「おまけのおまけ」その後

 件の判決後に旗振り役(某掲示板では「広告塔」と称されていた)であるS水K明の掲示板を訪れたところ、掲載されていた彼のコメントに違和感を覚えたので、私は複数回にわたって投稿を試みた。が、書き込みがリアルタイムでは反映されないシステムになっているらしい。それどころか、いつまで経っても掲載されない。(数日前から機能不全に陥っていたらしい。)後で考えたら「おまけのおまけ」には全く問題がないわけでもないが、彼から何らかの応答があるまではそのままにしておくことにする。
 ところで、彼と面識があり、そちらの側に立っていると思しきP氏の投稿には、リンク先として自分の主催する掲示板のURLが貼ってあったので、勢い余ったという訳でもないがそちらにも何度か書き込んだ。以下はその一部から。

 さて、昨日は「発癌メカニズム」などと書きましたが、在来種の生存を脅か
 しているという点で外来魚は癌、それを引き起こした食生活が環境破壊に喩
 えられると思います。ですから、真っ先に取り組むべきは癌を切るなり放射
 線で焼くなりすること。(PさんもS水氏も駆除には賛成のようです
 し。)その上で再発防止のために必要なのが食生活の改善です。

 ですから、「真の原因」「スケープゴート」のような発言こそが私には暢気
 な見方と映ります。ドンドン大きくなっている癌を放っておいたら、いくら
 食生活を改めても手遅れ、死んじゃいますから。「すべて的外れです」とい
 うコメントには正直激しい怒りを覚えます。

 繰り返しになるかもしれませんが、いくら食生活(琵琶湖の環境)が乱れた
 としても、突然変異(外来魚の導入)がなければ癌は発生しなかったのです
 よ。自分の楽しみを守るために人はここまでエゴイスティックな考え方がで
 きるものなのでしょうか?(「所詮は他所者の見方」と言われても仕方がな
 いように思います。私の書き込みは身分もメルアドも明らかにして行ったの
 ですが、それも「便所の落書き」と同じ扱いですか。寂しいです。>S水氏)

(追記:「所詮は他所者の見方」は「所詮は他所者のきれいごと」とすべきだったと後で思った。)

補足しておくと、上の「真の原因」というのは「原因は外来魚ではなく環境破壊である」という主張を指しており、「スケープゴート」というのは「在来種の減少の責任を外来魚に押しつけている」という意見のことである。ところで、上の「すべて的外れ」にも顕れているが、とかく駆除反対派は「全か無か」のようなデジタル思考によって反論を試みようとする傾向があるように私は思う。別に釣り人だけではないが、そういう人達に説得を試みるのは非常に困難である。この際だから、旗振り役の掲示板への3度目の投稿(最も長いもの)も(読み返すといろいろ不備はあるけれども)一字一句そのままで載せることにした。

 S水K明様

 昨日は初めてにもかかわらず、不躾な投稿をしてしまいましたことお詫び申
 し上げます。内容にも未消化な部分があったと後で思いましたので、こうし
 て改めて文章をしたためている次第です。
 
 最初にお断りしておかなければならないことがございます。私は農学部卒
 (専門は作物学・栽培学)のため魚の生態についてはちっとも詳しくありま
 せん。ですから、十分に理論武装された人間には私の意見など簡単に論破で
 きてしまうようなものだとは思っています。ですので、大学助手という公の
 立場(←そういうのは琵琶湖研究所のメンバー等に任せます)からではなく、
 あくまで「鮒鮨をこよなく愛する一県民」として書かせていただきます。
 
 まず昨日投稿してから、「外来魚駆除」と「リリース禁止」はキッチリ分け
 て考えなければいけないと思い当たりました。(先述の「未消化」はそうい
 う意味です。)S水様も「外来魚の駆除に反対していません」と書かれてい
 ますし。その「外来魚駆除」ですが、
 
