てぃだ〜太陽・風ぬ想い〜(註:「風」は「かじ」と読むべし)
2002/09
ビクターエンタテインメント VICL-60943

 1曲目の「安里屋ユンタ」の派手なイントロに驚いてしまった。やたらと音が多い。編曲は「涙そうそう」を手がけた京田誠一だが、ここではギターもベースも歌手をそっちのけにして自己主張にご執心という印象すら受ける。単刀直入にいえば「うるさい」ということである。さらに耳障りなのは女性合唱による合いの手。独唱者と声域が同じだから折角の見事な歌唱が台無しではないか! ディアマンテスが「片手に三線を」で起用したような男声合唱団ならまだしも救いがあった。あるいは、(決して褒められた出来ではなかったが)おおたか静流の無気力バージョンの方が落ち着いて聴いていられるだけマシともいえる。これでかなり落胆したが、続く「赤花ひとつ」「ファムレウタ(子守歌)」で少し持ち直した。相変わらず伴奏は喧しいし、夏川の超絶的技巧が生きるような曲では決してないけれども。
 だが、次曲「心のかたち」で再度脱力。冒頭の「チャンチャカチャンチャチャンチャチャン」(4回反復)という打楽器リズムは、デッカチャンの「気付いちゃった、気付いちゃった、ワーイワイ」を思い起こさせる。あのマーチングバンドの赤い衣装を着た夏川がドラムを叩きながらはしゃいでいる姿が目に浮かんでしまうので非常に不快だ。あの体格だから結構サマになるかもしれないが。(←おいおい。それにしても最近のピン芸人はプレゼンのスタイルこそ多様ながら肝心の中身は「あるある」や自虐ネタばっかしなのでガッカリだよ! 紙芝居や工作などにしても面白いことは面白いけれども「芸」とは到底認めがたい。あれで何年もやっていけるほど甘くはないと思うのだが・・・・誰かが新聞で指摘していたように、ある程度売れたら後はバラエティ番組で楽して稼ぎたいという志の低い芸人が増殖しているのかもしれない。なお断っておくが、私は例のお笑い番組を毎週チェックしている訳ではない。というより、「速報Jリーグ」や「週刊NFLハイライト」を観ている内に寝てしまうことの方が実は圧倒的に多い。22時就寝→5時起床という生活パターンが次第に21時就寝→4時起床へとシフトしつつある今日この頃である。)歌が入って以降も似たり寄ったりである。編曲者は前作でいい仕事をしていた吉川忠英だが何かのご乱心だろうか?
 が、怒りはお目当ての「島唄」を聴いて一旦収まる。THE BOOMのオリジナルはヘ長調だが、女声には高すぎる。夏川も三度下(ニ長調)で歌っている。その分伸びやかさには欠けるものの、鍛えの入った歌唱力に支えられた絶妙なる崩しが幾度となく聴けるのはそれを補って余りある。サビを例に取ると「しーまーうーた(ん)よー」と少ししゃくり上げ、次の「かーぜー」も「ドーシドシ」と微妙に揺らすことによって躍動感が加味されているという印象を受ける。他にもイントネーションの微妙な改変を幾度となく試みるなど、オリジナルと比較すれば格段に細かい表情づけを行っている。それらの全てが決してわざとらしくないから、こちらとしても感嘆する以外ない。正直いって当盤収録曲の半分近くはハズレだと思っているのだが、この1曲だけでもモトは十分取れた格好である。
 しかしながら、そのような満足感を次の「月の夜」が木っ端微塵にしてくれる。何度聴いても腹が立つ。実のところ私は「南風」と当盤「てぃだ」を1枚の青裏に焼き、普段それを聴いているのだが、その理由は後者のトラック4と6を除くために他ならない。この人をバカにしたような曲調は「お笑いスター誕生」での不合格者を嘲笑うかのようなテーマをも想起させるため、ミスター梅助ならずとも作曲者や編曲者を名誉毀損で告訴したろかという気にすらなる。もちろん不快感は「心のかたち」の比ではない。作曲者の "Kiroro" なる人物が何者なのか全く知らなかった(最初 "Kiroco" あるいは"Kiroko" と勘違いしていたほどだ)が、こんなしょーもない曲を大歌手に提供するとは何を考えているのか! と、しばらくは怒りが収まらなかった。が、後で調べてみると夏川とは同郷人(沖縄出身)であると判った。何かのトーク番組にて「普段はビギンやキロロと仲が良い」などと語っていたのを観たことがあるから、あるいは夏川の方からカヴァーを申し出たのかもしれない。そういえば彼女は父による猛トレーニングの間、専ら演歌と民謡しか歌わせてもらえず、それが終わってからご褒美として1曲だけ許されていたポップスを歌うのが嬉しくて仕方がなかったらしい。