2007年走行記録

3月31日
 今年は記憶にないほどの暖冬だったため、(いつもは4月からの)土曜の自転車通勤を2ヶ月も前倒しして開始した(ただし3月上旬は寒かったので一時休止)。スギ花粉の飛散も例年より早かったようで、既に1月終わりにはくしゃみを連発していた。とはいえ私の花粉症はさほど酷くはなく、それ以外には目が少し痒くなるのと時々水洟が止まらなくなる程度である。なので特に薬を飲んだりマスクを付けたりはしていない。以前は鼻が1ヶ月以上にわたって完全に塞がってしまうのが常だったが、それも今年は2日ほどで収まってくれた。ちなみに定期購読している雑誌「現代農業」が繰り返し紹介している「花粉療法」「つぼみ菜療法」(註)というのを始めてもう何年にもなるが、その効果で軽く済むようになったのか、たまたま花粉が少なかったからなのかは判らない。(註:約1ヶ月前からアブラナ科植物の開花直前の蕾を毎日少しずつ摂取するというもので、減感作療法の一種である。私は大学内の圃場で栽培しているナタネの花茎を摘んで持ち帰り、茹でてから冷凍保存して翌年に備えている。ちなみに苔立ちしたキャベツでもハクサイでもチンゲンサイでもOKだし、そこら辺の野原や河原で自生している菜の花 (カラシナ) でも構わない。)むしろ昨年あたりから症状が出始め、これから本格的シーズンを迎えるであろうヒノキの方が気に懸かっている。
 ということで、両花粉症の谷間に当たるこの時期に「自転車開き」に出かけようと考えていたのだが、あいにく土曜の夜から日曜朝にかけてドシャ降りというパターンが2週続いてしまった。そうなると恒例の賤ヶ岳→山本山の押し&担ぎコースは断念せざるを得ない。(ぬかるみで汚れるのは我慢できるが、ただでさえ滑りやすい土道の上り下りは自転車携行だと少なからず危険を伴う。)また、冬眠しなかった熊が腹を空かせてうろつき廻っているとの各種報道も気に懸かる。そこで規模は小さくなるけれども、職場から目と鼻の先にある荒神山に登ることにした。自室からも見えるが、北から眺めた姿はなかなかに立派である。(後述するように方向によっては必ずしもそうではない。)とはいえ標高284mという低山、しかも麓で既に海抜100m近くあるから全然大したことがない。これが2回目で前がいつだったかは思い出せないものの、その時と同じく東側の登り口からスタート。総長2800m(ただし山頂はさらに数十メートル先)の完全舗装道路で100mごとに起点および終点からの距離を記した看板が立っている。まさに至れり尽くせりである。しばらく行くと通行止め表示とともに道が閉鎖されていたが、例によって無視して進入した。確かに途中に派手な崩落箇所(工事中)はあったが、担ぎで難なく通過できた。
 力が余っていた訳でもないだろうが、勾配のキツイ所も立ち漕ぎを駆使して一気に相当な高さまで登れてしまったので我ながら驚いた。初登頂時はもっと手前で押しに変えたと記憶しているから、この数年間で少しは鍛えられたのだろうか? さすがに残り500m地点で息が上がったため、そこに置かれていたベンチに座って呼吸を整えた。以降は急傾斜だったので押し。(慣れた人ならノンストップでの完走も十分可能だろう。)頂上にある神社の境内で10分ほど休憩。
 後は降りるだけである。登山道が何本か付けられているものの担いで下るのは怖いので自重。もちろん同じ道を引き返すのはつまらない。となると残る選択肢は素直に舗装道路を進んで反対側に下りるしかない。こちらのルートの方が200mほど短く、すなわち平均傾斜もやや急ということになる。何にしても麓に着くまでに大して時間は掛からなかった。これでは全く物足りない。ということで山の周囲をグルッと一回りすることにした。(天気図の「晴れ」の記号を想像していただきたい。)それにしても全くつかみ所がない山だ。そもそも真っ平らな場所(周囲は水田地帯)にポコッとただ1つ佇んでいるのだが、少し走ると形がコロコロ変わるから、立ち位置によって1〜4本の範囲で変動するという「お化け煙突」を思い出した。地図を見ると等高線はうねりにうねっており、山を取り巻く道も当然ながらクネクネ。そこそこアップダウンもあるから走り甲斐は結構あった。それでも高々5kmのコースだからやっぱり物足りない。そこで山の西にある曽根沼という水溜まりの周囲も勢い余って廻ってしまった。琵琶湖一周のリハーサルのつもりで。(←ならへんならへん。)
 そんな訳で今年はチンケとしか言いようのない自転車開きに終わってしまった。にもかかわらず2千字以上を費やしてしまっていることに自分ながら呆れている。こんな調子では最終的に本ページがどのくらいのボリュームになるのか想像も付かない。(さすがに字数が6桁に到達するということはないとは思うが。)なお、このところ夕食→入浴後に体重計に乗ると76kg台の数字が表示される。ついでながら(電気抵抗で測っているためあくまで推計値だが)体脂肪率は約22%である。ここまで増えてしまったのは何年ぶりだろうか? 当サイト執筆作業のため出かける回数が少なくなったことが最大の元凶である。何としてでも今シーズン中に1割は減量したいところだが、さて?

4月21日
 昨晩は交流委員会(学生有志一同)主催による学科の新入生歓迎会(野外バーベQパーティ)だった。毎年これは相当に根性の要る飲み会になる。二日酔いは必至。それゆえ土曜日恒例の執筆作業をしようにも、どうせろくなものは書けないだろうと考え、ならば懸案になっていた長命寺方面の山歩きに出かけようと思い立った(実は昨年の同様の日に計画していたのだが雨天により中止)。朝7時過ぎに職場を出て南に向かう。体が何となく熱っぽいのはアルコールが少し残っているためかもしれない。(ならば道路交通法違反だが。)少し走っただけで汗が噴き出してきた。私の二日酔いは大体午前10時頃から酷くなる。頭痛や吐き気に悩まされ、時には本当に吐いてしまう。(複数回に及ぶこともある。一応断っておくが、もちろん月〜木曜日に飲酒する場合はこんな事態に陥らぬよう量を控えている。)ところが、この日は最後まで目立った症状は出てこなかった。手っ取り早く得ることができるため、アルコール分解によるエネルギーが優先的に利用されるのだろうか? とにかく梅干し顔面貼り付け法や熱々の緑茶、あるいは具のタップリ入った味噌汁といった「特効薬」よりもアセトアルデヒドの蓄積に由来する身体的苦痛の軽減効果は断然高そうだ。
 右手に沖島を眺めつつアップダウンやカーブの多い湖岸道路の旧道を走り、出発してから約1時間後に長命寺の登り口(日吉神社)に到着。いつものペース通りである。最悪の場合は808段の担ぎ上げも覚悟していたのだが、実際には西側に舗装道路が付けられていた。(知らなかった。)ただし斜度はかなりのもので押しでも息が上がった。もちろん漕ぎで上ろうとは一瞬たりとも考えなかった。20分ほどで中腹にある長命寺(西国札所の31番)に着いた。そこから登山道に出られないかと捜してみたが見つからず。(進入禁止の札とともに針金で塞いでいる道があったけれども自粛した。正解だった。おそらくは荒れ果てており、無理に入っていたら迷っていたかもしれない。)少し下りて目星をつけておいた場所(「奥島山国有林」の看板あり)から山に入った。人通りの多そうなハイキングコースでよく整備されている。もっとも自転車携行者のことは当然ながら考慮されていない。押しと担ぎが6:4ぐらいだっただろうか。ほとんど乗れなかった。また尾根筋に出ても左右の視界はほとんど閉ざされていた。寄り道した長命寺山の山頂(海抜333m)も同じ。さらに高い奥島山(津田山)の頂上(同424.7m)を経てしばらく進むと広い場所に出た。新たに造られた林道と合流したのである。それを少し下ってから左に折れて登り直すことは事前に調べていたのだが、厄介なことに私の持っていた1/25000図よりも林道工事が進んでいたため、ただでさえ入り組んでいる道路網のどこに自分がいるのかが判らなくなってしまった。(読図力は全然向上していない。)道案内の看板が所々に設置されていたものの表示は今一つハッキリしない。結局は本来林道から外れるべき地点の1つ手前で林内に入ってしまった。間もなく国民休暇村のウォークラリー用の道と判明したが、それゆえに通行は非常に楽である。ただし私が本当に辿りたいコースではない。このまま進むと笠鉾山山頂(305m)を経て休暇村に出てしまうため、ロープが渡してあった右方への道を選んだ。覚悟の上ではあったが、以降の約140mイッキ下りがこの日は一番辛かった。石ゴロゴロ道で担ぎを余儀なくされたのである。今これを書いている間も(大したことはないものの)右膝が痛むのだが、あの時に負担をかけすぎたためだろう。下りきった所で右折し、ようやく本来のルートに復帰できた。途中で「奥島山林道を経て島町の○○バス停へ」という立て札を2度ほど見た。そういえば島町や隣の白王町といえばイノシシなどによる農作物の食害に悩まされている集落であるが、この日は特に獣に出くわすということはなかった。ちなみに白王町には農地と山林の間を切り開いて緩衝地帯を設ける、あるいは牛を放牧するといった隣の学科の先生の発案による獣害対策の検証サイトがある。実は「環境フィールドワークII」という野外授業で私はその先生と同じグループに属しており、両集落を来月前半に2度を訪れて国有林の植生調査と間伐体験を行うとともに、その調査地も見学することになっている。余談ついでだが、「奥島山」「島町」のような名が付けられているのは、かつて琵琶湖周辺の内湖のうち最大の面積を誇っていた大中之湖が干拓されるまで沖島と同じく琵琶湖に浮かぶ島だったからである。
 戻って、あとは168mおよび177.3mのピーク(ただし後者は脇)を越えるだけである。もっとも、そこからは人通りがさほど多くない感じで、倒木および数十cmにまで伸びた裏白羊歯による進路妨害に数回ずつ遭遇した。芒はしょっちゅうだがシダ植物に行く手を阻まれたのは初めて。苦戦の末ようやく大中町の外れに出た。途中で少し迷走したけれど、これで何とかかんとか長命寺山〜奥島山の縦走ルートを全うしたことになる。所要時間は3時間ほど。距離的には賤ヶ岳〜山本山コースよりも短いが、難易度ははるかに上である。先日アップ分は何ともショボい走行だったから、これが真の「2007年度自転車開き」といえるかもしれない。ここで昼食休憩。
 まだ時間は早いので伊崎不動とやらが祭られている寺に向かうことにした。登り口は判りやすい。しばらく幅の広い土道を進む。が、またしても分岐点で間違ってしまった。左の道にはご丁寧にも「登り道」の札が立っていたので素直な私は従ったのだが、そっちは歩行者用の道で途中から延々と丸太による階段が付けられていたのに閉口した。(普段ならどうということはないが、先程の山歩きで消耗していたので担ぎは結構辛く、何度もインターバルを取らざるを得なかった。あそこを直進すればどうということはなかったと知ったのは、2本の道が再度合流する地点でのことだった。遅すぎ。(あと驚いたのが野鳥の多さ。鳴き声からカラスかと思って見上げたが羽の色は黒くなかった。鳥類には全く詳しくない私ゆえ自信はないが、もしかするとあれが竹生島の北岸で大発生し、環境問題を引き起こしているカワウだったのかもしれない。だとすれば、同様に糞尿由来の窒素やリンによる濃度障害で木が枯れてしまう恐れもあるのではないか?)以後は漕ぎと押しの併用。右手に伊崎山(210.4m)登頂用の道(やはり階段付き)が見えたが目的地ではないため無視して進む。間もなく行き止まりと見えた場所に出たが、その先からシングルトラックが続いていた。昔から存在していた道と思われる。この地帯の道路は現在の地図では全て点線で描かれているが、次の改訂ではそこまでが実線道として記載されるだろう。以降も路面状態は非常に良く、ほぼ完全に押しで行けた(ただし幅は狭いので漕ぎは危険)。それからの道のりが予想以上に長く、まだかまだかと思っている内に半時間近く過ぎてしまった。ようやくにして境内の裏に出たら、おばちゃん達3人が掃除をしていた。表参道の幅は十分に広く、段差のため担ぎが必要な区間が少しあったものの通行には全く支障なし。そのまま県道25号線には出ず、大同川までは湖岸沿いの舗装道路を進んだ。戻るまでに約50分かかったのは途中でガス欠に陥ったためである。食欲&空腹感が全くなかったとしても朝食は摂ってくるべきだった。
 さて、これから黄金週間を迎える訳だが、今年は4月30日(昭和の日の振替休日)にノルマの1つである琵琶湖一周を走るつもりである。(ただし、風のなるべく吹いていない日が望ましいため日程変更はあり得る。とはいっても午後は大抵日本海側から吹き込んでくるのだが・・・・)そして5月の4連休のうち2日間(いつになるかは天気次第)出かける予定である。行先は昨年の走行記録に書いた桝谷ダム方面および三国攻めである。実は当サイトの音楽コーナーに多少の蓄えもできているので遠乗り4連投も可能ではあるが、さすがにこちらの身が保たない。

