ケミール・ジャンバイと「ロス・アルフォンシーノス」(Quemil Yambay y "Los Alfonsinos")

Entre Polcas y Chamamés
1998
A.R.P. CD 12.115
(ジャケット写真はFM放送局の前で撮影されたメンバーの写真だが、
 建物の上方にパラボラアンテナを模した看板が立っており、そこに
 "ARP" の文字が見える。放送局の略称であるのはほぼ間違いないが、
 そうなると自主制作盤だろうか?)

 目次ページで紹介した平日午後のリクエスト番組で所望されることがダントツに多かった人気曲が、このQuemil Yambayによる "Che renda alazán" である。(2番目がRafael Valgasの "Ipohyi ne pore'ÿ"、3番目がOscar Pérezの "Jajohayhu ramo guare" あたりだったか。 それぞれ「君がいなくて辛い」および「僕たちが愛し合っていた頃」といった意味で、要はどちらも恨み節である。曲調に全然深刻さはないが。)"Che renda" はグアラニ語で「私の場所」、"alazán" は西語の「肉桂色の、栗色の」という形容詞だから未だに正確な意味は解らない。(ただし辞書によると "renda" の原型 "tenda" には「馬」の意味もあるようだから、あるいは「私の栗毛色の馬」ということかもしれない。それでも歌の内容とは結びつかないため納得できないが・・・・)とはいえ、何を歌っているかはだいたい把握できた。要はビシータである。("visita" は「訪問」を意味する名詞であるが、パラグアイではとくに若い男性が女性の家を訪問する習わしの呼称としても用いられる。)土曜日の午後に恋人(Chinita)の家を訪ねる。何という喜び! 主人公は「遠いけれども君の元へ辿り着かねばならぬ!」と並々ならぬ決意を歌う。途中で犬に吠えられても全く臆するところがない。間奏でのオバちゃん(ただし男性の裏声と思われる)との軽妙なやり取りを経て2番に入り、あと少しで目的地というところで終わる。(なお歌詞もグアラニ語と西語のゴチャ混ぜである。)ただでさえ愉快な曲であるが、このジャンバイによる演奏では、先の会話に加えて途中に挿入される動物の鳴き声などの効果音も何ともいえず可笑しい。(他のミュージシャンによる録音も聴いたが、このような装飾を施しているものは皆無だった。)これで人気が出ない訳がない。私のコレクションには当然ながらこの曲、および他にもう1曲(老婆の120歳の誕生日を祝う歌)を加えている。
 しかしながら、演奏者については判らないことだらけだった。"Che renda alazán" では声も話し方も非常に剽軽な感じの男性が序奏での独白と間奏の会話、および重唱部の対旋律を受け持っていたが(彼と比較すればシリアス調の別人が主旋律を担当)、他の曲では彼がメインのヴォーカルとして歌うこともあり、結局は誰がジャンバイ氏なのか特定できないままに帰国することとなった。後にH氏からこのグループのカセットテープをお土産としてもらったが、それからも手掛かりとなる情報は何も得られなかった。(ちなみに、そのケースに入っていた曲目リストの紙には併せて動物のイラストが多数印刷されていた。どうやら彼らの模写レパートリーと思われるが、哺乳類、爬虫類、両棲類、鳥類と非常に多岐にわたっており感嘆する他なかった。さすがに魚類は無理だったようだが。)
 ということで、そういった疑問を解決するという重大な使命も携えて2000年にパ国を再訪したのである。そこで、首都アスンシオンのCD屋で真っ先に求めようとしたのだが、ド忘れしてグループ名が出てこなかった。そこで「動物の鳴き真似がいっぱい使われている音楽」と説明したら店員は「ああ、ジャンバイね」とすぐ判ってくれた。だが、棚から取り出してきた品にはあいにく "Che renda alazán" が収録されていない。他も捜してもらったがダメだった。それで仕方なく買ったのが当盤である。とはいいながら、前半にポルカ、後半にチャマメを12曲ずつ配しており、それらに彼らのエッセンスは十分詰まっているといえる。(トータルタイム約58分で1曲当たり2分半にも満たないが、これは他のパラグアイ音楽のディスクでも似たり寄ったりである。)
 なお、"Che renda alazán" はラジオでQuemil Yambayの歌として紹介されていたはずだが、当盤の演奏者はQuemil Yambay y "Los Alfonsinos" である。ネットで調べてこれら2種類の名義によるディスクが巷に出回っていると判ったけれども、実質的に違いはあるのだろうか? 両者の芸風が同じとしか聞こえない私には何が何やらサッパリである。また、当盤のクレジットにはリードヴォーカル兼ギタリストがMario Godoy とあるが、実際にはヴォーカリストが少なくとも3人いるようだ。さらにQuemil Yambay の名はどこにも見当たらない。Bajo(ベース使われてるかぁ?)奏者にChahian Yambayというのが名を連ねているが親族だろうか? そんな訳で当盤入手後もジャンバイ氏の正体およびロス・アルフォンシーノスとの関係は依然として闇に包まれており、それどころか新たな謎を生じてしまった感もあるが、そんなことは打っ棄っておいて愉しむに限る。同種の音楽が何曲も続くといつしか飽き飽きしてくるのだが、先にも述べたように歌い手が入れ替わり立ち替わりで登場するためそんな暇はない。まるで目まぐるしく移り変わる車窓の景色のようだ。曲調がどれも田舎っぽいし、1曲ごとの演奏時間が短いことから鈍行列車に喩えられようか。とにかく何を歌っても(他のミュージシャンが真面目に歌っている曲ですら)コミックソングみたいに聞こえてしまうのが彼らの最大の持ち味である。
 ただし、ポルカとチャマメの違いがイマイチ判然としなかったのは不満だ。後者の方がテンポが若干速いような気もするが、そうでない曲も混じっている。明らかに異なるのは終止法だけである。それもポルカは例の「ドミソドミソド」(アルペジオ)で1オクターヴ下の「ド」で締め括るという必殺技(?)だが、茶豆はちゃんと解決音(ド)で終わっている場合ですら1〜2秒ほど経ってから「ソラシドー」という音型を最後に無理矢理持って来る。この蛇足感(ちょっと汚いかもしれないが残尿を絞り出すような感じと似ている)も気に食わない。これら2点、そして目当ての曲が入ってない分は差っ引かせてもらうが、それでも優に75点は付けられる。決して過大評価ではない。

おまけ
 ジャンバイではないが、ネットで "Che renda alazán" は試聴可能である。全曲通しで聴きたい方はこっち、いい音で聴きたいならあっちへ(リンク切れ御免)。歌詞も探せばたやすく入手できるだろう。

おまけ2
 パラグアイ音楽の総合サイトにてジャンバイの "Loma" が試聴できる。例によって大変賑やかな演奏である。

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