  反対派「護岸工事や水質汚染の責任を外来魚に押しつけるな」
  賛成派「外来魚の責任を護岸工事や水質汚染に押しつけるな」
 
 これはどこまで行っても平行線だと思います。「環境破壊」「外来魚の捕食
 行動」のいずれも在来種減少との因果関係が証明が極めて困難だからです。
 (賛成派の方はある程度は客観的な証拠を集めるべく努力しているように
 思いますが、反対派の人達はどうなんでしょうか? もし護岸工事や水質汚
 染がシロであると判った時には、まさか「農業廃水が真の原因である」など
 とは言い出さないでしょうね。それだと非常に困りますので。)現時点では
 両方とも灰色。だから「疑わしきは罰せず」としてこのまま放っておいて良
 いということにはもちろんなりません。公害と同じく「弱者救済」が最優先
 されるべきです。(水俣病では原因が工場排水中のアルキル水銀であると特
 定されるまで、本来なら防げたはずの被害が拡大してしまいました。)この
 場合の「弱者」とは言うまでもなく漁で生計を立てている人達です。ですか
 ら、仮に灰色であっても外来魚は駆除されるべきであると考えます。「弱者」
 ではない釣り人の方々には不本意であっても我慢してもらう以外ないと思
 います。(本当に申し訳ないですが・・・・・この点に関しては、S水様も
 異存はないように拝見しました。)環境修復の方にも全力で取り組むべきな
 のは当然です。
 
 とにかく「外来魚の駆除によって在来種の生息数が回復するか否か」という
 壮大な実験はスタートしてしまいましたから、その結果を見届けるしかない
 でしょう。もし外来魚がシロであると判定されたら、そこで駆除を止めても
 遅くはない(バスは減っても完全に絶滅はしないだろうから)と思います。
 以下は私見です。
 
 私は幼少時から今に至るまで琵琶湖をずっと見続けてきました。70〜80年
 代前半の琵琶湖は本当に汚かったのですが、90年代以降は驚くほどきれい
 になりました。最近、琵琶湖研究所で水草の研究をされている専門家による
 セミナーを聴いてきましたが、やはり90年代中頃から南湖(琵琶湖大橋以
 南)ではカナダモ等の沈水植物の増加によって水もきれいになったそうです。
 そして、藻が増えたということは同時に魚の隠れ場所も増えたということで
 す。にもかかわらず在来種の減少には歯止めがかからない。要は在来種の生
 息数減少(最近)と水質悪化(70〜80年代)は並行しておらず、明らかな
 タイムラグがあるということです。よって「水質悪化」は限りなくシロに近
 い、と私は考えております。一方、「護岸工事」は少なくともシロではない
 ですね。とはいえ、自転車で県内をそこら中走り回っている私からすると、
 まだまだ自然が残っているところは結構あると映ります。あるサイトには
 「99%の水際域が失われた」とありますが、芦原の変遷を調査した文献を読
 んでもそこまで極端な数字は見い出せず、いくら何でも大袈裟ではないかと
 感じました。その是非は措くとしても、工事によってそれまでの産卵場や生
 息域を奪われた在来種が広い場所に出てきた時、実に悪いタイミングで増え
 始めた外来魚の餌食になったということではないでしょうか? ですから、
 外来魚を「スケープゴート」にするのは間違いとしても、「共犯者」である
 ことは確かだと私は考えます。既に述べましたように、この段落は素人考え
 で書いたものなので、誤りがあればむしろ指摘していただいた方がありがた
 いです。
 
 今度は「リリース禁止」について。よく考えたら「釣り人が釣った魚を戻す」
 という行為は外来魚の生息数に対してはプラスマイナスゼロ。最初から釣り
 人が来なかったのと同じです。ですから、私は(大津地裁や國松知事とは違っ
 て)「やりたきゃどうぞ」です。「これで終わり」でも良いのですが、もう
 少し書かせて下さい。
 
 私は農家で生まれ育ちました。実家にも職場でもイネを栽培しています。も
 し私の目の前でバッタやイナゴがイネを食っていたら、とっつかまえて踏み
 つぶします。在来種だろうが外来種だろうが、あるいは希少種だろうが容赦
 はしません。それは生産者の正常な反応です。外来魚を引き上げた漁師さん
 も同じです。まさか「リリース賛成派」の皆さんもこれに反対されたりはし
 ないと思いますが(それも否定されるというのでしたら、小乗仏教などの教
 えによって否定するしかないと思います)、漁師さんが船の上でひっそりや
 ることも、堤防の上で踏みつぶすことも本質的には同じだと考えます。それ
 を子どもたちに指導した教師を非難されていましたが、「同じ県民である漁
 師さんに迷惑をかけている外来魚を駆除する」という説明がちゃんとなされ
 ていたのであれば、立派な「教育」ではないでしょうか?(少なくとも外来
 魚は「共犯者」のはずですから。)必要もないのにアリを溺れさせたり爬虫
 類を爆竹で吹き飛ばしたりするのとは全く意味が違います。にもかかわらず、
 それを安易に「殺戮」と決め付けられたことに対しては正直腹立たしさを覚
 えました。
 
