外として今思い付くのは84年の「飾りじゃないのよ涙は」と「いっそセレナーデ」ぐらい。うち前者は先述のNの歌唱よりも断然上出来である。そういえば、何かのラジオ深夜番組にて「堅気じゃないのよヤクザは」というペンネームの方が投稿よりウケたことがあったと思い出した。余談ついでだが、大学時代には「わたしは哭いたことがない」と麻雀中に口ずさむ輩が結構いた。いま「わたしは哭いたことがない。ポンもチーもカンもしていない。哭きたいとは思ったけども、食うと役が一翻下がるので我慢した。」と即興で詞を作ってみた。ちゃんとメロディに乗るかは自信がないが、あの能條純一作の漫画の主人公に聞かせてやりたい台詞だ。)メロディの良さという点では当盤中で一二を争うのではなかろうか? さすがである。この何ともレトロな感じの音楽を聴けば、実際より数十年も前に流行したと聞かされても信じてしまいそうだが、解説でも「戦時中のノスタルジックな田園風景をイメージさせる原曲」と述べられている。それに「ゴスペル風味もたたえたファンキーなアレンジ」を加えたのが当盤のカヴァーとのこと。つい浮き浮きしてくるような造りだが、印象は決して悪くない。というより隙が全くない。よって100点。
 前曲からの流れなのかは知らないが、同じくリズムが小気味よい「'S wonderful」が続く。当盤収録曲では唯一のジャズ。Ira & GeorgeのGershwin兄弟による共作(兄が作詞、弟が作曲)である。これも悪くない。が、既に彼らによる十数曲もの歌曲を(キリ・テ・カナワのアルバム他で)知っている私としては「他に選択肢はなかったのだろうか?」と言いたい気分だ。これも完成度は(英語発音を含め)申し分ないのだが・・・・最も知名度が高いと思われる "Summertime"(元は歌劇 "Porgy and Bess" のアリア)は、さすがにオペラまたはジャズの唱法を十分マスターしなければどうにもならないだろう。だが、酒場などで歌うことを念頭に置いて作られたものなら何であれ技術的困難はないはず。(ただし "I got rhythm" あたりは賑やかすぎて歌手の芸風とは合わないかもしれない。)そう考えてみれば、"Somebody loves me" や "The man I love" などの方がはるかに聞き映えがしたのではなかったか? うち途中で曲調がガラッと変わりドラマティックな後者は、実は私がいちばん好きだったりする。惜しいなあ! 95点。
 坂本九の代表作「見上げてごらん夜の星を」が12曲目。坂本といえば日本のみならず世界的な大ヒットとなった「上を向いて歩こう」の方が有名だろう。(ところで、ja.wikipedia.orgでの同曲解説によって初めて知ったことがいくつかあった。「SUKIYAKI」というタイトルで発売されたのは英国が先で、後にビルボードで1位にランクされるほど米国でヒットしたとのこと。またベルギーやオランダでは、それをも下回る「忘れ得ぬ芸者ベイビー」というトンデモ改題がなされ、カヴァーでは詞までが改竄されてしまったらしい。かつて黛敏郎が「題名のない音楽会」で糾弾していたのはそれらと思われる。)実は私も大好きな曲で、夜道を自転車で走っている時に口ずさんだりする。もちろん涙がこぼれたりするようなことはないから、前方はしっかり見ている。ちなみに、これはテレビかラジオの番組で紹介されたと記憶しているが、「うーへーをむふひて、はぁーるこーほーほーほー」(←某音楽評論家をコケにしているのではない、念のため)のように母音の前に“h”が付いているように聞こえる坂本の歌い方が、当初永六輔(作詞) or 中村八大(作曲)には非常に気に入らなかったというエピソードを思い出した。そこで調べてみたら、「俺の詞を台無しにするな!」と怒ったのは永の方だが、幼い頃から長唄を歌ってきたためであると歌手の母から説明され、納得したらしい。確かにあの節回しは独特である。そして、余人には到底真似のできない名人級の崩しである。それをわきまえているから私は素直に歌うことを心懸けている。おっと脱線が過ぎた。収録曲に話を戻す。
