上記ノルマを果たしに行った。「ノルマ」と書いたが本当は「自己確認」である。TBS系列で毎年新春に放映されているプロスポーツ選手の競技大会(跳び箱や樽投げなどがある)にヤクルト・スワローズの古田敦也は毎年(もしかしたら初回から?)出場している。出場者の中ではかなり高齢のため上位に入ることは難しいが、ある年の放送で「僕は自己確認のため毎年これに出ているんだ」と語っていた。(彼は来年からプレイング・マネージャーとなるが、現役を続ける限り出るだろうと私は思っている。)それを聴いて「ええ台詞やなー」と思った私は、同年生まれの彼を見習って琵琶湖一周および八草峠→鳥越峠周回コースを「自己確認」の場とすることに決めたのである。辛く苦しいのは事実だが、完走後の充実感は何物にも代え難い。もし「こんなのもうイヤだ」という思いが頭を過ぎったら自転車遠乗りを止めることにしている。あと10年は大丈夫だろうと思うが・・・・
とはいえ、このコースは6時間弱で走れてしまうため昼食持参(一日がかり)のツーリングとしては少々物足りない。そこで、しばらく走っていなかった県道285線(中河内木之本線)とセットにすることにした。(丹生ダム完成後に沈んでしまう民家の引っ越しがだいぶ前に完了しており、上流の半明、針川、尾羽梨、鷲見、奥川並、田戸、小原という7集落は全て無人=廃村である。岐阜の徳山ダムの方が規模と共に建設反対の声も大きいため有名だろうが、要はあれと同じである。)とはいえ、先にそちらを通るとなると椿坂峠と杉本隧道(丹生トンネル)の上りも加わる。少々不安はあったが、とりあえず行ってみることにした。最悪の一日だった先月10日のリベンジである。トータル10時間(休憩含む)と踏んでいたが、今回は自宅発着なので途中でバテても大丈夫だろう。
体力同様に気を揉んだのが天気である。3日(木)は曇り時々晴で翌日から崩れるという予報が前日になってひっくり返った。当日朝はどんより曇っており今にも泣き出しそうである。が、午前午後とも30%という降水確率を信じて出発した(6時35分)。ところで、10月は嫌がらせのように土曜日の天気が悪かった。昨年から毎週土曜の自転車通勤を10月いっぱいに延長(それ以前は9月まで)しているのだが、実際には第1土曜(1日)だけだった。さらに腹立たしいことに、第5土曜(29日)は50%以上の降水確率が出ていたにもかかわらず、結局ほとんど振らなかったのだ。そんな訳で買い物のチョイ乗りを別として、自転車に乗ったのはあの悪夢の一日以来だったのである。その弊害がモロに出た。自宅を出て1時間走れば余呉町の片岡小学校(池原)辺りまで行ける。追い風の日はその先の小谷まで、向かい風でも鏡岡中(中之郷)は通過できる。ところが今日は下余呉交差点(余呉湖に向かう道との分岐点)までしか行けなかった。明らかに体がなまっている。椿坂峠の上りも普段より手前から押す羽目になった。不安が募る。しかも、出発して間もなくポツリポツリ降り出した雨が本降りになってきた。やむなく柳ヶ瀬で雨宿りすることになりタイムロス。(こういう時に限って予報が外れやがる。しっかりせえ気象庁!)