4月28日
 30日に予定していた琵琶湖一周を2日繰り上げることにした。週間予報がもう一つ芳しくなかったからである。とはいえ、この日にしても朝刊の1面と地方面、そしてNHKの天気予報がバラバラで頭を悩ませたのであるが・・・・まあドシャ降りにはならないだろうと思って(高をくくって)出発した。今年も(上から眺めた場合の)反時計回りによる完全一周(大橋は経由せず)である。6時28分出発。
 コースの詳細については既に他ページに記しているから、ここではあまり書くことがない。奥琵琶湖トンネルを抜け、追坂峠を一気に下ったらいつもは速やかに湖岸ギリギリの旧道に入るのだが、この日は県道海津今津線(風車街道)を道なりに進んだ。以降も特に湖岸にはこだわらなかった。とはいえ距離的には大して違わないから、決してズルはしていないと思う。(ちなみに安曇川では横江浜集落内を通る旧道の方が近道にもかかわらず入り損なってしまった。)いつもは出発して約2時間で今津港に着いて休憩というパターンだが、今回のラップも2時間3分であった。ところがサイクラーズ・ハイ(?)のためか疲労は全く感じなかった。それどころか次第に調子が上がってきたため、後輪のギアを7段に保ったまま疾走し、3時間後に白髭神社前に到着。過去に記憶にないほど快調なペースである。(とはいえ、途中で何台もの自転車に追い抜かれた。それもアッという間に。長距離ツーリングに適した軽量の高級車がちょっとだけ欲しくなった。)ここで地図を見ながら「あるいは10時間を切れるかも」と思った。が、甘くはなかった。
 高島市(旧高島町)から大津市に入る。(もちろん旧志賀町だが、いきなり大津というのはさすがに違和感を覚える。)北小松からは湖岸に出ず、そのまま酷道161線を進むことにした。つまり距離優先の代償としてボディ・ブロー(アップダウン)攻撃を甘んじて受けることにしたである。さすがにこれは応えた。(やはり多少遠回りでもサイクルロードを通った方が良いのかもしれん。)琵琶湖大橋に向かう交差点辺りでグロッキー状態となった。(橋を渡りたくなったが何とか堪えた。)そこから先は非常に辛かった。相変わらすの起伏、そして歩道の段差、さらに悪いことに向かい風が吹き始めたためダメージがジワジワと蓄積。今日こそは5時間キッカリで瀬田川大橋を渡れるはずと思っていたのだが、結局は近江大橋たもとの膳所城跡公園までしか行けなかった。これまでと同じである。空腹でどうにもならなくなったので昼食休憩(30分)。ここから自宅まで80キロ弱(ちなみに最短距離を選べば約65km)を4時間半以内で走れたらめでたく目標達成となるが、帰路は疲労と逆風のためガクッとペースが落ちてしまうのが常である。だから半分諦めの心境になっていた。何はともあれ再出発。
 新聞全国面の時間帯別予報では大津は12〜15時まで傘マーク(ただし閉鎖)だったが、案の定というべきか、午前中は晴れ渡っていたのにいつの間にか雨雲が空を覆っていた。ただし、こちらも想定の範囲内だったように雨は大したことなく、時々ポツポツと当たる程度。だが北東からの風には参った。地図を見れば判るように律儀に湖岸沿いに付けられた道路は進行方向をコロコロ変える。それでもフォローになったことは一度もなかった。大抵は左前方からの横殴りで、これは何とか受け流すこともできたが、守山市赤野井町からしばらくは正面から強風を喰らったのでノロノロ進むしかなかった。それでも13時少し過ぎに琵琶湖大橋付近に着いた。この時点で「もしかしたら」という気になった。
 湖岸道路はその先しばらく基本的に東へと進路を取っている。これは非常に助かった。長命寺方面の旧道との分岐点まで1時間の見込みだったが、そのお陰で生じた5分の貯金を疲労回復に充てることができた。ところが、大中干拓地でモロ向かい風となり大幅にペースダウン。次のチェックポイントである職場前の交差点まで同じく1時間のはずが10分遅れてしまった。さて、残り時間は65分である。いつもの通勤なら50〜55分で戻れるが、何せこの風、そして疲れである。余談は許さない。ここで最後の休憩をとり、途中でガス欠を起こさぬよう持っていた飴を全て口に放り込んだ。
 ここから先の風は冗談抜きに凄まじかった。波はうねりにうねっている。まるで冬が戻ってきたかのようだ。何かの嫌がらせではないかと被害妄想すら抱いてしまう。(さらに腹立たしいことに、帰宅後テレビで天気予報を観たら月曜日は晴れ時々曇りに変わっているではないか!→後日追記:結局この日の近畿地方の降水確率はほとんどの府県で午前、午後とも0%だった。さらに風も弱の予想である。実際、帰りに見た湖面は平穏そのものだったから何ともNow, now see!)救いは斜め前からだったこと。これがまともだったら間違いなくアウトだったであろう。湖岸道路に別れを告げ、長浜新川沿いに付けられた夕映えさいかち通りに入った時はホッとした。以後もスピードが全然上がってこないのは解っていたが必死で漕いだ。そして家に着いたと同時に時計を見たら「16:25」(リミットの3分前)の表示。本当に嬉しかった。が、こんなタイムトライアルはもう懲り懲りである。(もし9時間を切ろうとすれば余程の幸運に恵まれ、なおかつ死に物狂いで漕がなければならないだろうから考えたくもない。)もはや懸案は解消されたので来年からはマイ(チンタラ)ペースで走ることにする。しばらくぶりに鯖街道(湖西)→琵琶湖大橋の変則的0.75周にしようか?
 最後に、琵琶湖東岸に出てから逆風攻撃でヘロヘロになりながらも湖岸道路(の歩道)をそれなりのスピードで走ることができた(←今思うにこれが大きかった)理由を挙げておく。怪しい空模様のためか行楽客はさほど多くなく、駐車場から溢れた四輪車に邪魔されることが皆無だったのである。そのため殺意解消用に準備していた五寸釘が活躍する場面も全くなかった。

おまけ
 長時間走行によって体重と体脂肪率がどの位変化するものなのか興味があったので、試しに測ってみた。結果は以下の通り。(ちなみに我が家の体重計では体重は0.2kg、体脂肪率は0.5%刻みでしか表示されない。)

 出発前:体重,76.8kg;体脂肪率,23.0%
 (ただし走行前補給として水を約1リットル飲んでから体重計に乗っている。)
 帰宅後:体重,74.6kg;体脂肪率,22.5%

まあこんなもんだろう。減った体重のほとんどは水分と思われるし、電気伝導率から算出される体脂肪率もそれに大きく影響されるからあくまで参考にしかならない。(ちなみに携行した2リットルのペットボトルには途中で水を注ぎ足したので正確な量は判らないが、少なくとも2本分は飲んでいるはずである。)ちなみにネットで調べてみたら1時間漕いでも消費されるのはせいぜい250kcalかそこらだそうな。こりゃ話にならんわ。何か1日で1万ぐらい消費できるような運動はないものだろうか?(それでも脂肪1kg程度の熱量にしか相当しないのだが・・・・)

おまけ2
 私は前夜の飲み会で職場に泊まった翌日に時計回り(湖北のトンネル街道を最後に回すルート)で家に帰ったことが何度かある。それを勝手に「遠回りの帰宅」とか「道草」などと呼んでいるのだが、いつかJRでも同じことをやってみようと考えていた。つまり隣の駅までの切符を買っておいて琵琶湖沿線を一周するというものである。例えば長浜駅から北陸本線→湖西線→東海道本線→北陸本線と乗り継いで田村で降りれば140円(逆コースの北陸本線→東海道本線→湖西線→北陸本線で虎姫下車なら180円)で済む。
 この手法は4月28日付朝日新聞土曜版(be on Saturday Entertainment)の「鉄道大回り旅」という記事でも紹介されていた。大都市近郊区間では同じ駅を2度通らない一筆書きの要領であれば、実際に乗車した経路に関係なく最短経路の運賃が適用される。実はそれは以前から私も知っていた。ただし関西では(大都市というからには)京阪神のみが該当すると思い込んでいた。ゆえにエリア外の滋賀県でもそれを実行する分には構わないけれども(そして車掌に見つかりさえしなければ問題なしだが)、もし検札を受けたら実費との差額分を請求されるとして及び腰だったのである。ところが、本ページ執筆のためネット検索し、通称「琵琶湖環状線」も近郊区間に含まれていると遅まきながら知った。これは嬉しい。そうなると鉄道による格安琵琶湖一周の旅に留まらず、近畿6府県を完全制覇することも可能である。この夏あたり買ったままになっている文庫本を持ち込んで一丁やったろか。(こうして「鉄ヲタ」の世界へ着実に足を踏み入れていくのだろうか?)