そういう事情は理解できなくもないが、「それにしてもこれはないやろー」と言いたくなる衝動は抑えられない。また、既にドゥルス・ポンテスの "Focus" のページに書いたように、歌手の願望と適性とはあくまで別物だと思う。ここでamazon.co.jp掲載の「やられた」と題するカスタマーレビューについて少し脱線する。ある段落の冒頭から「島唄」が絶賛されていた。その少し下に1行空けて「やられた」とあり、さらに1行措いて「みなさん、この一曲を聴くためだけでいいから、いますぐこのアルバムを買いなさい。いや買え。」とあったから、私は当初我が意を得たりと思ったのだが、その直後に「かっわいい。とにかくかわいいのだ。ぎゅーしてちゅーしたくなるキュートさ。」と書かれていたので何かヘンだなあと読み直してみた。そして、先の行が次の「月の夜」に対するコメントだと判って愕然とした。むしろ私はこの曲の存在ゆえに「買うな」と声を大にして言いたいくらいである。(だいたい世間から「かわいい」とか「オシャレ」などとしてチヤホヤ持てはやされるようなものは何であれろくなものであった試しがない。)オリジナルを聴いたらこれほどの駄曲とは思わなかったのかもしれないが・・・・今度は漫画「美味しんぼ」に話を飛ばしてしまう。
 もう手元にないので記憶を頼りに筋書きを文字にしてみる。「部楽倶食美」を辞めた料理人がハンバーガーショップを開く話である。牛肉もタマネギもトマトも品質のいい材料を揃えることができた男は意気揚々としてハンバーガーを作り、その感想を求めた。皆が市販のものとは比べものにならぬと褒める中で士郎だけは浮かぬ顔。そこに乱入した雄山は酷評して立ち去る。納得せぬ男。そこで士郎は論より証拠とばかり通行人にも試食させる。やはり反応は芳しくない。歴然たる結果を突きつけられては自分のハンバーガーに落ち度のあることを認めない訳にはいかない。ついに理由を教えてくれと士郎に頼む。そこで彼は皆を寿司屋に連れて行く。(ここから端折る。)要はそれぞれ2種類のネタ(最高級の大トロと冷凍の赤身)と酢飯(やはり美味いのと不味いのを用意)を組み合わせて作った計4種類の握りについて食味試験を行った訳だが、当然ながら「大トロ&美味い酢飯」が最高評価を得た。「冷凍マグロ&不味い酢飯」も中松警部に「いかにも場末の寿司」と言われつつも健闘。一方、「冷凍マグロ&美味い酢飯」では、栗田が「ごはんが美味しい!」と絶叫した後、「飯が美味すぎて魚の味が判らなかった」という感想を述べた。問題は最後の「最高級大トロ&不味い酢飯」である。食べた全員が顔をしかめ、口直しに茶を所望する者まで現れる始末。ここに来てようやく男は悟った。「そうか! いくら他が良くてもパンが悪ければ安物のハンバーガーよりも低く評価されてしまうのか」と。既に私が何を言いたいのかがお判りであろう。念のため記しておくと、夏川のような優れた歌手が凡庸な曲を歌うと曲の出来の悪さが際立ってしまい、トータルとしての印象は凡庸な歌手が凡庸な曲を歌った場合よりも却って劣ってしまうというのが私の考えである。この「月の夜」はその典型例ではないだろうか。(Kiroroのファンがこのページに入ってこないことを祈る。)
 さて、ここから再度アマゾンのカスタマーレビューに戻る。本作以降にリリースされた夏川のアルバムについては、星1つまたは2つという厳しい評価がいくつか見受けられる。(一方、HMV通販のユーザーレビューは概ね好意的である。)特に本作には「『南風』を先に買って夏川りみを好きになった人は、同じものを求めてこの「てぃだ」を買ったら失敗すると思います。」(「期待外れ・・・」☆☆)や「夏川りみほどの才能(あの声!!!)をこの製作スタッフはみごとに殺してしまっている。(中略)夏川りみによけいな伴奏(何故シンセの音が必要?)もイコライジング(何故彼女の声にリヴァーブをかける?)も必要ないのだ。」(「この製作スタッフは・・・」☆)といった辛口コメントが寄せられているが私も同感だ。(ちなみに「南風」は4つが少し混じっている以外は満点の5つ星である。)さらに目を引いたのが「カスタマー」というHN氏によるコメントである。どうやら新作発売の度に書き込んでいるようだが、彼は上の「やられた」が投稿された3日後に「くやしくてやりきれない」(☆)と題する長文(36行で700次以上)を寄せている。その冒頭はこうである。

