ペルラ(Perla)

En Paraguay - Sus Mejores Momentos
1995
Brasidisc BRCD 085

 ルス・マベールの "Mi Destino" 評の「おまけ」で触れた当盤を買った。以前から米アマゾンのマーケットプレイスにてUSD16.70で売られていた新品である。もっと安いのを狙っていたが結局しびれが切れた。送料を加えて2600円台と結構な出費になった。
 あちらで述べたようにパラグアイ出身(1952年カアクペ生まれ)、そして現在はブラジルで活躍する歌手である。(ここで余談:彼女に関する情報があまりにも少ないため「ペルラ」で検索したところ、歌手紹介のページが1件出てきた。ところが、そこで扱われていたのは1988年リオ・デ・ジャネイロ生まれのPerlla (ペルラ・ダ・シルヴァ・フェルナンデス) という別人28号だった。混同無用。)よって当盤はブラジルのレーベルから発売されている。ケース裏に記載のCDタイトルおよび曲名は西語だが、3曲が収められたグアラニアに "Guarânia" とアクサン・シルコンフレックスが打たれていることからもジャンル名は葡語による表記と考えられる。(よく見たら会社名や住所など全てそうなっていた。まあ当然だろうが。)それはともかく、当盤の前半部にパラグアイの伝統音楽であるポルカとグアラニア(それも有名曲ばかり)を集め、それらが全12トラック(計42分)のうち7曲を占めているとはいいながら、残りは同国とは無関係ゆえ「看板に偽りあり」とまでは言わないものの疑問の少々残るネーミングである。
 本題に入る前にもう少し。彼女のオフィシャルサイト(www.perla.com.br)中のディスコグラフィでは当盤は下から2番目に置かれており、年代的にも2番目に古い。ただし、最古(1994年)のアルバムが "Sus Mejores Éxitos"、つまりベスト盤だから、それ以前から歌手として活動していたのは明らかである。(CD化されたのが比較的遅いということかもしれない。)そこで、今度はpt.wikipedia.orgに行ってみたところ、やはり1970年代には既に成功を収めていたと判明。(そこではPerllaの方が大きい扱いだったのは癪に障るけれど。)なんでも同世代のABBA(←誰か最初のBをひっくり返す方法知らん?)の葡語によるカヴァーも出していたらしい。それはさて措き、当盤も(録音年こそ記されていないが)ペルラの比較的初期の歌唱を収めていると想像される。(ついでながら、購買者に違和感を覚えさせないようにとの配慮からか、ジャケットも相当前の写真を使っているようだ。)
 で、トラック1の "Mi tierra" だが、歌が始まって間もなくというところで嫌な予感がした。酷評するより他なかったディアナ・バルボーサと同類の力づく歌唱と聞こえたからである。たが、聴き進む内に杞憂であると分かった。この曲以降も "Galopera"、"Paloma blanca" とアップテンポのポルカが続くが、全く乱れるところがない。大した歌唱力である。(そういえば、「白鳩」の方はチャコ在住中に地元ラジオ局から流れてきたバルボーサによるあまりの乱暴歌唱に辟易させられた曲ではなかったか? とはいえ、彼女も若い頃はペルラ並みに上手かったのかもしれないが・・・・)ただし、当初荒っぽいと感じさせたのは事実。その理由はハッキリしている。時にアルパも使われるが伴奏は基本的にキーボードとパーカッション、つまりモダン編成であり、それに負けじとペルラも声を張り上げ、かつ大胆に抑揚を付けて歌っているからである。(なお、パ国制作盤とは異なり大音量時でも決して割れないのはブ国の録音技術の確かさを示している。)例えば6曲目 "Virgencita de Ca'acupé"(やはりポルカ)では押しつけがましさを感じてしまう。生地への思い入れは理解できるけれども。今度はマベールを引き合いに出すと、彼女の "Mi Añoranza" も同様のアレンジながら、歌手自身はシットリと情緒的に歌っていたから落ち着いて聴くことが可能だった。それを知っているだけに、当盤には「素朴なパラグアイの伝統音楽をここまでパワフルに歌う必要があるのか」と首を傾げたくなる。その弊害がトラック5 "India" 他のグアラニアではモロに出ており、折角の熱唱からも魅力は伝わってこない。とくに伸ばすところでビブラートを利かせすぎるのが耳に煩わしい。ただし声量と技量を十二分に備えているのは疑いのないところ。ここでは「歌の巧いファニー」としておこう。9曲目 "Lejania" は曲調が彼女の凄味を帯びた歌唱とマッチしており、聴き応えタップリである。