5月3日
 この日懸案になっていた三国攻め(栃ノ木峠→高倉峠→鳥越峠)を敢行することにした。(ちなみに高倉峠は「こうくらとうげ」と読む。)上温谷から赤谷川を遡上して桝谷ダムに出るルートを「前走」として予定していたのであるが、前日の雨で土道がぬかるんでしまうと下りで泥だらけになる恐れがあるため回避せざるを得なかった。一方、三国攻めの方は土道が高倉峠に至る塚林道の福井県側だけで、あとは舗装道路だからその心配はない。2002年に挫折して以来、2度目のチャレンジとなる。正直なところ私の走力では限界、というより無謀という気すらしている。しかしながら、今度こそ石にかじりついてでも達成しておきたかった。なぜなら、このところ走力が目に見えて低下しており(註)、今回もし失敗に終われば永遠に無理かもしれないと思ったからである。(註:昨年は全盛期と比較して2割ほど落ちているという印象だった。体重増の影響もあるだろうが・・・・)そんな訳で悲愴な、は言い過ぎだとしても並々ならぬ決意を持って家を出た(6時25分)。
 ダラダラ文章は避けたいので途中は省く。塚林道の起点(峠まで11km)に着いたのが10時少し前でほぼ予定通り。嬉しい誤算だったのが完全舗装されていたこと。お陰で順調に登る(押す)ことができた。土砂崩れにより3km地点から全面通行止との表示が目に入ったが、既に道は修復されており通行に支障はなかった。(ただし平日は工事車両が道を塞ぐと思われるから15日の正式な開通を待つ方が賢明であろう。)また距離表示の看板が劣化して「○km地点」の文字がほとんど読めなかったも気にならなかった。
 前回来たときは雲海を見下ろしながら登ったが、あれはまさに壮観だった。辛い思いをしてまで山に登ろうとする人の気持ちが少しだけ理解できた。(これ前にも書いたな。)あまり出来は良くないが1枚載せる。2度目ゆえ上方に見える道の切れ目に騙されることはなかった。(3つ目の少し先に峠がある。)昼前には何とかと思っていたが、途中の栄養補給も功を奏したようで空腹に足が進まなくなることもなく、結局20分を余して到着。滋賀県が介在しない峠に立つのは実に久しぶりだ。それにしても素晴らしい林道、そして山々である。もう少し家から近かったら(八草峠並に2時間程度で着けるのなら)毎年でも来るのに・・・・ここで12時まで昼食休憩。
 岐阜県側(揖斐川町の旧徳山村地区)に入ってからは途中にウソの峠前の上りがあるものの基本的には下り。ところで私は国土地理院(地図閲覧サービス)のサイトから1/25000図をダウンロードして事前に走路をチェックしていたのだが、その後何の気なしにマピオン(地図情報検索サイト)で同地域を目にして絶句した。橋とトンネルばっかしではないか!(昨年から貯水試験が始まっていたとは全く知らなかった。)ということで予備知識を得てはいたものの、すっかり様変わりしてしまった光景にはやはり驚かない訳にはいかなかった。(なおダムの最上流部分は道路工事が完了していない。強引に立ち入り禁止区域に入ったため迷ってしまった。)何枚か写真を撮ったけれども、沈んでしまった徳山地区が忍びないため公開は控えておく。(既にあちこちのサイトにアップされているし。)
 国道417号線の旧道から新道に合流したらいきなり塚白椿隧道(全長3330m)の入口である。これまで私が通過した中で最長だった八草トンネル(同3025m)の記録を1割ほど更新した。以降も1000m超のが続く。トンネルとトンネルの合間に橋を渡るといった感じで、何となく山陽新幹線とも似ている。それはともかく祝日のため見物客が多く、人はどうでもいいが車の多さに閉口した。(まるで名神高速や基幹国道のようだった。少なくとも北陸自動車道よりも多かったのは確か。)トンネル内の歩道は自転車で走行するにはあまりにも狭く、結構心細い思いをさせられたから。たぶん私がここを走ることは二度とないだろう。とはいえ、整備された道路を猛スピードで下ることができたのだから時間的にも体力的にも大助かりだった。(前回は新道が未完成だったこともあり時々旧道を走って廃村を偲んだりしたのだが、今回の目的はあくまで1日での3つの県境峠制覇であるからそんな余裕は全くない。というより、迂闊に下に降りて水没のため引き返す羽目に陥ったら深刻なダメージを負ってしまう。もちろんダムは目的地ではないから停車は最小限に留めた。)
 旧坂内地区に入ってから上りと逆風でペースダウンしたものの、14時半に鳥越林道の入口に着いた。タイムリミットとしていた設定時刻より90分も早い。(それを過ぎたら国道303号線を直進して八草トンネル経由で帰るつもりだった。)脚の疲労のため比較的傾斜が緩いところでも漕げない。ほぼ全区間で押しを余儀なくされた。漕ぎでは何ともなかった右膝だが、踏ん張るとかなり痛い。なるべく負担をかけぬよう脚を伸ばしたままゆっくりゆっくり歩を進める。それでも息が上がる。だが、鳥越峠で地獄を見るのは元より覚悟の上だったから引き返すつもりは更々なかった。途中で膝が潰れたら這ってでも辿り着くつもりだった。
 などと大袈裟なことを書いてしまったが、実際には休憩を何度となく挟みつつ登り始めから約2時間で峠に到着した。これで念願成就である(一応証拠写真)。あとは帰るだけ。途中で西友とアルプラザ(平和堂)に寄ったので帰宅は18時3分だった。今回も走行前後の体重および体脂肪率の推移を示しておく。測定条件は前回と同じである。(なお書き忘れていたが体重計にはパンツ一丁で乗っている。)

 出発前:体重,75.8kg;体脂肪率,22.0%
 帰宅後:体重,72.6kg;体脂肪率,21.5%

体重の減少幅がより大きいのは運動の激しさを物語っているといえるだろう。が、こんな熾烈なツーリングは今回限りにするつもりだ。
 なお、1日措いた5日(子供の日)に回すつもりだった「前走」こと桝谷ダム方面は天気が崩れる可能性が大きいため延期する。「ならば1日繰り上げて4日(みどりの日)に」と一瞬は考えたが、さすがに連投は無理だ。(マー君やハンカチ王子ぐらい若ければ別だが・・・・)現にこの日は職場に来るにもペースが全然上がらず1時間少々かかってしまった。

5月5日
 今日は午前、午後とも雨になるとの予報が急転。(前線の到来が1日遅れた。)近畿地方北部は軒並み上天気らしい(彦根の降水確率は0%/10%)。いくら南越前町の旧今庄地区が全国有数の多雨地帯とはいってもこれなら大丈夫だろう。さらに前日の階段昇り降りで膝が何ともなかったこともあり、延期するはずだった桝谷ダム方面に向かうことにした。行き(登り口まで)に3.5時間、山登りに3時間(昼食休憩含む)、そして帰りに3.5時間(疲労および中河内木之本線への迂回による加算を考慮)という目算を立てた。トータル10時間のプランである。少々物足りない気もしたため旧北陸線紀行とのセットも考えたが、それだと帰りの栃ノ木峠越えが辛くなるかもしれないと思ったので止めた。(後の楽しみとして取っておく。)
 例によって家を出る直前に体重と体脂肪率を測定してみた。それぞれ75.6kgと19.5%である。お気付きだろうか? 前者は2日前の朝とほとんど同じながら後者は2ポイントも減少している。すなわち肉体改造が着々と進行しているということである。もちろん本当に1.5kg相当の脂肪が燃焼したのかは定かではないけれど、もしMRI画像を比較すれば腹腔断面積に占める内臓脂肪の割合が目に見えて小さくなっているのは確実である。6時35分出発。
 先の三国攻めをGIとすれば、このコースは所詮GIII、良くてGIIレベルである。だから気楽に臨めるというものだ。最初から後輪ギアを7速でなく6速に入れ、以降も普段より平均的に1段低い設定で走ることにした。そのため1時間後に余呉湖付近の交差点までしか行けなかった。昨年のページに記したが、これは最低のペースである。栃ノ木峠の到着も2日前より10分以上遅れた。が、気にしない気にしない and 慌てない慌てない。時間はタップリあるから予定時刻を多少過ぎたって別に構やしない。とにかくこの日は「絶対にGambaranai」をモットーとすることに決めた。
 それでも10時少し前には山登りを始めることができた。古木で(橋を渡らずに)国道476号線と別れて直進すると、何かの保養施設に入る舗装道路の奥に林道が続いている。これが赤谷川を遡る目当ての道である。幅は十分あり所々コンクリートで舗装されている。数年前に通った隣(東)の林道(小倉谷から多留美川沿いに敷設)より状態ははるかに良い。ただし谷を直線的に詰めるので勾配は結構きつく何度か息が上がった。また、この道には分岐が多く地図に載っていないものもあるので迷った。結果的には道なりに進めばOKだったが・・・・例外が1つあった。突き当たりで左手前方向に曲がるのは承知していたが、それっぽい道が2つあったのだ。地図上の記載はV字に近い角度だったため、鋭く折り返している方だと直観したものの、そちらには施錠付きで鎖が渡してある。強引に入って失敗したらダメージは大きい。(過去に粟柄河内谷林道でこっぴどい目に遭っている。)それで思案していたところ、前方からエンジン音が聞こえてきた。軽トラからおっちゃんが降りて鍵を開けようとしている。それで「この道を通って上に行けますか?」と訊いたら「然り」の返事だったので安心して中に入った。
 しばらくは急坂だったけれど、やがて等高線沿いの緩やかな登りに変わる。漕ごうと思えば十分可能だっただろうが、パンクが怖いので自粛して押した。あとは鞍部を越えて反対側に出るだけである。(もう一つの分岐点は事前に把握していたので間違えなかった。)ただし心配事がない訳ではなかった。以前「多留美川沿いの林道と繋がっている」などと書いた。しかしながら、実際には向こうから来た道と合流したというだけのことで、冷静に考えてみたら、そちらが途切れることなく麓の集落まで続いていたのを確認していたのではない。最近チェックした国土地理院サイトやマピオンでも相変わらず残り数百メートルを残しているように描かれている。要は脳天気にも「さすがにもう工事は終わっているだろう」と判断し、見切り発車してしまったという訳だ。加えて「仮に行き止まりだったとしても下って小倉谷から登り直せば良いだけのこと」という楽天的な考えも持っていた。とはいっても、歩けども歩けども同じような風景が続くと次第に心細くなってくる。カーブのため先が見えない所で「あそこで終わっているんじゃないか」と不安を抱き、道が続いているのを知って胸をなで下ろす。それを何度繰り返しただろうか? そして「いくら何でもそろそろ反対側から来る道が見えてこないとおかしい」と思った矢先である。