 少々熱くなりました。何にせよ「わざわざ釣った魚を戻す」というのは私に
 はまるで理解できません。「漁獲量の減少で弱っている漁師さんを見ても何
 とも思わないのだろうか? ホンマにお気楽な連中やなぁ」と言いたい気分
 です。(調査捕鯨を妨害に来るような狂信的な連中と違って無害なのが救い
 ですが・・・・・)理解できないものに対してあれこれ言っても仕方ありま
 せんが、これだけは言わせて下さい。S水様をはじめ、リリース賛成派の方々
 は「自然とのつながり」「自然との対話」という言葉をしばしば口にされる
 ようですが、ならば、
 
 「あなた方はわざわざ琵琶湖まで来て釣った魚をリリースしないとそれが
 感じられないのか?」
 
 と問いたいのです。(もし本当にそうなら、私は「何と哀れな人達だろう」
 と思わざるを得ません。)どんな都会にも緑地公園はあります。それでは不
 足だと感じられたとしても、日本は山国ですからJRに1時間も乗ればコン
 クリートジャングルから逃れられます。(私はレジャー目的で自動車を利用
 することは容認できません。温暖化や酸性雨の原因となる排気ガスを必要も
 ないのに撒き散らしているのですから。)川の流れや鳥の声に耳を傾けなが
 ら野山を歩き回るだけでも、自分が自然の一部であることは十分体感できる
 ように思われてなりません。とはいえ、私も滋賀および琵琶湖が非常に魅力
 的であり、たくさんの人を惹きつけて止まない場所であることは認めており
 ます。(余談ですが、私は日の出前後の湖岸の風景が大変好きです。季節に
 よってどころか、曇り加減で日によって全く違った表情を見せてくれます。
 特に霧がかかった日の神秘的な美しさには言葉を失ってしまうほどです。)
 しかしながら、同じ場所に糸を垂れてジッと待つことが果たして「自然との
 対話」としてベストの選択なのでしょうか? (もちろん魚との格闘にエネ
 ルギーを費やすばかりが釣りではないのでしょうが・・・・もしそれだけな
 ら、最近は良くできたテレビゲームがあるらしいので、家でそれをやってお
 れば良い訳ですしね。) 例えばある駅で降りて数駅先まで歩いてみる、あ
 るいはレンタサイクルで走り回る、といった方が自然がずっと身近に感じら
 れるのではないかと私には思われます。また、東西南北を山に囲まれた県だ
 けに、魅力的かつ個性的な山がそこら中にあります。何年かけて廻っても絶
 対に飽きることはないと断言できます。にもかかわらず、なぜ琵琶湖で釣り
 なのでしょうか?
 
 こんな風にグダグダ書きましたのも、リリースを止めようとしない人達の語
 る「自然とのつながり」も所詮は建前で、「自分の愉しみを自分で奪うよう
 なことはしたくないから」という本音が裏に隠されているのではないか、と
 疑っているからです。一方、私の本音は「そんなにリリースがしたいんなら
 家の庭に穴を掘って金魚でも放してやっとくれ」ですが、既に「好き好き」
 の範疇に入ってしまっているようですので、何を言っても仕方がないことは
 承知しています。ということで、以下の条件付きで私は琵琶湖でのリリース
 を認めたい気分です。
 
 ・公共交通機関で来る。
 ・絶対にゴミを出さない。(可能なら来る前以上にきれいにする)
 
 また、昨日書きましたようにギルだけは回収ボックスに入れ、適正数維持に
 協力して頂けたらありがたいです。最後になりますが、いま滋賀県では獣害
 によって年間億単位の被害が出ており大変困っています。もし皆さんが増え
 すぎたシカやイノシシの駆除に来て下さるということでしたら(狩猟免許が
 要りますが)、それこそもろ手を挙げて歓迎したいと思います。
 
