Aidalai
1991
BMG/Ariola BVCP-147

 1曲目 "El fallo positivo" はさりげない開始だが、「ヘイ」のかけ声(あるいは前作 "Descanso Dominical" 収録の "Los amantes" で使われたものと同じ?)を機に華やかな音楽に変わる。そして、サビの終わりで再度穏やかな曲調になる。このようなメリハリに加え、効果音も凝りに凝ったりという印象。2曲目の "El uno, el dos, el tres" は落ち着いた曲だが、歌詞にデビュー曲のタイトル "Hoy no me puedo levantar" が登場するに留まらず、過去の自分たちを否定するような内容が歌われている。(今になって気が付いたが、この歌詞は何とも思わせぶりながら、後の活動停止を暗示しているようだ。)1曲目が弟Nacho、2曲目が兄Joséの作品という並びは前作と同じ。そして様々な新趣向を聞かせてくれる。にもかかわらず、印象はもう一つパッとしない。トローハの歌の魅力がストレートに伝わってこないのだ。あれこれ工夫した跡は認められるものの、それが裏目に出ているような感じである。
 3曲目 "Bailando salsa"、当たり前だがサルサである。これまた当たり前だが、Joséの手になるものだけに出来は悪くない。しかし、これもイマイチ。「なんでトローハがサルサなんだ? こんな曲は別に彼女に歌わなくったっていいだろうに」という思いが拭えないのだ。また、終曲の "Sentía" ではボサ・ノヴァが採用されているが、感想は"Bailando salsa" と全く同じ。一方、7曲目の "Una rosa es una rosa" はフラメンコである。中原仁の解説によるとトローハが最も苦労した曲だったらしいが、確かに無理をしている感じが伝わってくる。芸風を広げようとするあまり、本来向いていないはずのジャンルにまで手を出そうとしたのだろうか? が、ぎこちなさを聴き手にも感じさせてしまっては元も子もないだろう。
 そんなこんなで、前作と比較すれば当盤の印象は相当落ちるが、それを一発でチャラにする満塁ホームラン級の名曲が "Tú" である。この曲だけ何度リピートで聴いたかわからない。私はこれでメカーノの虜になった。解説に「あなた、あなた、あなた(Tú, Tú, Tú ・・・)と耳元でささやかれて何も感じない男はいないだろう」とある。私はこういう大袈裟な言い方にはとかく反感を覚えるクチだが、これには見事KO負けを喰らった。美声の魅力には抗うことが全くできない人間だからである。
 少し戻って、4曲目 "El 7 de septiembre" および次の "Naturaleza muerta" はともに短調のシンミリ系名曲で、前作のレベルはしっかり保たれているという印象だ。特に後者は "Y llorar" の連呼が(まんまだが)泣かせる。少なくとも2者がカヴァーしているのを確認しているが、それも納得できる出来映えだ。
 さて、"Tú" の直後に置かれた "Aidalai" だが、これが再び今一なのでガクッと来てしまう。イントロは私が大嫌いなマドンナの曲みたいだ。それはともかく、ダライ・ラマに捧げるべく作られたという曲だが、音楽のどこからもそんな要素は聞かれない。なので後付けのようにも思えてしまうし、その着想自体が疑わしくなってくる。何にしてもタイトル曲の出来が凡庸なのは痛い。
 ところで、当盤では前作よりもはるかにラブ・ソングの比率が高くなっている。ゆえに内容は浅くなっており評価も低くなる・・・・かといえばそうならないのである。8曲目 "El lago artificial"、11曲目 "El peón del rey de negras"、そして12曲目 "J.C." はいずれも前作収録の "Los amantes" 同様、極めてシンプルな造りの曲だが、それがこねくり回したような他の曲より却って良かったりするのである。特に "J.C." はリフレイン部分で突如リズム楽器が抜かれて響きが薄くなる。それが非常に効果的である。J・S・バッハのマタイ受難曲の第58曲のソプラノのアリアでは、それまでずっと陰で曲を支えていたファゴット、チェロ、コントラバス、オルガン(またはチェンバロ)による通奏低音が例外的に用いられない。重石が取り除かれたとでも喩えたらいいだろうか? そのお陰で曲調はフワフワした感じになり、イエスの昇天がいよいよ間近に迫ったという印象を与える。それと一緒くたにして良いものか自信がないが、"J. C." の同様の部分もトローハがいきなり目の前に現れたかのようである。(そういえば、NさんのBBSで "J.C." が何を意味しているかについて議論したことがある。私のJosé (María) Cano" の略という見解に対し、Nさんは "Jesús Cristo" ではないかと主張された。おそらくは、より普遍的な向こうの解釈が当たっているだろう。)
 エレベーターみたいで申し訳ないが、一度下がった評価がこれらによって再度上昇する。かつてのネット知人Oさんには私信か掲示板に以下のような文章をしたためたことがある。その印象は今もって変わらない。