やられた......(デジカメを持って来ていたら1枚撮るところだ。)

そう、完全無欠なる袋小路実篤である。奇遇なことに11時キッカリだった。右手の尾根の向こう側(数十メートル先)に道があるのは解っていたが、自転車連れではどうにもならない。また終点から少し降りて藪漕ぎで進み、林道に復帰しようと試みるのはさらに無謀、遭難必至であろう。こうなれば撤退するしかない。通れ抜け不可能な林道はまさに敵なしといえるが、これほど長い距離の引き返しを強いられたのは初めてだ。更新記録に「史上最強」と書いたのはこのことである。おっちゃんに「ダムまで行けますかね?」と尋ねるべきだったと悔やんでも後の祭り。(一方、旧北陸線跡を組み込まなかったのはラッキーだった。)麓に降りるのは40分で済んだ。ここでランチタイム。古新聞による包みを解いて迂闊にも箸を忘れてきたことに気が付いた。もちろん手づかみで食った。インドネシアで何度も経験しているから全く抵抗はない。
 腹が落ち着いたのでしばし考えた。先述のように小倉谷から広野ダムに出るのは可能である。それでも日没前には優に帰れる。だが私が同じ道を2度以上通るのは(不可欠ならざる場合を除けば)気に入った場合に限られる。あそこは下りで芒のゾーンディフェンスに随分苦しめられたという嫌な記憶があるから気が進まない。それで来た道(国道476および365号線)を素直に戻ることにした。
 あとは大して書くことがない(はず)。いつもなら結構シンドイと感じる栃ノ木峠だが、一昨日の高倉峠および鳥越峠の辛さを憶えている身体にとってはアホみたいだった。もちろん急勾配では押したけれども。
 ここ数年、中河内木之本線(県道285号線)の入口で「通行止」の表示を見なかったことは一度もない。もちろん無視して入る。(それを誰も信用していないようで、途中で車や釣り人を多数見た。)看板に「工事期間11月30日まで」とあったので思わず「ええ加減にせえ!」と突っ込みたくなった。12月以降は大雪で閉鎖されることも十分あり得るではないか?(近年は温暖化のためか積雪量も減少傾向にあるようだが、かつては全国有数の豪雪地帯だったのだ。)これでは間接的ながら「ここはテメーらの来るとこじゃねえ」と閉め出しているのと同じだ。田戸集落への分岐点(橋が架かっている)に差し掛かった所で山の上方にガードレールが見えた。丹生ダム完成に備えて新道工事を始めたものの中座している模様だ。嘉田知事は治水目的のダム建設に一定の理解は示したものの、ならば穴開きダムでも十分であるとの見解を少し前に出した。だが、それでは地元が期待する観光資源としての価値(集客力)は取るに足らないものでしかないだろう。そんなことを考えつつ、大部分の区間を重力のままに(つまり漕がずに)進んだ。崩落箇所こそなかったものの、水溜まりや川が至る所にできていたので泥水攻撃を何度も喰らった。が、特に2年前と比べて荒廃が進んだという印象は受けなかった。ただし、ダム計画が完全に没になったらどうなるかは分からない。小原から先は前回左岸の旧道を走行しようとして大いに難儀した。土砂崩れのため数十メートルにも及ぶ担ぎ越えを余儀なくされたのである。そこで躊躇することなく橋を渡って右岸の新道を通った。「水資源機構の関係車両以外は進入禁止」とのことだが背に腹は代えられない。大型車両でも余裕ですれ違うことができるほど広い舗装道路である。もちろんダム建設に伴って複数のトンネルとともに新たに造られたのである。
 この整備された道をそのまま進むと杉本余呉線(県道284号線)に変わって中之郷(余呉町役場付近)に出る。それはどうでもいいが、本筋の285号線は下丹生で橋を渡ってから(余呉町から木之本町に入って)大見を経て川合で終わる。しかし、それが何とも地味で見つけにくいのである。(今日も危うく通り過ぎてしまうところだった。)その1kmほど手前で左折し、284号線の東側区間、すなわち国道303号線へのショートカット(註)に入る方にはハッキリ目立つ青地に白の表示があるというのに・・・・(註:幽霊が出そうなほど古めかしい杉本隧道 (丹生トンネル) を抜ける例の道のことである。)頼むから分岐の少し前に看板の1つぐらい出してくれよ。入ってからじゃ遅いわ!
 今日もジャスコと向かいの食材センターに寄ったけれども16時少し前に家に着いた。早速服を脱いで体重計に乗ってみたところ72.2kgになっていたが(体脂肪率は変わらず)、その減少分にしたところで多くは発汗によるものだから、水分を摂ればだいたい元に戻ってしまう。ところがである。その後1週間もすれば特に運動しなくとも勝手に50%程度は落ちてくるのである。(次の週末までに3.4×0.5=1.7kg減って73.9kgになると予想される。)それを私は経験的に知っており、密かに「半値戻しの法則」と呼んでいる。ちなみに、このところ夕食→入浴後に体重を測ってみると74kg台であり、身長181cmで求めたBMIが久しぶりに23を割っている。当面の目標はBMI=22となる72kgであるが、できたら夏の終わりまでに21ライン(68.8kg)をクリアしたい。(20を切るには65.5kgまで落とさなければならないが、さすがにこれは不可能だろう。)ということで、帰宅直後に冷蔵庫の最下段に入っていた缶ビール(キリン一番絞り350ml)を発作的に空けて飲み干したくなったけれども我慢した。「エネルギー・・・154kCal」の表示を目にして40分相当の走行がチャラにされるのはタマランと思ったからである。といいながら夕食時には鮒鮨を肴にマグカップ1杯分の日本酒を飲んだ。実は3月に近所から頂いたのを三国攻め完走のお祝い用として保っておいたのである。いろんな意味で最高の晩酌となった。(なお、このようなデータの公開や減量ネタは本日限りにするつもり。ウンザリされているかもしれないので。)
 今後の予定は特に立てていない。とりあえず奥琵琶湖パークウェイトとか余呉西部の林道など近場を半日コースとして走ることになるだろう。現時点で気になっている場所やルートは湖西に集中しており、たぶん夏以降に遠征することになると思う。久しぶりの輪行で京都まで足を伸ばしてみようかな?