何とかかんとか峠を越えて中河内に到着、右折して県道285線に入る。(国道365号線の電光掲示板に「中河内木之本線通行止」の表示が出ていたけれども毎度のことなので全く気にしていなかった。)以前はなかった二車線の立派な舗装道路がしばらく続いていたのでビックリした。ダム建設に伴ってこの交通量の極めて少ない道も整備するのだろうか?(計画がポシャったらどうするのだろう?)が、すぐに馴染みのあるガタガタアスファルトに戻る。半明の湧水の側に置かれていたベンチは撤去されており、勢いよく水を吹き出す黒のホースだけが残されていた。この水はなかなかに美味いので給水し、ペットボトルに詰める。ここを走るのは約2年半ぶりだと思い当たった。そういえば前回ここを通った際、針川か奥川並に向かう道の脇に県外ナンバーの車が停まっていて驚いた。山菜や松茸の季節でもないというのに。私は廃村跡を見たくて支道に入ったのだが、しばらく行くと道路中央の雑草繁茂が著しくなり、窪みに水が溜まっていたので引き返した。が、後日あの方面で成人向けビデオの撮影が行われているというネット情報(もちろん真偽は定かでない)を得た。「もっと先に進むべきだったか!」と悔やんだのはいうまでもない。さて、少々の落石こそあったものの「通行止」になるような理由は見い出されない。と思っていたら、あと少しで菅並に出るという地点で大規模な(十数メートルにわたって)土砂崩れと巨大落石があった。それもかなり時間が経っている感じだ。修復が行われそうな様子は全くない。私は担ぎで事なきを得たが、四輪車はもちろん自動二輪でも通過は無理だろう。対岸に建設中の新道が見えたので、おそらくこの歴史ある道は見捨てられたに違いない。ここでは水位上昇に備えて山の上の方にも道が付けられていた。
予定時刻より少し遅れたが、杉本隧道(なぜか両方の入口に書かれたトンネル名が違う)までが予想以上に楽だったので遅れは取り戻せた。八草トンネル開通に伴う国道303号線の新道工事は前回来た時と比べてあまり進んでいないように見えた。私はもちろん旧道に入る。ここでいったん小振りになっていた雨がまた強くなったが、杉林がことごとく遮ってくれたためほとんど濡れなかったのは助かった。峠が近づくにつれ霧が出てきた。何度も来ているがこんなことは初めてだ。もしかしたら視界が利かなくなるのでは、とビビったがそこまで濃くならずホッとした。県境の看板が「坂内村」から「揖斐川町」に変わっており、「マムシに注意」「熊に注意」の看板も上書きされていた。(「合併で随分大きな町ができたんだなあ」と思ったが、調べてみたらもっと上があった。合併後の高山市は日本一大きい市町村となり、その面積は香川県や大阪府をも凌ぎ東京都と同等らしい。)ここも「通行止」だったが最後まで通過に支障はなく、四輪車とも何度もすれ違った。とはいえ、路面には年々ひび割れが目立つようになり、彦根の廃村内の道とだんだん似てきたような気がする。いつまでここを通れるだろうか?
最後に残ったのが最難関の鳥越峠。(例によって「通行止」で、ここは実際に崩落のため工事をしていることが少なくないが、その場合には脇をそっと通してもらっている。)いつもより長距離を走ってきているだけに、やはり体力の消耗は大きい。林道に入って間もなく押し一徹となった。(八草峠道は急な登りのため最初から覚悟している。)しかも連続して押していられる時間が短い。漕げそうな所で踏ん張ったら脚に鋭い痛みが走った。こういう場合、収まるまで絶対に降りてはいけない。足を着いた途端、本当に吊ってしまうから。以前これで酷い目に遭った時の教訓が生きた。しかし、この過酷な峠道にもいいところが1つある。それは視界が開けており(八草峠道の滋賀県側のように林内を通っているとダメ)、下から眺めた時に見えるガードレールの切れ目付近に本当に峠があることだ。(先々月紹介したおにゅう峠のようにその奥に上りが続いているようなことはない。)そのため「あそこまで登ればいい」と明確な目標が立てられるのである。これが精神的にものすごく大きい。最後のつづら折りに入ってからはあまり辛くなくなった。あと少しで峠という所に設けられた駐車場に自動車が何台も停まっていた。途中で私を追い抜いていった車で、「こんな悪天候の日にわざわざ来てどうするつもりだろう(滋賀県側には抜けられない恐れもあるというのに)」と私は訝しく思っていたが謎が解けた。濃緑の杉と黄橙赤に色付いた広葉樹の織りなすモザイクの美しいことといったら!(この点では杉の比率の高い八草峠は完敗である。)その見物のために来ていた登山客達だったのだ。(車は全て岐阜ナンバーだった。)きっと私もリピーターになるだろう。なお、この林道の「通行止」は案の定ハッタリではなく、滋賀県側では作業員がロープによじ登って崩落箇所の補修を行っていた。
帰宅は16時44分。とはいえ途中ジャスコに寄ったからほぼ私の目算通りであった。今回もアミノサプリの効果が絶大であったことを最後に付け加えておく。
戻る