20 Grandes Canciones
1992
Sony International(手放したためディスク番号は不明)
ジャケット写真のトローハのボーイッシュな美しさは強く印象に残っている。が結局それだけだった。手元に現物がないのでamazon.co.jp掲載の曲目リストを見ながら書くつもりだ。
1曲目 "Hawaii-Bombay" の後者はムンバイ(ボンベイ)だが、ハワイとの関係が全く解らない。それはともかく、最初から最後まで気怠さを感じさせる。トローハの「ハーイ」という溜息のような声がそれに輪をかける。とはいうものの音楽の質は決して低くない。後に2枚組ベスト "ANA|JOSE|NACHO" に採用されたが、それにも十分納得の高完成度だ。熱帯の暑い午後にハンモックに揺られながら昼寝をする時の子守歌としてピッタリだろう。(ディアマンテスの「沖縄ミ・アモール」と双璧をなすかも。そういえば共に海の効果音が使われている。)ところが以降の曲はといえば・・・・
2曲目の "Busco algo barato"(何か安いものを探そう)を聴いていたら思わず「だから何なんだ?」と叫びたくなった。ハッキリ言ってしょーもない曲である。4曲目 "No aguanto más"(もうガマンできない)とか6曲目 "Hoy no me puedo levantar"(今日は起きられへんわ)にしても同様である。歌詞が付いていなかった(&聞き取るのはめんどくさい)のでタイトルや曲調のみから想像するに、メカーノ初期の音楽には反社会的というか不良っぽい内容を含んでいたため、何かにつけて反抗心を抱きがちなスペインの若者には受けに受けたのではなかろうか。やがて音楽が社会性(普遍性)を帯びるようになるとともにメカーノは広範な人気を獲得し、メジャー・バンドの地位にまで登り詰めたが、逆に昔からのファンは生ぬるさを感じるようになって離れていったかもしれない。
それはさておき、凡庸な曲を延々と聞かされ続けていたら、どうしたってウンザリしてくるだろう。この頃はCano兄弟(←決して「叶兄弟」と読んではいけない)がヴォーカリストとしても積極的に参加しているが、それがさらに完成度を低下させる原因となっている。トローハの歌唱のみが超一流なのだからアンバランスが凄まじい。曲の造りはシンプルだが、マドレデウスや来月紹介予定のドゥルス・ポンテスのデビューアルバムのように声の魅力がストレートに伝わってくるかといえば、残念ながらそういうことはない。それ以前に稚拙さが耳に付いてしまうからだ。
結局「冴えんなあ」という印象のまま聴き終えることになってしまった。鑑賞に値すると思えたのは最初とラス前の "Amante de fuego" ぐらいだろうか。(11曲目 "Aire" は結構売れたようで、かつて実験室で流していた際にはラテンポップスをほとんど聴かないという後輩から「これ知ってますよ」(FMで聴いたことがあるらしい)と話しかけられたことがあるし、"ANA|JOSE|NACHO" に収録されたライヴでの盛り上がりも大変なものだ。が、どこが名曲なのか私にはサッパリ分からない。なお、12曲目 "Japón" については「おまけ」として書く。)何度か再生した後に手放したのは自然の成り行きというものである。50点。
おまけ
トローハのサイト(www.anatorroja.com)で1984年に発売された "Japón" シングルレコードのジャケットを見た。画像が小さくて見にくいが、左上に縦に書かれているのは日本語らしい。右側には「メカノ」「日本」が(さらに「MECANO」「JAPÓN」までが)やや大きい字で同様に縦書きされている。ところがである。中身の音楽はちっとも日本的ではないのだ!(先述したように歌詞のことは知らん。)終盤で子供達の歌う「かごめかごめ」が効果音として挿入されていることが唯一挙げられようか。知らずに聴かされたら十中八九国籍不明である。こういう「看板に偽り」も評価下落の原因となったことは言うまでもない。当盤に関して述べたかったことは実はここまでで、以後は思うまま脱線話を連ねるつもりだ。