8月13日
 久しぶりの更新となるが、この間どこにも行かなかった訳ではない。余呉町の林道(池原文室線)や多賀町の河内方面→彦根市の廃村(男鬼町&武奈町)巡りなど、要は半日コースとして近場を走っていたのである。ちなみに体重の方は先日記した「半値戻しの法則」をあっさり突破した後、コンスタントに72kg前後をキープできている。長距離ツーリングに出かけなくとも圃場の各種作業(播種あるいは定植、そして除草)に追われているためである。最近は大量の汗をかいた翌朝など70kgを切っていたりすることもある。とはいえ、私がこの夏の目標に置いている68.8kg(BMI=21ライン)は、あくまで定時(夕食&入浴後)測定における値によってクリアされたと見なしたい。あと3kgほど落とさなくてはいけないということだ。よって、さらなる体脂肪の燃焼を図るべく盆休みに中1日で3度遠乗りを敢行することにした。
 一昨日、手始めに選んだのは御池(おいけ)林道である。東近江市(旧永源寺町)君ヶ畑と多賀町霜ヶ原を結ぶ長大なルートで走り応えは十分だ。(本当は国道306号線を東進して鞍掛峠から出県し、365号線を北上して帰宅というコースにしたかったのだが、彦根市内のスーパーで特売の豆腐を買うという重大な任務があったため戻ってくる必要があった。)なお発着地は従来と同じく職場(彦根市八坂町2500)。出発時刻は9時10分。これが3度目の挑戦となるが、前回は見事に足が吊った。因縁の場所でもある。
 そもそもスタート地点に辿り着くまでが一苦労。まず県道34号線(多賀永源寺線)は犬上ダムの直前で押しを余儀なくされる。ダムを過ぎてからの延々上りも結構辛い。県道229号線(百済寺甲上岸本線)との分岐に出る前も急勾配だ。この時点でバテバテ状態に陥ってしまうようなら潔く撤退すべきであろう。(つまり右折して229号線経由で降りる。)以後、筒井峠までは乗車可能区間も少しばかりあるものの基本的に押し。既に私は両方の太股に違和感を感じ始めていた。下手に踏ん張ると本当に吊ってしまうという危険な状態である。ただし、これまでの苦い教訓から適度にインターバルを取り、その都度ストレッチを行うことで最悪の事態を免れることができた。(なお峠を過ぎて少し進むと左手に皇学園の建物が見える。まるで右翼の研修所みたいな名前だが、実際には「すめらがくえん」という日本書道関係の学校らしい。)
 急坂を一気に下り、分岐点を左に折れて県道と別れを告げる。ここからしばらくは本来なら漕ぎだけでも十分であるが、この日は自重して急な上りでは押した。君ヶ畑で昼食を摂る。ここは四方全てが山に囲まれており、しかも相当苛酷な登りを経なければ入ることができない。まさに「陸の孤島」である。集落を過ぎるとやがて林道の起点を示す看板が見える。完全舗装されてはいるもののピークが何と3つもある。難易度は鞍掛峠越えよりも圧倒的に上だ。中でも最初の頂上に登り詰めるまでが一番キツイ。(特に表示もないため未だよく分かってないのだが、それが最高地点であるミノガ峠(海抜約800m)なのだろうか?)前回足が吊ったのもその途中だった。絶対に無理は禁物(押し一徹が無難)である。あとの2つは何とかなる(結構乗れる)はず。で、やはりそうなった。今回は少しペースが遅いかなと思っていたが、霜ヶ畑の集落に降り立ったのは出発してから約4時間後。決して悪くはなかった。そこから職場まで少なくとも1時間は掛かると踏んでいたが、これは私のいい加減な距離感覚のなせる業。桜峠まで少しばかり登らなくてはならないが乗車は十分可能。そして以後は下りオンリーだから猛スピードですっ飛ばす。途中3箇所で道草を食ってさえも14時前に戻ってくることができた。(後で冷静に地図を見れば大君ヶ畑(おじがはた)どころか佐目の手前だから当然なのだが・・・・)ということで、結局は5時間弱のちょっとしたツーリングであった。問題はその後に起こった。
 16時に予約を入れていた湖北献血ルーム(滋賀県赤十字血液センター長浜出張所)に時間通り到着。ところがである。水分と栄養を十分補給してから検査に臨んだのであるが、最高血圧が88しかないという理由で拒否されてしまった!(初めて知ったが、90mmHg未満はダメというルールがあるらしい。3度測ってもらったが結果は同じだった。)これまで献血112回を数える私だが、検査で引っかかったのは初めてゆえ少なからずショックを受けている。(今思い出したが、スギ花粉アレルギーの症状が酷かったため断られたことが1回ある。その時は凄まじい量の水洟が出ていた。)次の土曜日に再度お願いしてはいるけれど、果たしてリベンジはなるだろうか?
 その2日後、つまり今日である。前から気になっていた高島市(旧今津町)の林道に向かった。国土地理院のサイトで閲覧できる1/25000図によると、荒谷山(標高643m)の山頂近くを通る実線道が延々と続いている。一方、下の追分集落からも実線道が伸びてきている。地図上では両者は繋がっていないものの、それが作成されたのは何年も昔のこと。もし開通していたら国道303号線に出られる。だとすれば結構おいしいコースである。ということで、半分ダメモトの気持ちで出かけたという次第。もし吉と出れば時間的に余裕が出るため帰りは菅浦(奥琵琶湖パークウェイ)経由、凶なら寄り道せずに帰宅と決めていた。
 ところで私は往路にて考え事をしていた。これまで脚に痙攣を起こし、悶絶したのは権現谷林道、石榑峠、そして御池林道の3回。ともに私にとっては南行きである。鈴鹿山系(三重方面)の道の方がハードだからという訳ではない。むしろ逆だ。(あの高倉峠でさえ何ともなかった。)ではどうして? で、ふと思い当たった。季節によりけりだが私は1.5〜2リットルの水分を補給してから出発する。北(湖西や福井)行きや東(岐阜)行きの場合は当然ながら家の井戸水である。伊吹山から流れてくるため石灰分に富んでいる。ところが職場から南東に向かう場合は彦根市の水道水。ここに重大な秘密が隠されていると見抜いてしまったのだ。今度からは実験室の試薬(ソーダライムあたり)もしくは圃場実験施設の倉庫にある生石灰か消石灰を少し舐めてから出かけることにしよう。ペットボトルに水を詰める際にも少し溶かすことにするか。
 閑話休題。過去2度通過したことのあるピラデスト今津までの道のりは既述のため割愛。だが、いきなり軽微とはいえないミスを犯してしまった。あと1kmというところで地図を見て愕然。私は件の林道への入口がその少し奥にあると思い込んでいたのだが、実際には淡海池(処女湖)や天狗岩をも過ぎた先の三叉路から左に進路を取り(ちなみに右に行くと石田川林道)、しばらく上った所にあると遅まきながら知ったのだ。要は箱館山の方からアクセスすればずっと早く、楽に到達できたということである。(正方形のある頂点から隣に移るためにわざわざ遠回りして3辺を通ったようなものである。)ルート確認も不十分なままに出発するのだから我ながら呆れてしまう。何にしてもこれで数十分は損をした。
 やっとのことで問題の道に入る。ただし、そこで判ったことには林道ではなく作業道である。「関係者以外立入禁止」の看板を何度も見た。とはいえ幅は十分に広く、整備も行き届いている。路面はダート主体で一部急坂のみコンクリート舗装が施されていたが、ともに走行には全く支障なし。この時点では大いに脈ありだった。(そういえば、この日は鹿を十頭以上目撃した。猿や猪はゼロ。)
 だが、ここで結末を述べると終点を確認するだけに終わってしまった。途中から倒木や路肩崩れに出くわし、こりゃヤバイかなと思い始めたが、例の「まあ行けるところまで行ってみよう」という野次馬根性で突き進んだ。廃道化進行中でも自転車なら何とか、と楽天的に考えていたこともある。そして問答無用の行き止まり。もともと道は下まで通じていなかったということである。とはいえ、今年5月に跳ね返された「史上最強林道」こと赤谷川→桝谷ダムルートのように完走そのものを最終目標に置いていた訳ではなく、この実線道を自らの足で踏むという目的は立派に果たせたのだからダメージはさほど大きくなかった。素直に引き返す。途中で見かけた複数の分かれ道に敢えて入ってみようという気力も体力も残っていなかった。(唯一谷沿いの道だけは降りてみた。これで麓の集落に出られるのならこんな楽なことはない。だが世の中そんなに甘くはない。数百メートルで道は途絶えていた。)作業道入り口に戻ってこれたのは約3時間後のこと。先述した通り、後は帰るだけである。が、向かい風が結構応えた。結果的に10時間コースとなってしまった。その割に体重は大して減っていなかったので今日もちょっとしたショックである。あまりの空腹のため、途中で寄ったスーパーで買い食いしたのが良くなかったか。(試食の摘み食いだけに留めるべきだった。)
 さてさて、明後日はまず職場に来て間食用のトマトを数個摘んでから琵琶湖3/4周、ただし大橋を渡って以降は国道161号線ではなく、鯖街道(367号線)から朽木に向かうという変則コースを予定している。(当日の風向次第では逆コースを選択することもあり得る。)特に何も起こらなければここに書き足すこともないはずである。なお、当サイトの更新がバタッと途絶えるようなことがあれば、その際のトンネル通過中に歩道から転落し、救急車沙汰に巻き込まれたと考えていただいても結構である。  ・・・・などといらんことを記してしまったが、実は今日の帰りに賤ヶ岳隧道(もちろん現8号線の新しい方)に入って間もなく、交通量激甚なる車道の路肩を走るという信じ難い行動に出ていたサイクリストを見てしまったからである。狭い歩道上ですれ違いにならなかったのはラッキーだったといえるが、私の目には彼が命知らずというより自殺願望の持ち主であるとしか映らなかった。
 現在のところ興味のあるコースといえば、京都の府道38号線(京都広河原美山線)と国道477号線沿いにある複数峠の制覇(朽木の道の駅まで輪行する)、近江坂の未踏破区間(福井県側の能登越から手を付ける)、そして乗鞍岳から国境までの県境稜線歩き(在原から登り敦賀国際スキー場内を通って国道161号線に出る)といったところ。9〜10月の祝祭日を利用してこれらを消化する予定である。

8月16日
 昨日のツーリングは無事に完走できたが、ちょっと補足したくなった。
 鯖街道(国道367号線)のうち高島市(旧今津町)保坂(303号線との合流地点)から大津市伊香立途中町(477号線との合流地点)までの区間を走ったのは2回目だが、南行きだった前回とはまるで印象が違っていた。まず琵琶湖大橋を渡ってから途中に辿り着くまでが予想以上に厳しく、ついに息が上がってしまったため途中(ダジャレにすらなってない)から押し。さらに花折トンネルまでのウネウネ登りには完全に降参(押し一徹)である。その代わり以後の下りはラク。ただし猛スピードが出るので注意されたし。特にトンネル街道の最後(4つ目)にある坂下トンネルを通過する際は。なお、どのトンネルも歩道には自転車が通れるほどの幅がない。先日「命知らず」などと他者をたしなめるようなことを書いたが、私も随分と向こう見ずなことをしてしまった訳である。ましてや通過に時間を要する逆コース(上り)では危険度はさらに増すだろう。ところが、前回を思い起こしてみれば私はトンネルを1つも通っていなかった。実は時間的に余裕があったため安曇川沿いの旧道チンタラ走行を楽しんでいたのである。(花折もトンネルではなく峠の方を通った。)路面状態は比較的良好に保たれているから、距離と時間は多少損しても絶対にそちらを選ぶべきである。
 以降は部分的には上っているけれども基本的には下りなので、労せずして旧朽木村市場の道の駅(くつき新本陣)に着いた。(なお2006年3月に村井地区の大規模土砂崩れによって通行不可能となった367号線であるが、現在は対岸への迂回路によって何とか通れるようになっている。ただし臨時の橋は片側通行で渋滞必至、しかも17トン車以上はダメ。完全復旧は再来年予定との看板を見た。)その先で右折して県道23号(小浜朽木高島線)に入り、朽木渓谷から下りてしまえば楽だが、そのまま367号線を北上するのは結構シンドイ。朽木と今津の境界をなす檜峠(標高310m)まで再度の押し一徹を余儀なくされた。
 ここで再び逆方向での走行を回想してみれば、峠まで何とかかんとか漕ぎで登り詰めることは十分可能だった。また道の駅以降にしてもアップダウンの繰り返しにウンザリさせられたとはいえ乗車不可能なほどの急勾配区間はなかった。トンネル街道にしても先述の旧道を通れば漕ぎオンリーで進める。(いくら何でも花折峠道は無理だが。)そもそも303号線の上りも477号線のそれよりはずっと負担が軽く、一度も降車することなく鯖街道に入れるのはありがたい。ということで私のお薦めは断然南下コースである。
 最後に水分補給について。さすがに炎天下でのツーリングでは(出発前に腹一杯詰め込んでいてさえも)2リットル容ペットボトル1本では足りない。(湧水の出ている所など補給可能ポイントを把握していれば話は別である。)そこで今回は多少重くなっても2本携行することにした。うち1本は冷蔵庫に入っていた飲み残しのオレンジジュースを希釈し、赤トウガラシの粉末(数年前に畑で収穫し、乾燥後に粉砕)を溶かして作ったというオリジナル。色のみならず味も奇っ怪ではあるが、カプサイシンの脂肪燃焼作用と(β─エンドルフィン分泌促進による)ハイテンションの維持を狙ってのことである。もう1本は各種アミノ酸や有機酸などを含む "active diet" という市販のスポーツ飲料。(少し前までおびただしい種類が出ていたはずだが、ガクッと減ってしまった。)こちらもカロリーオフ(8kcal/100ml)ながら体脂肪の燃焼を促すことによるガス欠防止効果が期待される。ということで単なる水分補給には前者、空腹を感じ始めたら後者というように2本立てで臨むこととした。で、そのツープラトン作戦がどうだったかといえば、家の井戸水の場合は決まって11時および15時頃から猛烈な空腹感に襲われるのだが、そういうことが全くなかったことから考えるに、どうやら脂肪をエネルギー源として利用できていたのは確かなようだ。ただし実際にどれほどの減量効果が得られたかについては残念ながら評価不能。その晩の暴飲暴食(焼肉とビール)でパーになってしまったためである。どうやら先述の目標達成が困難な情勢となりつつある。とにかく入ってくるものを制限しないことには話にならん!