 この「見上げてごらん」を通しで聴いたことはたぶんない。冒頭部をテレビ(白黒映像だったような)で何度か観た程度である。が、それだけでも私には十分だった。完全に没入しているかのような坂本の大熱唱に心打たれたのである。藤山一郎に「40年に一人現れるかどうか」(註)とまで絶賛された夏川だが、果たしてその域に迫ることができているだろうか?(註:藤山は美空ひばりを念頭に置いて彼女にそう言ったのではないかと今になって思う。)まずライナーにて「かなり斬新」と評されたアレンジだが、それに終わることなく(それ自体が目的ではなく)「楽曲に潜む新しい魅力を引き出すため」であるとの解釈には肯ける。また歌唱に対する「あくまでも、穏やかに、ストレートに、歌詞とメロディを歌い綴る」というコメントも当を得たものだと思う。(今更ながら、ここまで能地の文章にかなり依存しつつ本ページの執筆を進めてきたことを認めない訳にはいかないが、それというのも的確な解説だからである。頼むからマドレデウスおよび関係者のライナーも書いてくれ! もっとも件の団体自体、今や存続が危ぶまれているのだが・・・・)幼少時から民謡や演歌のトレーニングを受けてきた夏川であるが、ここでは素直な発声を心懸けている。オリジナルより低い調設定および抑制の利いた唱法のため、「秋桜」ほどの衝撃は受けなかったものの当盤では屈指の出来。100点は絶対に譲れない。
 残念ながらトラック13「小さな恋のうた」は低評価とならざるを得ない。まず調設定(たぶんト長調)が低すぎるように思われる。そのため低いシが出てくる中間部などまるで冴えない。(先の「キセキノハナ」の前半ぐらいが下限ではないか?)後で一気に盛り上げようとの意図は解るのだが、序盤の失点を取り返すには至っていない。また、サビの旋律もいかにもチープ(陳腐)という印象。結局のところ、曲調が私の嗜好と合っていないというに留まらず、「畑違いではないんかい?」との疑問を抱かずにはいられなかった。「てぃだ」のページで酷評した2曲と同じく、歌手にとって全く役不足(蛇足ながら「力不足」ではない)であるのは明らか。当盤中では同点最下位の80点。
 14曲目の「デンサー節」(八重山民謡)は正直ようわからん。伝統音楽に下手なイチャモンは付けたくないし。(これまで散々付けてきたクセに。)まあ可もなく不可もなくということで100点としておこう。(そうサラッと言わせてしまうところが歌手の人徳、いや実力である。)もちろん抑揚を付けることが求められるこの曲は除くが、ここまで聴いて夏川の歌唱に全くといっていいほどケレンがないことに私は改めて感じ入った。まさに「王道を行く」である。ビブラートを安易に使わない。というよりほとんど使っていない。(少なくとも私にはそう聞こえる。)にもかかわらず情感には不足していない。この位の歌手ともなれば、それを込めるために声を揺らす必要など全くないのだ。例外的措置として長音が数秒に及ぶ場合にフッと抜くことはあるが、そのさりげなさがまた絶妙。とにかく惚れ惚れするほどに上手い。ということで、歌だけを取れば全てが「絶唱」の名に恥じないものばかりである。やはり100点からスタートするに値する歌手なのだ。
 ボーナストラックの「花〜Live at 浜離宮朝日ホール」は、「南風」収録版と同じく最初がアカペラ、後はギター伴奏である。まず出だしに「アレッ」と思った。これまで聴いていたものよりも高い。やはり自然の理のままに流れる川を歌うにはニ長調(マーラーが交響曲第3番の終楽章アダージョに採用)よりも変ニ長調(同じく第9番のそれに採用)の方が断然相応しいのではないか? その過ちに気付いた訳ではもちろんないだろうが、ギターが入ってからは半音下げて歌われる。だが、唐突な転調による違和感は結局耳に残ってしまった。なお、これまた付録の<おことわり>なる紙切れに「ブックレット掲載の歌詞と実際の歌唱との間に一部差異が存在する」旨が記されているが、一番大きな改変は「涙ながれて」以下の2番の省略である。その短縮分の埋め合わせとして「泣きなさい笑いなさい」以下のフレーズが最後に2回(2巡目のサビを含めれば3回)繰り返されるが、それが私にはいかにも冗長と聞こえてしまった。当日生を聴いていれば涙を流すほど感激したかもしれないが。この2点を理由に98点。
 以上、14曲の平均点は96点となった。まあ妥当なところだろう。最後に「リクエストカバーアルバム」のレビューを締め括るため、私も夏川に是非とも歌ってほしい曲を挙げるとしよう。実はスペイン語曲である。既に "Somos novios" での共演で西語歌唱に全く問題がないことを証明した彼女ゆえ、本音としてはラテン名曲集をいつの日か作ってもらいたいところではある。それゆえ、アルベルト城間の "Habanera" 評ページ下のようにアルバム1枚分に相当する曲目を並べてみようかとも考えたのだが、大歌手への要望としてはさすがに厚かましすぎるため1曲に留めておく。Mecanoの代表曲 "Tú" を。(そういえば「涙そうそう」と同じヘ長調である。音楽自体は "Mujer contra mujer" の方が上だが詞が際どいため自粛。)これを聴くことができたならば、私の悶絶度メーターが針を振り切ってしまうことは請け合いだ。

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