 以上、乱文乱筆失礼しました。それではごめんください。
 
ちなみに、最後の獣害に触れる前には以下のことを主張しようと思っていたのだが、つい忘れてしまった。

 釣り人の皆さんが本当に琵琶湖の自然を愛しているというのなら、その証拠
 を見せてください。いま滋賀県では芦原の復元に取り組んでいますし(私も
 職場の野外授業のテーマにしています)、近江八幡ではボランティアを募集
 して健全な群落を維持するための芦刈りを行っています。たまにはそういう
 イベントに参加される目的で滋賀県を訪れて下さい。

実はこの長文は私信にてP氏にも(上の忘れてしまった部分も加えて)送った。彼にも読んで欲しかったからである。そうしたら後日、非常に丁寧な返信を頂いた。もっとも、あまりの長文にウンザリされたのか、「コイツと話し合っても無駄だ」と思われたのか、とにかく「もう止めませんか」ということだったので、私は消化不良と感じつつも同意した。マナー違反なので彼からのメールは当然ながら公開しないが、それに対する私の返信を(やはり一切手を加えず)以下に載せる。

 P様(○○○様とおっしゃったのですね。)
 
 直々に返事を頂けるとは思っていませんでした。御礼申し上げます。私は時
 に感情に流されて書いてしまうクセがあるので、気分を害されたのは想像に
 難くありません。お詫び申し上げます。後で知ったのですが、「ゼブラノー
 ト」というサイトにて私よりもはるかに理性的&論理的(客観的)&明快に
 外来魚問題について考察されていました。私の考えていることもほとんど言
 い尽くされているように思いましたので、今回を限りに掲示板投稿および
 メール送信は止めようと思います。短い間でしたが、ありがとうございまし
 た。
 
 実は昨日、大学内の外来魚の研究をしているドクターコースの院生がいる研
 究室に行ったのです。私があの掲示板に書き込んだことを話し、主張が間
 違っていないかを確認するためでした。ちなみに彼を含む院生4人は琵琶湖
 に潜ってどんな魚がいるか直接に調査しています。彼らが撮った写真が来月
 6日まで展示されている、という記事が今朝の朝日新聞の滋賀版にも載って
 いました。なお、湖底は本当にバスとギルばっかりだそうです。
 
 さて、私が知りたかったことの一つにS水氏の掲示板の上に書かれている
 「外来魚の95%を占めているブルーギル」が本当なのかということがあり
 ました。外来魚駆除(1トンが目標でしたっけ?)に取り組まれている方の
 報告によれば網にかかっている外来魚のうち、最近は圧倒的に多いのがバス
 だからです。明らかにどちらかが間違っているこということになります。(当
 然ながらS水氏には「ソースを教えてほしい」と書いたのですが返答はあり
 ません。)その院生が答えてくれました。「それは南湖での話で、北湖では
 厳密な調査によるデータは未だにない。」(もし「データ」に値するものが
 あるとすれば、それはその捕獲報告ぐらいということです。)
 
 「ひどいな」と即座に思いました。既にご存知かもしれませんが、「南湖」
 というのは琵琶湖大橋の架かっている狭い所より南(下流側)のことを指し
 ます。水もよどみますし、大津や草津など大きな都市があるので環境負荷も
 大きく、北湖よりも当然ながら汚れています。(70〜80年代の水質汚染も
 主に南湖で問題となっていました。)そこで採られたデータがさも(面積で
 は圧倒的に大きい北湖も含めた)琵琶湖全体の状況かのように語るというの
 は、関東地方の統計を使って日本全体の将来を決めようとするような暴挙で
 はないでしょうか?
 
