マルティン・ポルティージョとアメリカンタ(Martín Portillo y Americanta)

パラグアイの大地と香り
2003
Victor VICP-62500

 他ページで述べたようにHMV通販にて "Americanta" をキーワードとして検索すると彼らの "Canta Vol.2" が出てくるが、実はもう1件表示される。それが当盤である。それで少しは興味を抱いたのだが価格が価格(15%引きの大学生協を通しても2550円)だし、CCCDということで足踏みしていた。ようやく昨年(2006年)の東京出張時に渋谷のレコファンで買った。1000円台前半だったと記憶している。ブックレット表紙に顔写真が掲載されているポルティージョについては何の知識もなかったが、当盤によってアルパ奏者だと初めて知った。(アメリカンタの "Canta" にゲスト参加しており、その名がクレジットに記載されているにもかかわらず見過ごしていた。)彼らは2003年秋に来日しているらしく、おそらくその記念盤として発売されたのであろう。
 偶然ながら当盤も14曲収録ながらトータルタイムは54分強で、それだけを見ればお買い得といえる。ところが内容はといえば、出だしからポルティージョによるアルパ独奏(ギター伴奏)が奇数トラックに配置され、厚かましいことに最後の4トラック中では3つを占めている。つまりアメリカンタの登場はたった6曲に留まっている。当盤では彼らの合唱がまずまずの水準を示しているだけに何とも腹立たしい。(ただし音程の甘さは相変わらずで、歌手全員が安定感に欠けることを改めて確認した。)というより、これでは看板に偽りではないか! アルパの方は半分近くが既に知っている曲なのでガッカリ。(しかも "Pájaro campana" は、いつか他で述べることになるだろうがト長調で弾かれているため印象サッパリである。)
 ここでさらに文句を付けたいことがある。トラック11は "Misty"、「マルティン・ポルティージョの音楽としての実力と柔軟性を証明するジャズ・ナンバー」と解説にあるが、「だから何?」と問い返したい気分だ。既に私も述べているように、「元来、臨時の半音が出せないアルパでは、このような曲を弾くのは至難の業」は確かにその通りだろう。だが、結局は自分の技巧を誇示したかっただけではないかと疑いたくなる。次のビートルズ・メドレー("Hey Jude" → "Yesterday" → "Let it be")も全く同じ。「お楽しみください。弾く方は、なかなか大変なんですが」に対して、「ならやめといたら」と言いたくなる。こんなぎこちない演奏を聴いても全然魅力を感じないし、そもそも西洋音楽をわざわざアルパ用に編曲する意義が私にはサッパリ感じられない。
 ついでにライナー執筆者の高場将美にも噛み付いておこう。「ここで演奏するアルパ奏者マルティン・ポルティージョは、いまパラグアイで最高(ということは世界でいちばん)のアルパ奏者と評価されている人気者だ。パラグアイならではの熱っぽいヴォーカルを聴かせるグループ≪アメリカンタ≫をひきいて、輝かしいサウンドが展開する。」パラグアイとその音楽の概説、および曲目解説はそれなりに充実しているが、ミュージシャンの紹介はたったこれだけである。あまりにもお粗末ではないか。ポルティージョはともかく、アメリカンタに関する情報が何か得られるのではないかと期待していただけに裏切られた気分だ。猛省を促したい。なんやかんやでケチの付けまくりになってしまった。60点。
 ということで、当盤の新品を入手するために財布から野口英世を複数枚取り出す必要性は正直なところ全く感じない。(生協に注文しなくて本当に良かった。)未聴の私が言うのも何だが、これならアメリカンタの「第2集」 の方がよっぽどお値打ちではないか。そちらは今なら(マルチバイ割引になれば)2000円ちょっとで買える。

おまけ
 高場将美の解説にもう少しイチャモンを付ける気になった。既に槍玉に挙げた竹村淳と同様、彼も先住民族に対して「インディオ」という訳語を充てている。どんなに立派な文章を書いていたとしても、それだけで筆者に対する敬意を私から奪うには十分である。(それが誤用であること、および私が徹頭徹尾忌み嫌っていることは既にブルックナーの交響曲第6番ショルティ&シカゴ響のディスク評ページに記した。)
 ところで「パラグアイの先住民族のほとんどは≪グアラニ≫と呼ばれる人々だ」との記述がある。必ずしも間違いではない。ただし、高場も指摘していたように実際にはスペイン人支配者どもによる混血奨励政策によって現在のパラグアイ人口の圧倒的多数をメスチーソ(混血)が占めるに至っている。そして、残った数少ない生粋のモンゴロイドのうち約半分がグアラニ語族で最大勢力であるのは事実だが、断じて「ほとんど」ではない。というより、かつてチャコ(西部)地域に住んでいた私は、ある国内サイトからこの情報を入手する数年前(たぶん2004年)まで、グアラニ系先住民はむしろ少数派だと思い込んでいたほどである。ちなみに、現地で買った "Escenario Indígena Chaqueño"という本(1983年第1版)には、チャコ地域における使用言語別の先住民分布図(1900年時点)が掲載されているが、グアラニ系の2グループ(Chiriguano-GuaraníおよびTapiete-Guaraní)はボリビアとの国境(←当時はさほど意味を持ってはいなかったかもしれないが)付近に分布するに過ぎず、占有面積としてはAyoreo、Nivaclé、およびLenguaの3部族の方がはるかに大きい。実のところ私が2年あまりを過ごした村の住民(Guaraní Guarayo族、Chiriguanoの別名らしい)の先祖はボリビアから移り住んで来たようだし、自分達のルーツの土地(Macharety)の名をそのまま村名に付けていた。ここから話を飛ばし、さらに暴走する。
 パラグアイ・メーリングリスト主催者のサイトにも先住民族の情報が写真と共に掲載されている。(全く悪気がないとは思うが、そこでも件の差別的表現があちこちで目に付くのは大いに不満だ。)首都アスンシオン市内の路上や公園などで民芸品を売っているインディヘナ達(先述の地図にも掲載されているMaca族?)は私も何度か見たし、バスに乗って彼らの居住地を訪れることもできるという話だった。そこで(かなりの部分は「ヤラセ」だと思うが)昔ながらの扮装や生活スタイルを見せることにより観光収入を得ているらしい。(例えば写真撮影に対して金銭を要求する。)そういう話を聞いて私は非常に気分が悪くなった。(何度か誘われたけれども同行する気には到底なれなかった。「時給10万グアラニーやる」と言われてもお断りである。)「パラグアイ人」(グアラニ系モンゴロイドと白人との混血)が「インド人」(非グアラニ系先住民)を見物に行く。それがパ国における先住民差別の構図をさらに助長していると思われたからである。年端もゆかぬ子供には負の教育効果を発揮するに違いない。何にしても "Indio" という呼び名はその差別の象徴に他ならない。北米の "Indian" もそうだが、こんな蔑称が1日も早く根絶されることを私は願ってやまない。最後も余談で締め括る。
 ナミビア北部に出張した2005年のことである。休日にチェコ人グループと滝を見物した帰りに「未だ文明化していない部族の集落を見に行こうか」と持ちかけられたことがあった。やはり観光地化しているらしく、ガイドブックに載っていたのだ。気が進まなかったのはもちろんだが、主導権は運転している向こうが握っているため断る気にもなれず、結局は道路事情により引き返すことになった時は内心ホッとした。

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