アパリシオ・ゴンサーレス(Aparicio González)

PARAGUAY EN SOLO DE ARPA - Vol. 1
1992
Producciones Fonográficas BCCD-5005

 ケース裏のサブタイトルは "Conjunto de ANÍBAL RIVEROS Arpa de Aparicio González" となっている。監修者の「アニーバル・リベーロス」がアルパ奏者よりも先に出ているのみならず、彼の名前だけ大文字で表記されている。(ただし大文字と小文字の使い分け等は結構いい加減で、ブックレットではスタイルがまるで異なっていたから困った。)さらにディスクのレーベル面に記載されているのが前者だけであることを考えれば、「アパリシオ・ゴンサーレス」よりもずっと偉い人なのかもしれない。そこで彼が何者か調べてみたところ、どうやらギタリストらしいと判った。ならば当盤には演奏者としてもタッチしている可能性はある。とはいえ当盤ではあくまで主役はアルパであり、ギターが伴奏であることは誰の耳にも明らかであろう。ということで、少し迷ったものの本ページと目次ページではアルピスタの方を名義人に立てることとした。
 たまたま入ったCD屋の店員が薦めてくれたから買ったというだけのことで、別にルシア塩満やセシリア光子でも構わなかった。ピアノのグレン・グールドやヴァレリー・アファナシェフのように極めて独創的な解釈でも聴けるのなら事情は変わってくるが、そうでもない限り複数演奏を集めて聴き比べようとは更々思わない。全12曲で約35分という短時間収録だが、パラグアイを代表するアルパ曲はあらかた網羅されているだろう。(誰が「名曲集」を作っても曲目は大して違わないはずだ。)なので「第1集」とあっても当盤だけで十分と思っている。(続編が出たという話も聞かないし。ちなみにOrfeonというレーベルが1999年にほぼ同内容(なぜか当盤のトラック12に収録の "Río confuso" が入ってない)の "Paraguay En Un Solo De Arpa" というアルバムをリリースし、少し前まで国内外のアマゾンでも扱っていた模様である。)
 他盤ページでも論うつもりだが、わざわざクラシックやポピュラー音楽をアルパ用に編曲しても印象は全く冴えないし、ましてやディズニーやアニメの主題歌など愚の骨頂であるとしか私には思えない。そういえば、某巨大掲示板のクラシック板のスレッドにて、ヘンデルのハープ協奏曲あるいはモーツァルトによるフルートとの二重協奏曲をこの楽器で聴きたいという趣旨の書き込みを目にしたことがある。しかしながら、構造上の制約のためそれは99.999.....%無理という気がする。現代ハープと違ってペダルのないアルパでは、弦を指で摘まんで短くすることでしか半音を出せないからである。高度な技術を要する曲でも多重録音(演奏不可能な部分は別テイクして重ねる)を駆使すればディスクは作れるだろうが生演奏は・・・・
 各曲について特にコメントは付けない。私としては9曲目の "Gallito Cantor" がVCPの局名紹介アナウンスのBGMとして流れていたこと、および同局が毎週土曜日に放送していたcooperativa(生協)提供のグアラニ語番組(リスニングのため聴いていた)にて、7曲目の "Yuky" とラストの "Río confuso" がそれぞれテーマ曲と挿入曲に使われていたのが思い出深いという程度の印象しかないからである。なお、わが国で最も知名度が高いと思しき "Pájaro campana"(鐘つき鳥)であるが、ソ(C)で始まることへの違和感がどうしても拭えない。パラグアイ在住中にラジオからこの曲が流れてきた時には、たまたま放送局所有の音源には冒頭のド(F)が欠落しているだけだろうと考えていたのだが、当盤に限らずあらゆる演奏でもそうなっている。これを不自然と思っているのは私だけだろうか? これは余談だが、あの中波ラジオ局はオーソドックス演奏とは異なるバージョンも所有していた。途中からテープがだんだんと早回しになってカオスに陥り、しばらく経ってから少しずつ速度を戻して賑やかに締め括るというキワモノだったが、あれはあれで面白かったなあ。最後にどうでもいい話をもう一つ。「これから『鐘つき鳥』を弾きます」と言って左手にフライパン(テフロン加工のは絶対にダメ)、右手にスプーンを持ち、その先を小刻みに動かしてプライパンの表面を擦るとそれっぽく聞こえる。(鳴き声が入り乱れて混沌とした状態を模したアルパの響きとどことなく似ている。)そういう宴会芸を私は考案し披露したことがある。それなりの反応はあった。が、この曲を知らない人間のみを相手にすると間違いなくドン引きされるので注意されたし。

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