 もしS水氏があれを知らずに(あるいは知らされずに)載せているというな
 らまだ許せます。彼の「著しい事実誤認」によって既に主張は腰砕けになっ
 てしまっています。それを放っておいたら彼自身がいつまでも嗤い者になる
 だけですから。けれども、もし知っててやってるとしたら弁解の余地はあり
 ません。それは「情報操作」に他ならないからです。それも極めて悪質な。
 (私ら研究者がそれをやったらたちまち信用丸潰れですよ。素人だから無知
 でも許されるということもないでしょう。影響力の大きい人ですから。)他
 にもその院生はいろんなことを私に教えてくれました。「彼らは自分たちの
 都合のいいデータばっかりで駆除の反対理由を作り上げますからねぇ」と苦
 笑しながら。だから私もこれは言わずにいられない。「駆除反対派の人達が
 知らない、いや知らされていない事実は無数にありますよ」と。
 
 やっぱり暴走してしまいました。筆を置いた方が良さそうです。でももう一
 つだけ彼の言葉を。
 
 「『彼らは耳を傾けようとしない』と声高に叫んでいる当人こそがちっとも
 耳を傾けようとしていない」
 
 それではごめんください。
 
 PS.
 琵琶湖にはいつかいらしてください。「自転車で来い」は私の悪い暴走癖で
 すからお気になさらぬよう。特に北湖の豊かな自然を見ていただけたらと思
 います。
 
これにも補足すると、上で触れた「ゼブラノート」というサイトは、それをキーワードに検索すれば一発で出てくる。(作成者を直接に知る院生君によると、「ゼゼラノート」というサイトに対抗するべく立ち上げられたということだ。私がその言葉を発した瞬間、汚いものを見たかのように彼の顔が歪んだのを私は見逃さなかった。)ところが、上を読んだP氏はかなりきつい口調による返事を送ってきた。私が紹介した「ゼブラノート」に酷く気分を害したらしい。(「もっと勉強しろ」とも言われた。それはまあそうだろうけれど、何かと「科学的に」という割には氏から具体的な数値などはほとんど聞かれなかったように思う。私が指摘したS水氏の「情報操作」疑惑についてもノーコメントだったのは残念だが、これで終わりだろう。)とはいえ、あそこの「各論」で繰り広げられていた「・・・・だけが悪い訳ではない」という一種の詭弁に対する批判は、十分参考にする価値があるという私の評価は変わらない。一方、「ゼゼラ」はネット上にてかなり毀誉褒貶激しいサイトである。私もこれ以上のコメントは控えておく方が良いかもしれない。
 これらの経緯についてはKさんのサイトの掲示板にも書き込んだので、手抜きをしてそれらを載せて済ませることにした。なお、以下の引用部分(>付き)は自身の掲示板でのP氏の発言である。

 Wさんがおっしゃるような正論が通じる相手ばかりではないということです
 ね。私信もやり取りしたP氏は最後のメールで「科学的に」「もっと勉強し
 ろ」などときつい口調で書いてきましたが、

 >釣りやリリースが悪事という指摘がおかしい、と言っているのです。
 >もちろん責任がないとは言いません。
 >ですが過失割合で言えばせいぜい2割ほどじゃないのかな、という感覚が
 >あります。なぜ残り8割の責任については誰も追求しないのか?

 「感覚でものをいう人にこんなこと言われてもなぁ」という気持ち。住民の
 目には、「8割」は「感覚的」ですが絶対に誤りだと思います。琵琶湖の北
 の方は何十年も手が付けられていない湖岸が数十キロも続いているというの
 に、そこですら網にかかるのは外来魚ばっかりですから。ついでに言うと、
 琵琶湖大橋の架かっている所より北を「北湖」、南を「南湖」とよび、面積
 では圧倒的に大きい前者で漁業は主に営まれています。一方、南湖は水もよ
 どみやすく、人口の多い街もあるため水は北湖よりも汚れています。ところ
 が、S水氏が自分の掲示板で「外来魚の95%を占めているブルーギル」と
 書いているのは南湖のデータですからね。駆除に取り組んでいる方のサイト
 によれば最近はバスの方が断然多いようです。故意か無知かは判りませんが、
 この「著しい事実誤認」を指摘してもS水氏もP氏も完全無視。こういう人
 達だけには「科学的」という言葉は使ってもらいたくない。「誰も追求しな
 いのか?」なんて、まさに先述した「〜バス問題の論点の整理〜」で採り上
 げられている問題すり替えの典型です(あのサイトが相当気に障った様子)。
 私の職場で外来魚の研究をしている院生の感想「あの人達は声高に『他人の
 声に耳を傾けようとしない』と叫んでいるくせに、自分たちに都合の悪い事
 柄には耳を塞いでしまう」の実例を見ることができたことが唯一の収穫(釣
 果)でした。