9月1日
 この日は職場から芹川沿いに西に向かい、県道17号線(多賀醒ヶ井線)経由で男鬼町まで出たら仏生寺町→水谷(ずいだに)ルート、すなわち林道滝谷武奈線を下って彦根市街に戻り、重大任務(特売の豆腐を購入)を済ませてから帰宅する予定だった。要は小規模ツーリングであるから当初は本ページに載せるつもりはなかった。ところが、いよいよ河内方面という時になって気が変わった。杉坂峠道の旧道を思い出したのである。
 数年前(たぶん一昨年)に挑んだ時は登り口を見つけられぬまま谷を詰めてしまい、スゴスゴと引き返す(そして新道から登り直す)という結果に終わった。だが、後に買った草川啓三著「巨樹の誘惑」(青山舎)にこのコースが紹介されており、「少し谷に入ったところから左の尾根へとじぐざぐに道は登って行く。取り付きが分かりにくいが、道自体はよく踏まれており・・・・」とあったので、それさえ見落とさなければ大丈夫と考えるに至った。それで左手に注意を払いながら進んだところ、丸木橋を渡って谷川の右岸から左岸に渡った直後、スタート地点はアッサリと見つかった。(ただし、この橋には苔が生えていたため足が滑って焦った。私は転落せずに済んだが自転車携行の場合は特に要注意である。)というのも「←御神木へ」という看板が立てられていたからである。感謝しつつ登頂開始。
 いきなり驚かされた。予想以上に幅広で良好な道。急勾配の箇所には木の階段が設けられている。また道に迷わないよう上から下までビニールテープが垂らしてあった。まさに至れり尽くせり。段には麓の集落名「八重練」が書かれていたことから道は地元住民によって整備されたと思われる。が、さらに驚いたのは、それらに混じって、いや、むしろ大多数に「木匠塾」の文字列を見たことである。これは滋賀県立大学環境科学部の木工サークル(主に建築デザイン学科の学生により構成)である。メンバーの名前や設置年月日(まちまちだが2007年3〜5月)も併記されていた。彼らの尽力に対し、ここに感謝の意を表する。
 もちろん段差は別だが、ほとんど押しで行ける。尾根筋に出たら傾斜は緩くなり、非常に快適な歩きとなった。何度か道の狭い所や倒木に出くわしたものの、その位は我慢しなければ罰が当たる。さすがに山が目の前に迫ってくる(=峠に近づく)と道は険しくなり、息が上がる度に休憩を挟んだ。やがて右手の斜面と道が同化しかかっている箇所に差し掛かり、少々不安(「落ちないだろうか?」と「この道で合っているのだろうか?」の両方)を感じなくもなかったが、間もなく杉の巨木が見えたのでホッとした。神木の現物を見るのは実は初めて。(これまで新道から登った際には疲労困憊もあってわざわざ見に行く気になれず、そのまま直進して下っていたのである。)これだけの偉容を間近から眺めれば、いくら何でも厳かさに圧倒されない訳にはいかないだろう。
 その先20メートルほど進んだら新道と合流し、峠の少し手前(西側)に出た。今回通った旧道の方が何となくながら楽という印象である。(実際つづら折りの連続となっている舗装道よりも歩んだ道のりは少なくて済んだはず。)とにかく、これだけ充実した、かつ安全性の高い山歩きが近場で愉しめるというのは魅力的。毎年でも足を運びたい気分だ。とはいえ、年を経るにつれて道が荒れていくのは自然の理である。未踏破の方はなるべくお早めに。

9月24日
 先週の連休は家の稲刈りで忙殺されたため、懸案の一つである乗鞍峠〜国境ルートを今日消化することにした。降水確率は30/40%という何とも微妙な数値だったが、思い切って6時半に出発。(結局は帰りにポツポツと降られるだけで済んだ。)
 奥琵琶湖トンネルを通過後、右折して161号線を北上するのは何年ぶりだろうか? 思い出すのが難しいほど昔のことだが、前回はマキノ黒川林道を通って福井県に出たから今回同様在原に向かったことは確かだ。在原口で左折して県道533号線(白谷野口線)に入る。途中で「こんなにキツかったかなぁ」と思ったけれど、何とか降車することなく最高地点を越えることができた。マキノ北小在原分校手前の分岐点で右折し舗装道を進む。(この日も高原都市の観光はお預けとなった。次は必ず!)左手に看板が立っており、上に起点から、下に終点までの道のりが表示されている。どうやら全行程は4860mらしい。ありがたいのは事実だが、50m間隔の設置というのは少々押しつけがましい気もする。少し行くと分かれ道。どちらも舗装、しかもチェーンが渡してあるので迷った。が、右折する方は先で道が細くなっていそうなので道なり(直進)を選んだ。「関係者以外立入禁止」の看板が立っていた先にも例の距離表示が続いていたからである。それで正解だった。
 このコンクリート舗装道は県別マップルや国土地理院の1/25000図では二重線道として記載されているが、想像していた以上に路面状態は良好。整備は十分に行き届いており、土砂崩れや路肩崩れどころか落石もほとんどない。八草峠旧道などよりも断然上である。私は押し一徹だったが、鍛えの入った人なら乗りオンリーでも問題ないだろう。約1時間(休憩含む)で中継用の巨大アンテナが建てられている終点に着いた。以降は右(東)に進路を取って尾根筋に登山道を歩いたが、正直なところお薦めできるような代物ではない。これから理由を述べる。
 さらに高所に位置する別アンテナまでの登りが何といってもシンドイ。石ゴロゴロの狭い道を苦労しながら登らなければならないから。(かつて五個荘の地獄越を抜けるはずが道を間違えて繖山 (きぬがさ山) の頂上まで登ってしまった時の経験が生きた。)金属製の階段が2つ付いていたが共に幅が狭く、自転車携行で通過するには相当骨が折れるだろう。その先も低灌木林を切り開いた登山道ゆえ視界が利かないのはともかく、枝が顔に当たるは車輪にからまるはと散々。それ以上に道幅が狭いため押しすらも困難なのは参った。やがて乗鞍岳山頂(865.2m)に着いたが、その次のピークの方が周囲が開けており絶景を眺めることができた。(この日は靄が懸かっていたものの琵琶湖が見えた。)
 苦難はまだ終わらない。登山道の担ぎは下りの方が大変なのは当然であるが、急傾斜にもかかわらず階段も付けられていない所に差し掛かった時は冗談抜きに肝を冷やした。幸いなことに左側に石油製品の太いロープが渡してあったので、左手でそれを掴み、右腕で自転車を抱えて何とか降りることができた。(もし足を滑らせたら即座に右手を解放して尻餅を付くつもりだった。とにかく後頭部を強打するような事態だけは避けなければならない。)下り切ってからは道が広くなったので押せた。右に高圧線の鉄塔が見えたところで再度の急傾斜。そこはロープなしだったが下草のお陰で足元はしっかりしており、危うい目には遭わずに済んだ。
 それからしばらく快適な山歩き(押し)が続いた。ところが落とし穴が待っていた。踏み跡はあるらしいのだが、どうも道が定かではない。と思っていたら鉄塔が建っている原っぱに出てしまった。反対側に行くと黄色いテープが木から垂れ下がっており、下には赤の杭が打ってある。そして急ながら下りの道が左手に続いていた。なので「この道かなぁ」と半信半疑ながらも進もうとした。が、ふと嫌な予感がしたので腰を下ろして地図を開いてみた。案の定だった。これでは高圧線を横切ってしまうではないか! この時点で本来の道ではないと判明したため引き返す。やはり先程は右手に折れる分岐点を見落としていたのだ。危機一髪である。
 正しい道に復帰して間もなく、再度分かれ道に出くわした。が、今度はどっちを行っても大丈夫という予感があった。(地図には県境稜線に加え、福井県側から登ってくる点線道も記されていたから。)私は右を選んだが、たぶん左でも大丈夫だったであろう。この後にもう一つ分岐があったが、やはり深く考えることなく左を選んだ。やがて左手にまたしても鉄塔が目に入ったが、さすがに同じ轍は踏まなかった。その手前の分岐点を見過ごすことなく右折。
 下りが延々と続くのはやはり辛い。いつしか右の膝が痛み出してしまった。大事に至らぬようにと予防的休憩を入れることにした。いよいよ161号線が間近に迫り、そこを通る車のエンジン音がハッキリ聞こえるようになった所で道が判らなくなった。私の目には3つに分かれていると映ったものの、右と真ん中は行き止まり&断崖絶壁である。敦賀国際スキー場の建設によって寸断されたためである。唯一、左の道はしばらく降りられたが、それでも最後の最後で途切れていたため先に自転車を落としてから飛び降りた。(高度差がせいぜい1mほどだったから助かった。)品又峠(奥伊吹スキー場)越えのリプレーである。
 急勾配のゲレンデでも慣れた人なら乗って降りられるだろうが、ここまで来て怪我したらつまらんと思ったので自重して押した。膝の痛みを堪えつつ。頻繁にインターバルを取ったため、予想所要時間を上回る2時間弱の山歩きとなった。
 丁度県境の国道脇で昼食を摂ったのは11時23分。時間的余裕は大アリだったので、8月の湖西ツーリングの帰りに走るはずだった奥琵琶湖パークウェイに向かうことにした。(その時は疲労というより空腹が理由で回避したのである。)ただし特に記すべきことはない。上り坂での押しは大して負担を感じなかったが、膝を本当に壊してしまったら一大事なので慎重に歩を進めたぐらいだろうか。(たぶん来月までに完治すると思うが、もし痛みが取れないようなら今後予定している山行きは全てキャンセルせざるを得ない。担ぎ下りが不可能だから。近江坂の未踏破区間を通って能登郷を訪問するのも来年回しとなる。→追記:翌日の階段上り下りでは問題なかったから大丈夫だろう。)それでも90分足らずで岩熊(やのくま)に出ることができた。なお、この県道512号線(葛籠尾崎塩津線)は土砂崩れによる復旧工事のため来年2月29日まで一方通行(菅浦→岩熊のみ)となっているので注意されたし。