 もう一つクレーム。その前の "Ne rendape ayu"(註)等で用いられているグアラニ語歌詞の発音である。(註:私としては "Ne rendápe aju" と表記したい。ちなみに「私はあなたの所に行くわ」という意味である。)鼻母音および鼻子音を多用する言語ゆえ必然的にフニャフニャした響きになる。それゆえ、会話の途中からパラグアイ人同士がグアラニ語でやり取りするようになった場合、それを理解できない日本人の一部は何となくバカにされているような気分になるものらしい。しかしながら、ひとたび慣れてしまいさえすれば何ともいえぬ人なつっこさが感じられるようになる。ケミール・ジャンバイの音楽(挿入される会話も含む)は、そのような持ち味が最大に発揮された例であるといえるが、ペルラの発音はあまりにも明瞭すぎと聞こえるため半分以下に減じてしまっているとの印象を受けた。
 ところが、先に「その他」扱いしていた残りの4曲では事情がまるで異なる。7曲目 "Camino del sol" は、アンテナ(実にけったいな名前だが、Isabelle Antenaを中心としたフランスの音楽集団)が1982年に発表した同名アルバムのタイトル曲がオリジナルと知った。当盤では他3曲と共に "beat" というジャンルに分類されているが、要はロック・ポップスである。それらの出来は非常に良いのだ。先に難じた歌手のダイナミック唱法が見事ハマっている。どうやらこっちが彼女の本来の土俵らしい。最後に収められたのは "Bamboleo"、言うまでもなくジプシー・キングスの代表作である。女性歌手のカヴァーというのが珍しいというに留まらず、なかなかに迫力十分の歌唱を聞かせてくれているから芸術的価値も高い。ただし、サビの歌詞 "porque mi vida yo la (he) aprendido a vivir así" (現在完了)を "porque mi vida yo la aprendí ....." (単純過去)に変えてしまっているのはいただけない。これでもかと詰め込まれた詞が歌いにくかったのかもしれないが、間引きによる字足らず感は否めず、それ以上に締まりがないのは痛い。(調べてみたらジプ・キンをはじめ、そのように歌っているミュージシャンも少なくないと知った。また聴いたことはないが、"porque mi vida yo la prefiero vivir así" というのもあるらしい。ただ、私としてはJ・イグレシアスの "Raíces" に収録されていたヴァージョンがデフォルトになっているため、"aprendido...." でないとどうしても違和感を覚えてしまう。)
 ということで、パラグアイの音楽は60点、ただし "Lejania" のみ75点、一方「ビート」は85点、ただし "Bamboleo" のみ80点として計算した場合の平均値(71.25)を採用し、71点とする。

おまけ
 上記ディスコグラフィに出ているCDのうち、1998年発売の "25 Sucessos" (BRCD 323)はその名の通り25曲入りのベスト盤であるが、にもかかわらず米尼での売価は当盤より安い(同じく新品ながら$14.60)。下手こいたぁ〜。(←もちろん例の海パン男の口調で。)販売ページに曲目一覧さえ出ていればと悔やんでも後の祭り、当盤タイトルの "Paraguay" にこだわったのが敗因である。あちらには "Recuerdos de Ypacarai"、"La bamba"、"Besame mucho" など気になる曲も少なくないが、当盤収録曲と7つも重複しているのが癪である。とりあえずは無謀な買い注文を入れて待つことにする。

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