ディアナ・バルボーサ(Diana Barboza)

Por Qué
1995
CLAVE EDICIONES V.M. 388493

 聴いてすぐ「買って失敗したぁ」と落胆してしまった。が、せっかくなのでディスク評は残しておく。他山の石としてもらうためにも。
 まずは当盤入手に至る経緯から。フィゲレドのページの「おまけ」に書いた "Pájaro choguy" の歌い手であるが、首都に行った際に音楽指導に来ていた人に「ある美声の女性歌手の名前が判らないんですが心当たりないですか?」と尋ねたところ「バルボーサじゃないですか」という答えが返ってきたと朧気ながら思い出したのである。(要は何となく聞き覚えがあったというレベルに過ぎないのだが、それが躓きの始まりであった。)そこでネット検索してみたら、Agustín Barbozaという音楽家が出てきた。もっとも、それは男性名であるから該当しない。ゆえに記憶違いかなと一度は思ったのであるが、最近になって目次ページで触れた「アルパの調べと歌」を読んでいた時のこと、彼を扱ったノーツの中に「娘のディアナを加えて活動した」という記述が目に入った。「そうか、娘がおったか」と膝を打ち、再度検索してみれば何と京都にある中古屋の在庫一覧ページが表示された。その中に当盤があったという次第である。(売ったん誰やろ?)曲目など詳しい情報はなかったが、他の通販サイトにて "Pájaro choguy" を収録した彼女の別のアルバム(Mi Paraguay)の存在を知ったため、「もしかするとこの人かもしれない」と思いメールで注文を入れた(ちなみに購入価格は1100円+諸経費)。大間違いだった。
 ジャケットに写っているのは丸々とした顔&立派な体格の女性である。(昔はそうでなかったのかもしれないが。)そして、その容貌から抱いたイメージそのままというべき大味な歌唱を聞かされたのだからたまらない。何といっても歌い方が鈍重でしかも力任せなのがいただけない。(声も予想とは全然違っていた。試聴できなかったのが痛い。)音程はフラフラ揺れるし、テンポが速い部分ではモタモタする。高音部に来ると決まって大仰なコブシやビブラートを利かせるのも歌唱力の無さを覆い隠そうとしているようで感心できない。さらに高いところでは裏声に逃げているが、そのやり方が全然スマートではない。そんなトラックばかりが続いたのだから辛くて仕方がなかった。ついでに録音にもクレームを付けておくと、アスンシオンでのレコーディングのようだが、スタッフが経験不足なのか明らかにレベル設定に失敗しており、大音量時にしばしば音割れするのに閉口させられた。
 当盤にはパラグアイの製品としては珍しく歌詞が付いているが、全11曲中1つを除いて作曲者はAgustín BarbozaまたはDiana Barbozaとなっている(半々)。つまり偉大な父(例の本を読むまでそんなに偉い人だとは知らなかった)と同じく、娘の方も作曲の心得があるという訳である。(うちトラック5 "... Y doy gracias" は両親に献呈されている。ついでながら母親のYveráも歌手だったらしい。)実際のところ音楽自体の出来は決して悪くない。が、歌唱がこんな体たらくに終始するくらいなら他の歌手に任せるべきであった。(昔はもっと上手だったのかもしれないが。)先述した "Mi Paraguay" の紹介ページには「PARAGUAYの歌姫とよばれるディアナ・バルボーサ」とあったが嘘っぱちもいいところ。「NHKのど自慢」なら鐘2つがやっとというレベルではないか! 絶対真に受けたらアカンぞ、と釘を刺しておく。「この程度でトップクラスなら大したことない」などと誤解されたら困るから。
 ということで、当盤には様々な形式の曲(polcaやguaraniaはもちろん、canción、balada、avanzada、さらにはreggaeまで!)が収められているという点、およびパラグアイ音楽をキーボードやリズムボックスをも採り入れた現代的アレンジで聴けるという点以外、全く採るべき所がない。こういうCDが発売されてしまったこと自体に問題があると私には思われてならない。大残念賞で30点。実は本稿を執筆するために改めて再生しなければならないと考えただけで気が重かった。初めて聴いた時ほど酷いとは思わなかったけれど、当盤を手元に残すことはまずないだろう。(誰に押し付けたろか?)

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