10月14日
 先週月曜日(8日の体育の日)に予定していた朽木→京都ツーリングだが、雨天順延でこの日に持ち越しとなった。普段私は日曜日を読書や録りだめした音楽番組(「クラシック・ロイヤルシート」や「芸術劇場」など)の視聴に充てているため、外出するのはあまり気が進まない。(また今回のように同日中に走行記録を執筆できなかった場合は更新が遅れてしまう。)そうはいっても日程が確保できないので仕方がない。(祝日は来月3日までないし、次の日曜には家の行事が入っている。)遅くなればなるほど日は短くなるし、寒くなる。それ以上に風が強くなる。
 週間予報はずっと芳しくなかったので半分以上諦めていたのだが、当日になって好転(降水確率10%/20%)したため決行。2年前と同じく、道の駅くつき新本陣まで(片道約60kmあり自走だと約3時間必要)は輪行することにした。7時45分に家を出て9時少し前に着いた。(ちなみに帰路は朝よりずっと込んでいたため1時間40分かかった。)
 例によって県道783号線(麻生古屋梅ノ木線)をひたすら西に進む。能家を過ぎて北川と針畑川の分水嶺を越えたら間もなくT字路に出る。右折すればおにゅう峠から小浜へ。もちろん今回は左だが、すぐ後の分岐で右に折れて再度西に進路を取る。(今更述べるまでもないが、そのまま県道を辿れば鯖街道=国道367号線に出る。)ここからは未知のルートである。
 実のところ、私はこの二重線道による越境を甘く考えていた。緩やかな上りが続くだけで、特にこれといったピークを経ることなく京都府に出られるだろうと。(地図に峠名が記されていなかったためである。実際には最高地点に「地蔵峠」と命名されていることを後に知った。)ところが、生杉ブナ原生林に至る登山道の起点を過ぎたところで路面はダートへと変わり(私は全線アスファルト舗装道と勝手に思い込んでいたのだ)、その少し先でチェーンが渡してあった(四輪車の進入は不可能)。もちろん脇を通り抜けたが、そこからは勾配が相当きつく押しを強いられた。さらに行くと今度は鉄製ゲートにより封鎖されていた(ここで自動二輪も進入不可能)。どうやら鳥獣保護区のため立入禁止らしい。が、今更引き返す訳にはいかないから難儀しつつ、そして良心の呵責を覚えつつ進入、いや侵入させてもらった。
 それらしい表示が何もなかったため、いつ滋賀県から出たのかもハッキリしないまま道は下りに変わり、橋を渡り終えた所から左右に分かれていた。立札によれば左は京大演習林事務所まで約10km、右は○○谷(忘れた)とのこと。ここで地図を開けば、誰がどう見ても取るべき進路は左である。ただし、どちらも川上方向という何ともケッタイな地形である。つまり再び上り区間となった訳である。またしても途中から押し。ようやくにしてピークを越えて山の反対側に出た時である。周囲の風景に驚いてしまった。これほど深い山奥まで入っていたとは思いもしなかった。(加えてこんなルートが高島市→南丹市というのはやっぱり違和感がある。)しんどくて当たり前だ。以後は猛烈な下り坂。ただし、この土道は起点から終点まで整備が行き届いており、そのお陰で恐怖を感じることはなかった。さすがは国立大学法人(それも旧帝大)の所有地である。
 舗装道に復帰し、ようやくにして(這々の体で)旧美山町芦生を脱出。幅の広い府道38号線(京都広河原美山線)に入ってホッと一息吐いた。あとは8月13日執筆分に記した峠ハンティングに向かうのみである。
 ところが最初の佐々里峠で躓いた。冬期(降雪時)閉鎖区間の表示からも決して楽ではないとの覚悟はできていた。県別マップルにも730mとある。とはいえ、既にある程度高所まで来ているのだから、こちら側から挑む場合は少しの押しで辿り着けるだろう。その予想(期待)は見事打ち砕かれた。押しに変えてしばらくの後、はるか上方に道が見えた時点でヤバいと思った。危惧した通りの大ヘアピンカーブである。それも栃ノ木峠や鞍掛峠のそれより大規模。その奥にも急勾配の登りが延々続いていた。何とかかんとか登り詰めてみれば、これは八草峠級の、つまり都道府県境に位置していても恥ずかしくないだけの堂々たる峠である。それを府内に抱えているのだから実に恐るべしは京都の山々というべきであろう。見通しの甘さを思い知らされた。(それで酷い目に遭ったのが一昨年の鈴鹿峠→武平峠コースである。距離感は家から遠くなるほどにつかみにくくなる。それに加えて県別マップルの地図は府県境をまたいでいる場合に限り縮尺が1:60000 (通常は1:30000を採用) なので、見込み違いを犯しやすいのである。)
 そんな訳で、このまま府道38号線を直進して国道477号線に入り、花脊峠(769m)→百井峠(730m)→前ヶ畑峠(603m)の順にゲットするという目算はどうも怪しい雲行きとなってきた。そこで昼食休憩後に作戦タイム。帰りが多少遅くなるのは別に構わなかったが、途中で脚が吊るのは心配である。また、どうにかこうにか3連発をクリアできたとしても8月に大苦戦した花折峠が最後に待ち構えていると考えたら心が挫けてしまった。よって(少々迷ったけれども)広河原の分岐点で左折して府道110号線(久多広河原線)経由で戻ることにした。つまり残りを来年以降に回すと決めた訳である。(無理と判れば潔く撤退するのも勇気である。)
 ショートカットになるとはいえ、この道もなかなかに手強いものであった。(地図にはないものの)久多峠を越えるから当然なのだが。麻生古屋梅ノ木線に復帰してからは走り慣れた道。国道367号線を北上して道の駅に着いたのは15時前だった。6時間程度のツーリングゆえ物足りなさは残ったけれど、もし当初のプランを強行していたら2時間どころの超過では済まなかったであろう。(後で調べてみたら大変な激坂で知られる酷道らしい。止めといて良かった!)なお今になって気が付いたが、結果的には昨年のページ(11月4日執筆分)に示した通りのコースを走ったことになる。
 さて、残された宿題であるが、この久多広河原線を逆走して先の分岐点から改めてスタートするという手もあるにはある。が、葛川梅ノ木町(麻生古屋梅ノ木線の終点)から久多峠までの上り区間は(下りで相当スピードが出るだけに)想像するだに億劫である。が、地図を眺めている内にふと気が付いた。国道367号線上の花折トンネルの北約1km地点から百井川沿いを遡上し、同477号線(前ヶ畑峠のやや東)に至る細い道の存在に。これが通れるとしたら、以下百井峠→花脊峠→(旧道別れから府道上黒田貴船線=361号線)→芹生峠→(府道38号線に入り百井別れから国道477号線に復帰)→前ヶ畑峠→途中越→花折峠という変則的周回コース(八の字コース)が成立する。(国道367号線と同477との分岐、あるいは百井別れを見過ごす危険もあるようだが。)その場合どこに前線基地を置く(どこまで輪行する)のがベストであるのかを熟考する必要はあるが、相当面白いツーリングになりそうだ。(→追記:その百井川沿いの林道であるが、あるサイトの走行記録を見たらヤバすぎである。橋のない川までも渡らねばならないとは! ルート自体を再検討すべきかもしれん。)
 なお、もう一つの懸案となっていたのが近江坂の未踏破区間(福井県側)であるが、こちらについても先送りさせてもらう。松茸シーズンのため11月の入山は何かとうるさいだろうし、冬眠を前にして気の立った熊との遭遇リスクもある。が、それよりも先月の乗鞍岳からの稜線歩きで膝を痛めそうになったからである。担ぎでの山下りは今はちょっと怖すぎる。加えて道がハッキリしないとのネット情報も気に懸かるため、登山者がしっかり踏み跡を残してくれるであろう来年春(連休あたり)に挑もうと考えている。
 ということで、今年は琵琶湖一周とともにノルマに課している八草峠および鳥越峠を残すのみとなった。ただし後者は5月の「三国攻め」時に越えてしまっている。そこで今年は別の目的地を候補として考えているところである。もっとも1度目こそ到達できたものの2度目は断念し、それ以降は何年も足を運んでいない場所だけに通れるかどうかも定かではないのだが・・・・一応予定日は11月3日(土曜ながら祝日ゆえ血液センターも休み)である。果たして結果はいかに?