私が南の暑い国で暮らしていた頃、クラシック聴きたさに世界中の短波放送を受信していたことは既に他ページに書いた。最も収穫量が多かったのはロンドンのBBCだったが、さすがは音楽の都ウィーンを首都に置くだけあって、Radio Austria Internacionalも放送時間に占める音楽番組の割合は高かった。そもそも開始テーマ曲からして(ロック調にアレンジされてはいたものの)「美しく青きドナウ」だったのだ。(ここから二次脱線。オープニングでの音楽の使い方が圧倒的に上手だったのはモスクワ放送のロシア語。チャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章冒頭を採用していた。そういえば手塚治虫のアニメでも同部分の効果的な使用例を見たことがある。戻って、最初の大騒ぎの後のインターバルで「こちらはモスクワ放送局です」、2度目に「モスクワからお送りしています」のアナウンスが入る。その後しばらくシンミリした主題を聞かせてから、飄々とした感じの音楽をバックに「政治」「社会」「経済」「スポーツ」「芸術」・・・・と中身を紹介するのである。(露語は全くできない私だが多分大ハズレではないだろう。) 冒頭の音型が回帰する直前でピッタリ終わり。この見事なワザには感嘆するよりなかった。)さてさて、クラシック以外のジャンルを聴いていたことも既述したが、この局が毎週放送していたオーストリアのヒットチャート番組もお気に入りの一つだった。隣国ドイツはどういう訳か上位を英語曲が独占しており、たまに独語曲が入ってくるとちょっとした話題になるという悲惨な状況で、ドイチェ・ヴェレ日本語放送でチャート紹介を担当していたアナウンサー(たしか「きしこういち」という名前)も「何とかならんかのう」という口ぶりだった。(そういえば当時私も結構気に入っていたスコーピオンズの大ヒット曲 "Wind of change" も英語で歌ってたなあ。絶対独語の方が合ってると思うけど。)けれどもオーストリアは自国製品を大事にするという国柄か、独語曲もたびたび1位に輝いていた。今でもいくつかメロディを口ずさむことができるが、中でも忘れることができないのは "Samurai" である。「僕は恋人のためなら命を投げ出すことも厭わないサムライだ」、たぶん詞はそんな内容だろう。それはどうでもいい。問題は音楽である。序奏で男が何やら喚いている。日本語でないから理解できないのは仕方がないとして、イントネーションが明らかに中国語風である。そして始まった歌はといえば、何とカンフー映画に使われそうな節回し! そんなトンデモ曲が数週間もトップに居座ったのだからガクッと来てしまった。ここでさらに海外滞在中のエピソードを思い出した。
私にはその経験はないが、異国(アジア以外)で「日本は中国(大陸)のどこにあるんだ?」と尋ねられて閉口したという人は少なくないらしい。そういう話を聞かされていたので私もある程度の心構えはできていたのだが、「ニンジャは普段は何をしているんだ?」という質問にはさすがに目が点になった。どうやらテレビドラマか何かで観た忍者が今も日本では活躍していると信じているようだ。平常時には一般人(スーツ姿?)として働いているものの、ひとたび事件が起きれば例の扮装を身にまとって解決に奔走する。いわば「日本版スーパーマン」をイメージしていたのかもしれない。「国が雇っているのか?」とも訊かれたが、そうなると「日本版CIA」である。これも想像すると面白い。(一応ちゃんと説明しておいたが、彼らのロマンを壊さない方が良かったのだろうか?)ついでながら、インドネシアで仲良くなった学生達から「次は何か土産を持って来てよ」と帰国前日に頼まれた時のこと、中に「金は払うからサムライを買ってきてくれないか」と訳の解らんことを言ってくるのが1人いて参った。ようやく話が通じてみると「サムライ」とは日本刀のことであった。護身用の刀がその辺の店で簡単に手に入ると思い込んでいたらしい。もちろん「そんなもん持ち込んだらオレが捕まるやないか」と断ったが、もしかすると彼は現代でも武士があの格好で役所勤めをしているとでも思っていたのだろうか?
以上、全く取り留めのない話に終始して申し訳ないが、我々の目には「と」としか映らない「蝶々夫人」(プッチーニ)の初演(1904)から既に100年以上が経過しているというのに、どうやら日本に対する理解はさして深まったとは言えないようである。
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