 メッセージソングをシリアスに歌ってもいい。
 しっとりしたバラードを歌ってもいい。
 脳天気なラブ・ソングもいい。
 結局何でもいいということなんですね(笑)。

ここで当盤の総合評価および採点が残っている。が、これが実に難しい。ネット上で「完成度は "Aidalai" の方が上」という意見を目にしたことがある。それに敢えて異を唱えるつもりはない。確かに技術的には "Descanso Dominical" よりも進歩しているかもしれない。ただし、それがそのまま魅力を発揮しているかといえば、そうではないと私は考えざるを得ないのだ。理由は先述したような「こねくり回しすぎ」である。とはいえ音楽自体のレベルは優に90点を確保しており、場外ホームランの "Tú" があるから95点としておこう。ちょっと甘いかな? ただし、日本盤はそうはいかない。例によって曲名にイチャモンを付けたくなってくる。独断で3曲目に「朝まで」を付けたり(そんなの歌詞にも見当たらんぞ)、4曲目から(記念日のはずなのに)日付を取ってしまったりしているのはまだ可愛いもの。次の「ムエルタ」(Naturaleza muerta)は思わず「何が?」と訊きたくなってしまう。被修飾語の不在は却下。さらに8曲目 "El lago artificial" はどう考えても「人工湖」ないし「人造湖」とすべきだろう。(現に歌詞中では前者を使っているではないか、と今まで思っていたが、実際には「人口湖」と誤植までされている。二重の意味で情けない。)「不自然な湖」は改竄もいいところ。そのあまりにも不自然なネーミングは到底認めがたい。11曲目「ブラック・キング」にしても、原題の "El peón del rey de negros" から主役がrey(キング)でなくpeón(ポーン)が主役なのは明らかなはず。わざわざ歌詞を見て語り手が誰であるかを確認するまでもない。やはり落第点である。ついでながら、ブックレットにはチェスに心得のある人間なら抱腹絶倒間違いなしの「ビショップをキャスリング」というトンデモ訳が載っている。(一応補足しておくと、キャスリングは「王の入城」のことだから明らかな誤りである。後述するような異常発生とは関係なく。他にも珍妙な表現がいくつも目に付いたので、訳者はチェスのルールを全く知らないとしか考えられない。)確かに元の詞が訳しにくいことは私も認めるが、torre(ルーク)との間でしか成立しないキャスリングにalfil(ビショップ)が乗り出してくるというのだから、これはよっぽどの緊急事態に違いない。もしかするとキングは味方が判別できないほどの混乱に陥っているのだろうか。そういった切迫感や奇想天外というニュアンスがあの訳ではまるで伝わってこない。「ビショップとのキャスリング! これは前代未聞のスクランブル作戦だぁ〜」ぐらいにしたらどうだったか?(でも長すぎるか?)最後の歌詞へのクレームは余計だろうが、計5曲の日本語タイトルに閉口したのは事実だから、これらを減点対象にしない訳にはいかない。よって90点。(1曲1点にまけとくわ。)

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