11月3日
 ここ数年は文化の日を「走り納め」としている。(紅葉のモザイクを愉しむのが目的なら23日=勤労感謝の日まで頑張るべきなのだろうが、寒いのはどうも苦手だ。)これまた恒例であるが、走るのは八草峠→鳥越峠の周回コースである。ただし、今年は春の「三国攻め」時に後者を制覇してしまっている。よって先日予告しておいたように変化球を投げることにした。すなわち何年か前に行って以来2度目となる新穂峠越えに挑むことにした。ネット情報からもこの峠の滋賀県側(登山道)は年々荒廃が進んでいることは明らかで、早く行かないと完全に通行不能となってしまうと危惧したことにもよる。それを下るのは危険が大きすぎて論外(一方、岐阜県側は完全舗装だから大丈夫)なので順番は必然的に新穂峠→八草峠となる。(ちなみに岐阜県側から八草峠を目指すのは初めてとなる。)
 出発前に何気なく体重計に乗ってみて驚いた。もちろん服は着ている。にもかかわらず70.8kgしかなかったから。ならば朝食前にパンツ一丁で測ってみたら69kgそこそこだったということになる。このところ農作業の頻度、強度とも減少し、加えて宴会での暴飲暴食も重なったため少なくとも72kgはあると思っていた。まさかヤバイ病気に罹っているのではあるまいな。(なお、BMI=21ラインの68.8kgは多忙で食事が摂れなかった日に一度だけクリアしたものの、再び割ることはなかった。ある業界の用語を借りれば「下髭が付いた」ということになるのだろうか?)そうでなければ嬉しい誤算だが、冬の間この体重を維持するのは至難の業(というより、ほとんど不可能)である。
 6時半に出発。(直後に証拠写真を撮るためのデジカメを持っていないことに気が付いた。家にあるなら取りに戻るところだが、充電中のまま職場に置いてきてしまった。残念。)新穂峠に向かうには家の前の道を東進して旧山東町に入り、県道40号線(山東本巣線)の起点から姉川沿いを北上するのが時間も労力も最も軽くて済む。それは判っていたが途中で気が変わった。めっきり日が短くなったとはいえ、暗くなるまで8時間以上ある。それなのに峠2つだけというのも物足りないと考えたのである。そこで野村橋(姉川古戦場の碑がある)を渡って旧浅井町に入り、県道264号線(高山長浜線)から七曲峠を越えて奥伊吹方面に合流することにした。(距離的にはどうだが知らないが、少なくとも時間的には全然ショートカットにはならない。)この峠道はその名が示す通り、西側はウネウネばっかしである。押し一徹。とはいえ傾斜は中程度なので休憩を挟まなくとも登り詰めることは可能。東側はカーブの曲率が小さく(最後はほとんど直線)、その分スピードが出るから注意されたし。(もし私がツーリング中に命を落とすとしたら、こういう所で調子に乗って暴走し、転落あるいはガードレールに激突した時だろう。)
 下り切ったら左折。勾配はさほどでもないが、曲谷バス停付近の押しボタン式信号(註)の手前から徐々にきつくなる。(註:県道40号線で唯一の信号だが、設置の意義を全く感じない。あるいは路線バスの終点なので転回する際に必要となるのだろうか?)またしてもその名の通り、集落を出てしばらくすると右に直角に折れ、続いて左折するとショートカット(ダム建設のため掘られた)のトンネル2つ(寺越トンネルと堂屋敷トンネル)が待っている。ただし、橋を渡った直後に左側の狭い道に入ってしまうという手もある。ダムを見下ろしながら進めば管理事務所の傍を通って県道に復帰する。急勾配だが少なくとも距離的には近道になる。最初から押すつもりの人には利用価値はあるだろうし、姉川ダムに興味がある人にはお薦めの寄り道だ。(滋賀県のダムとしてはなかなかに立派である。ただ私はこの春に訪れた徳山ダムの偉容が残像として焼き付いているため、どうしても見劣りすると思ってしまった。)
 堂屋敷トンネルを抜けてからは途中2度ほど上りがきつくなるけれども、問題なく漕ぎ続けられるはず。間もなく見えてくるのが奥伊吹最後の砦(?)甲津原である。分校跡を過ぎたら左手の土道に入る。実はここからが問題である。2度目に足を運んだ際は峠への登り口がなかなか見つからず、結局時間切れで引き返す羽目になった。とにかく記憶の糸を辿りつつ前に進むしかないが、何せ風化が進んでいるから心許ない。そうなると「新穂峠→」の看板(註)が唯一の頼みの綱である。(註:実は1度目も2度目も最初は見つけられなかった。あまりに地味だったためである。)絶対に見落とさぬように注意しつつ進んだ。が、行けども行けども見当たらない。不安は募るばかり。で、結局大迷走することになってしまった。
 まず石碑の建っている所で右に折れてみた。何となく見覚えがあったから。だが、道の状態が悪くなるばかりだったので怖くなって引き返した。それで少し戻って、一つ手前の分かれ道から右に入った。道の分岐角度(ほぼ直角)が記憶とはちょっと違っているような気もしたが、一部区間でススキ繁茂していた以外、とくに通行に支障はなかったので行ける所まで行ってみることにした。が、林道終点の先からは谷を詰められるような登山道もなく、Uターンを余儀なくされた。そこで今度は石碑の先を行ってみた。が、鉄製の橋を渡ってしばらくすると道は二股に分かれていた。どちらも行き止まりであることは把握していた。そうなると、やはり最初に入った道しかないということになる。30分以上損した。
 入って間もなくの急坂を過ぎると緩やかになる。左手に谷がある。地形的にはこれでOK。だが先述したように路面はかなり荒れている。崩落が2箇所、土砂崩れが1箇所、倒木はそれ以上。四輪車や二輪車での通行は無理だろう。それでも何とかかんとか林道終点に付いた。(実は初めてここに来た日も諦めて引き返そうと思ったのだが、たまたま渓流釣りのおっちゃんに出くわしたため、「ここから峠まで行けますか?」と尋ねたところ太鼓判を押してくれたお陰で首尾良く登頂に成功したのである。)
 そこから先はしばらく岩場を経て谷沿いのシングルトラックを進むことになる。左岸から右岸に渡るとやがて尾根筋に出る。かなりの急勾配、加えて落葉堆積のため少々滑りやすいものの休憩を挟みつつ数十分で峠に至る・・・・はずだった。ところが、この道がやけに狭い。のみならず崩れそうな箇所、滑りやすい箇所が頻出するから担ぎでは相当怖い。倒木も行く手を阻もうとする。そして踏み跡は怪しさを増すばかり。それでも必死に歩を進めて見たが、とうとう直進が不可能となった。ふと右手を見たら赤いテープが木から垂れ下がっている。それで川を渡ってみることにした(もちろん靴には浸水)。だが、そちらも道らしきものは見つからない。どの方向も藪漕ぎ必至である。これは人間が歩く場所ではない。少なくとも自転車携行では。(滑落→遭難の恐れすらある。)そう判断し撤退を決めた。要は廃道プロセスの最終段階に入っているということである。無念ではあるが、たとえ一度でもこの由緒ある峠道に足跡を残すことができたのを感謝すべきかもしれない。
 実はこういう事態も十分想定していた。ということで、予め用意していたオプション、つまり国見峠経由で岐阜県に入ることにした。(県道終点から奥伊吹スキー場内を通って品又峠というのは問題外だった。あそこも自転車連れで気軽に登れるような場所では断じてない。何にしても岐阜に抜けられないとなれば甲津原まで足を運ぶ理由がなくなってしまう。好きな集落なのだが。)ただし、当初の計画通り八草峠から入県するとなれば、日坂越の西に位置する旧春日村〜旧久瀬村間のピークも越えないといけない。(特に命名されていないが結構な上りである。ただし幅広のアスファルト道で状態は良好そのもの。)既に太股と膝に違和感を覚え始めていたこともあり、そちらは自重することにした。そうなると必然(消去法)的に南進して関ヶ原経由で戻ることになる。それでも明神の森(岩手峠のすぐ傍)に至るまでの負担は決して軽くないから、七曲峠と国見峠、それに新穂峠挑戦を0.5とカウントすれば、3つ半分といえなくもないだろう。
 国見峠は(古屋から笹又経由で伊吹山ドライブウェイまで出た日以来)3度目になる。この峠道については大して書くことがない。ほとんど全ての区間で舗装が完了している。滋賀県側の登り始めこそダートだが、それもかなり拡張&整備されていた。路側帯が設けられていたことからも、間もなく舗装されるものと予想される。なお、川沿いを道なりにずっと行くのはペケで、錆の浮かんだ鉄製の橋を渡らなければならないのだが、前回はなかった新しい橋が架かっていた。平成18年3月竣工とある。これなら見過ごす恐れは皆無だろう。対岸に出て間もなく舗装道となった。最初はそれなりの勾配だが、やがて押しと漕ぎの併用となる。押しとはいっても絶望的な急坂ではないし、漕ぎ区間はかなり連続して乗れる。(鍛えの入った人なら全然降りなくても大丈夫だろう。)前方に峠が見える辺りから急峻となるが、これは県境峠における通過儀礼のようなものである。ない方が却って不自然だ。(ちなみに最後の最後は漕ぎ可能である。)そういえば前回来たのは台風一過で、特に被害が大きかったと思しき岐阜県側のアスファルトはズタズタだった。また滋賀県側でも崩れ落ちた土砂の山を何とか乗り越えたのだが、その現場は土道のままだった。災害はまだ爪痕を残しているという訳である。斜面の補強作業が行われており、頂上手前でも法面工事中だった。(そのため県境がゲートで封鎖されていた。)
 峠には道標だけでなくミニ五重塔や長寿大師像(弘法大師らしい)などが新たに建立されていた。八草峠や鳥越峠と比べたらかなりゴージャスである。ここで昼食休憩(12:05)。今度は箸を忘れてきたことに気付く。当然ながら異文化理解の時間となった。
 ここからは端折る。県道32号線(春日揖斐川線)から同257号線(川合垂井線)に入ると下りから上りに変わる。(長谷川沿いを遡上するから当然だが。)向かい風も災いしアップダウンが結構応えた。(その前が国見峠だけなら何とか乗り続けられただろうが。)さざれ石公園(古屋)に至る道と別れてからは道幅が狭くなるとともに川のすぐ上を通るようになる。鬱蒼とした木立の中を走るのは非常に気持ちが良い。(余呉の中河内木之本線と双璧だろう。)疲れてさえいなければ。開けた場所に出たらつづら折りの連続。明神の森までは押し一徹となった。関ヶ原に入ってから延々と続くジグザグ下りは急勾配で猛スピードが出るからかなり危険である。(それでも約15分かかった。)麓に着いたのは14時ピッタリ。柏原までは国道21号線ではなく旧道(中山道)を通った。普段は快適走行なのだが、この日はちょっとした上りも疲れ切った身には辛く、町並みを愉しむ余裕は全くなかった。山東町立(現米原市立)図書館に寄ってみたら、本のリサイクルという催しをやっていたので文庫本を数冊もらって帰った。
 これで2007年の走行記録は終わりである。昨年のページ(約38000字)よりは減ったが、それでも3万字は超えた。来年からは再履修の割合が増えるはずであり、基本的に初走行のコースのみについて執筆しようと考えているから、字数は今年の半分程度となるだろうと予測している。(←当てにならないけど。)

おまけ
 先月執筆分終わりで触れた献血であるが、1週間前ちょっとしたトラブルに見舞われた。返血の最終回(3回目)で針が血管から抜けてしまったため中止。(こちらが強く握りすぎたのが良くなかったらしい。)それで数百ミリリットル分の血球その他まで献呈することになった。それは別に構わないのだが、終了後の血圧測定中に突如気分が悪くなり数十分の休息を余儀なくされた。(最高血圧が80台にまで低下した。これまで100回以上やってきたが、実は2回目である。ちなみに初回は吸引中のことで、特にこれといった原因もなしに目の前が暗くなった。)それも別に気にはしていないのだが、規則により4週間以上(通常は2週間)間隔を空けなくてはならなくなったのが痛い。となると今年はあと1回しかチャンスがない。来月8日から19日までブラジルに出張することになったからである。渡航したら最低でも4週間は受け付けてもらえない。(これがマラリア汚染地域なら1年間自粛しなければならない。)要はノルマとしている20回/年に1回届かないことが確定した訳である。残念無念!

11月27日追記
 上記出張の件であるが、先方(受け入れ先)との交渉決裂によりキャンセルとなった。(共同研究者によると、どうやら金銭面で折り合いが付かなかったらしい。)その怪我の功名という訳だが、来月も8日から献血できることになった。ただし、その日は多忙のため次回(15日か22日)をもって打ち止め。これで一昨年および昨年と同数の20回キッカリである。

12月3日追記
 前回(11月24日)の検査結果を今日受け取った。目を引いたのが赤血球数の452で史上最高値を更新である。特に食事を変えたり体調管理に気を配ったりしていた訳ではないから原因は全く不明。(ちなみに体重は相変わらず70kg前後をウロウロしている。)一方、コレステロールも213でほぼ1年ぶりの高値を付けた。もちろん全てが悪玉ではないが、ちょっと気になるところではある。

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