「Wさん」はKさんのネット仲間&掲示板の常連で、私はかなりの論客と拝見している。この際だから上の「正論」も載っけてしまおう。

 >魚を見送る時「元気でな」と思う感覚は、水中環境へ思いを馳せること
 >無闇に殺したくないからとお願いしているキャッチアンドリリース

  という表現のきれいごと。(あるいは想像力の貧困さ)
  釣りをするってことは魚を痛めつけることじゃないですか。殺さなけ
 れば痛めつけるのは平気なわけですよね。さらには、いくらバスがタフ
 な魚だと行っても、釣ってしまったがために消耗してしまい、その結果、
 釣られたことが直接の原因になってリリースしてしばらくして湖面に浮
 かんでしまうかもしれないじゃないですか。それはどうでもいいわけで
 しょ。
  魚に思いをはせるなら、生き物が大切なら釣らなければいいと思いま
 すけどね。

リリースに対する見解では私と見事なまでに一致している。もう1つWさんの「正論」、およびそれに対する私のレスを載せて今度こそ終わることにする。

  泉さんを相手にして「科学的に」と詰問できるなんてたいした御仁ですね。
 科学ってデータの世界なのに。データの精度・信頼性、そしてデータの解釈。
 S水氏のHPの95%の数字には引用がないから科学の世界ならその時点で公
 表不可でしょう。最低限泉さんの主張するような複数地域での調査結果とか、
 ここ数年の収穫に占めるバスの占有率の変化を(引用元を明らかにして)提示
 してくれないことにはね。
  科学的じゃない人ほど「科学的」という言葉を使いたがる傾向があるように
 思います。そうした人たちの科学的=信仰なんですよね。オウム真理教も科学
 が大好きだった。

      (ここまでがWさん、ここから先が私)

 この問題については私も専門外ですから間違っていることは多々あると思いま
 す。(ですから、実際に琵琶湖に潜って外来魚の調査を行っている他研究室の
 院生を訪れ、いろいろ話を聞くなりしてきた訳ですが・・・・)下手なことを
 口走って突っ込まれるのも癪なので、向こうが「終わりにしましょう」と言っ
 てきた時は正直ホッとしました。

 「外来魚の増加によって固有種が減少したという科学的根拠はない」という主
 張を繰り返している人達も、「環境破壊(水質悪化と護岸工事)が真の原因で
 ある」を裏付けるような科学的根拠はぜんぜん出してくれないんですね。(外
 来魚増と固有種減は同時進行でしたから、因果関係は証明されていなくとも負
 の相関関係は認められます。一方、琵琶湖の水質が最も悪化していたのは70〜
 80年代にかけて。これを根拠とするにはタイムラグが大きすぎるように思いま
 す。護岸工事の影響については、正確なところはわかっていないというのが現
 状です。こういう場合に「弱者保護」、つまり漁師さんの生活を守ることを優
 先するのは当然と私は考えます。)出してくるのは都合の良い部分をつまみ食
 いして組み立てたものばかり。こういうのを「似非科学」と呼ぶんですけどね
 ぇ。Wさんの「そうした人たちの科学的=信仰なんですよね。」はまさしくP
 氏に対して私が感じていたことでした。「この人が好んで口にする『科学的』
 ってまるでお念仏(南無阿弥陀仏)みたいだな」と。自分からは具体的な意見
 を述べず、私には繰り返し「科学的」を要求してくる態度にはウンザリでした。

後で考えたこと。百歩譲って「外来魚を駆除してもリリースを禁止しても在来種は増えない」という連中の言い分を認めるとしよう。しかし、その場合にも私の職場の向かいにある水産試験場などで人工孵化・飼育することはできる。(先日見学に行ったが実際にやっていた。)稚魚を放流しても餌食にされないというだけでも、リリース禁止と駆除には十分な正当性があるということにはならないだろうか?