 前作『南風』が、日本の大衆音楽史上、稀代の傑作
 といって良いクオリティを誇っていただけに、
 否が応でも期待させられたこの新作。結論から言うと、
 夏川りみの、あの奇跡的な歌声は、その力を今作で
 十分発揮することができていません。
 非常に残念です。そして無性にくやしい。

次作「空の風景」にも「再デビューミニCD『南風』のあと、どんどんスケールが小さくなっていくのは、聴いていて悲しい限りです。こうして巨大な才能がつぶされていくのは、本人の努力不足というよりも、周囲の無理解のほうが大きいのではないでしょうか。」と容赦ない。また「彩風の音」ページに「またまた次回作に期待」(☆☆)として40行約650字という大作を寄稿したのもおそらく同一人物であることが窺える。「遙かにマシなつくりになっています。」と言いつつも、相変わらず「本作も、実力の半分さえ感じられず、中途半端な印象をぬぐえない内容です。」と不満を漏らしていた。が、こういうのを読んでも決して気を悪くしないでもらいたい。楽曲や夏川の声との相性に関する分析はなかなかのものだし、何よりも歌手に対する愛情が文面から滲み出ているではないか! 私にも思い入れが強いほど文が長くなるという傾向があるから、執筆者の気持ちは痛いほどよく解る。そうでなかったら(=歌手がよっぽど好きでなかったなら)こんな熱くて力強い文章は絶対に書けない。以下は上記「くやしくてやりきれない」の終盤から。

 夏川りみは、おそらく、日本の大衆音楽の宝です。
 これだけの才能は、50年や100年、出てこないでしょう。
 それだけ凄い才能なのです。
 制作者には、そのことが分かっていないのではないでしょうか?

だいぶ道草を食ってしまったので、ここでディスク評に話を戻す。
 7曲目「楽園 〜マカル・サリ〜」以降もあまり感心できなかった。歌にはもちろん隙がないし、曲も決して悪くないが、このような音楽に向いている歌手なら他に腐るほどいると思う。唯一合格点を出せるのが10曲目「芭蕉布」である。沖縄で「県民歌」といえるほど広く歌われている曲ゆえか、無茶なアレンジを施さなかったのが幸いした。最後に「涙そうそう」を入れたのはボーナストラックのつもりだろうが、先述の「カスタマー」氏同様、私も必然性を全く認めないし、もし「売らんかな」精神に毒されているためだとしたら実に嘆かわしい。もっともマドレデウスの「陽光と静寂」(原題 "O Espírito da Paz")にわざわざ前作収録のヒット曲(自動車のCMソングにも採用)"O pastor" を加えるというまさに「木に竹を接ぐ」ような暴挙、さらに言えばアルバム本編の感興を台無しにするほどの愚行を犯した某札付レーベルと比べたらはるかに罪は軽いが。
 気が進まないけれど採点が残っている。絶唱の「島唄」がポイントを稼いだものの駄作サンドイッチ攻撃でチャラにされてしまったのが痛い。他は凸凹はあっても平均70点は確保している。ただし、ここでも終曲の「虫垂炎」が疼き出したため69点とする。

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