2005年5月追記
 4月上旬の新入生オリエンテーション時に行われた自己紹介にて、「S水K明をブッ潰す」という抱負を掲げた入学生がおり、出席していた同級生および教員の爆笑を誘った。しかし、上でも触れたように、ろくに科学的根拠(ソース付き)も示さずに身勝手な主張を繰り返すだけという姿勢を変えようとしないのなら、別に誰かが手を下さずとも遅かれ速かれ自分から潰れていくだろう。私はそう思って聞いていた。そういえば、「すべて的外れ」云々の腰砕けコメントがトップに置かれていた件の掲示板はいつの間にか閉鎖されている。ところで、S水は控訴審の原告団から外れたようだ。「タレント活動に支障が出ている」というのが表向きの理由らしい。ちなみに「彼は広告塔として利用されているだけ」という投稿をかつて某掲示板で目にしたことがあるが、本当だとすれば気の毒という他はないと思っていた。もしかすると、それに気が付いて嫌気がさした、あるいはバカバカしくなったということだろうか? 何にせよ、「広告塔」の宿命とはいえ、数々の無責任発言の後始末をさせられる可能性が極めて高かっただけに、支持者(それとも利用していた者達?)からトカゲの尻尾切りに遭う前に自分から降りたのは賢明な判断といえるかもしれない。

2005年9月追記
 許光俊のページには、彼の新刊「オレのクラシック」中に「オレのブラックバス」という項があるのを青弓社のサイトで見て「何だ何だ何なんだ?」と驚いたことを記したが、後に「犬」サイトの「許光俊の言いたい放題」(第51回)「もしクラシックが禁止されたら? リリー・クラウス集について」にて彼がブラックバス問題に触れていることを知った。(興味のないピアニストなので掲載時には読まなかった。)どうやら水口憲哉(東京海洋大学教授)の「魔魚狩り」を主張の根拠としているようだが、その水口にしても早大教授の又聞き(科学的データなし)で「ブラックバスが在来魚の敵ではない」と言い切っているようであるから、これを一方的に信用するのは危険ではなかろうか? バランス感覚を失わないために、駆除賛成派の書いた「わたし琵琶湖の漁師です」(戸田直弘著)なども読むべきではないかと思った。(光文社新書なので著者割引もあるだろうし。)ちなみにその本では、あるシンポジウムでのS水の言動が紹介されている。それは品性が疑われても仕方がないほど下劣極まりないもので、著者は「バスに心を食われてしまったのではないか、と哀れに感じ、腹も立たなかった」とコメントしていたが、確かにそれが事実だったとしたら芸能人以前に人間として失格であろう。

2005年12月追記
 某掲示板某スレにK大H学部作成と思しき許の教員紹介ページのURLが貼られたので行ってみた。当然ながら誰かさんのようなおバカなページではなく簡素な作りであったが、「所属学会・団体」の欄に「BBF(Black Bass France)」とあったので思わず笑ってしまった。どういった活動をしている団体なのか気になったので検索し、早速サイト(http://www.planetepeche.com/bbf/Home.html)に飛んでみた。英語と仏語によるページが公開されていたため、もちろん前者を少し読んでみたところ、"#What's for?" という頁の一番下に置かれていた“BBF is also involved in the development of the "Catch and Release" fishing trend.”という一文が目を引いた。もしかすると、琵琶湖に潜って網を切り裂くなどバス&ギルの捕獲を妨害するための工作員を日本にも送り込んだりしているのだろうか?(まさか。)

2006年1月追記
 上に出てくる「勉強しろ」発言について。この問題について先日情報収集をしていた際、あるブログにて「『勉強してください』という“逃げ口上”」と題する文章を偶然見つけた。要はこの言い回しによって「勉強しているワタシ」と「勉強していないアナタ」という上下関係を作り出し、「ほんとは何も説明していないのに、正しいのはワタシの意見だということにしてしまう」という卑劣な手口を批判したものであるが、「もし『アナタ』の考えがおかしいというのであれば、『勉強しろ』と何の説明もなしに否定するのではなく、『アナタ』に欠けていて『ワタシ』が持っているものを指摘し、論理立てて説明すべきなのだ」はまさに至言である。最後の「『勉強してください』と言った人(=ワタシ)が、実際に具体的に何をどう勉強すると『ワタシ』の意見が正しいという結論に辿りつくかという説明をしたところを見たことは、一度も無い」にも膝を打った。

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