Maria João(マリア・ジョアン)

Chirinho Feliz(ショリーニョ・フェリス)
(ただし名義はMário Laginhaマリオ・ラジーニャ共々)
2000
VERVE(Universal Music) 543 749-2(UCCM-1002)

 日本でも人気の高いクラシック系ピアニストではない。それは(そっちは同国人のMaria João Piresであるのは)もちろん分かっていたが、長きにわたってアフリカ系(移民あるいはその子孫)だと思い込んできた。というのも当盤のブックレット表紙、それ以上にディスクを収納する透明トレイの背後にある裏紙(?)掲載の顔写真(共演者=ピアニストを熱い眼差しで見つめている)はどう見てもそれっぽい。ところがHMV通販サイトに出ていた "Fábula"(1996)のジャケットは完全無欠なる白人ではないか! 「逆マイケル・ジャクソン現象」とでも言いたくなる。さらに当盤同様の二重名義による "Cor" (1998)ではラジーニャと鼻とをつき合わせている。まるで濃厚なキスを交わす直前のごとく。何とも妖しい音楽家である。(なお当盤ジャケットも相当に怪しい。ラジーニャは壁にもたれつつ普通に立っているようだが、逆さまに写っている隣のジョアンの方は髪が鉛直方向に垂れ下がっており、明らかに宙吊り状態で撮影されたと思われる。一体どういう意図によるものだろうか?)それは容貌だけに留まらない。歌唱においても強烈な個性を発揮している。が、既にそれをテレーザ・サルゲイロの "Obrigado" のページに書いてしまった。弱ったな。とりあえずはKさんの「マドレデウス掲示板」への投稿(当盤の購入に至った経緯と聴後の感想について綴った2000年10月2日付の文章)を参考にしながら続けてみよう。
 両名義人はドゥルス・ポンテスの「プリメイロ・カント」にゲスト出演していたので、既にその存在は知っていた。それが「CDジャーナル」の新譜紹介コーナーに採り上げられていたため関心を抱いた。ただし、注文する気にさせられたのは賞賛の言葉ではなく、「矢野顕子に似た歌い方」という記述によってである。トラック1 "O chão da terra" の出だしを聴いて「うんうん、似てる似てる」と肯いて&笑ってしまった。長嶺修による解説にも「矢野顕子的な歌い方や声の感じ(本作を聴いた多くの人は、そうした印象を持つのではないか)」という記述がある。ところで私は放送開始直後のみTBSの「ザ・ベストテン」をたまに観ていたが(註)、その最初期に矢野が「春先小紅」(化粧品のCMに採用)で出演したのを憶えている。何かの深夜番組にてお笑い芸人が彼女を「顔面女」呼ばわりしていたことがある。かなり失礼なネーミングながら、その形容にも納得させられてしまった。(註:高校に入ってからは全くといっていいほど観なくなった。毎週聴いていたラジオ番組のパーソナリティを務めていた石川優子が出た時を除いて。)他には「ラーメンたべたい」や曲名は知らないけれど西友のコマーシャルソング(びわこ放送の「BBCライオンズアワー」の合間にしょっちゅう流れた)での独特の声と節回しは一度聴いたら忘れられるものではない。(他には清水ミチコの物真似による「ひょっこりひょうたん島」も印象深い。)ジョアンも全く同じである。
 歌の出だしを聴いただけで「ほのかに哀愁を帯びた」のようなポルトガル音楽に対するイメージは跡形もなく粉砕される。矢野顕子の歌い回しをさらに何倍も強調したらこんな風になるだろう。あざといのは事実だが、最初から際物と割り切って聴いていれば全く気にならない。ただしブックレット掲載の歌詞は出だしから "diz quem de manhã viu...." とあるものの、私の耳には「ニグェーリーグェーイー、アカヴォーナ、シミシュエリ、アリグィーウィ」としか聞こえない。(全く心得はないが)スワヒリ語みたいである。とうとう最後までどこを歌っているのかがサッパリ解らなかった。それゆえ、私は先述の誤解によりジョアンが祖先の言語を敢えて使ったのではないか(葡語詞は意訳に過ぎない)と思い込んでいたほどだ。とはいえ、今ジックリ聴いても歌詞と対応しているようには全然思えない(葡語の響きとは似ても似つかぬようにしか聞こえない)から、謎は残されたままである。なお、この曲ではGilberto Gilが共演している。かなりの有名人だとは思うが初めて聴いた。そしてジョアンと同調して意味不明の詞を歌っているものの、歌唱は女性歌手と比べたらはるかにまともである。もっとも彼までが異常だったら個性のぶつかり合いが潰し合いにまで発展し、共倒れになる危険もあったと思う。終盤(4分27秒)にカン高い声(変ホ長調のソ=A#だからオペラ歌手並)で絶叫する。それも地声で。やっぱり只者ではない。最後の1分ほどは2人の楽しげな掛け合いであるが、どこかの部族による何かの祈祷みたいに聞こえる。やっぱり怪しすぎる。
 次の "Sete Facadas" は "Obrigado" 評に記した通り終盤の速射砲唱法が凄い。もっともクレジットに "lead + backing vocals: Maria Joáo" とあるから、多重録音を使ったのかもしれないが・・・・と考えたくなるほどにも人間離れしている。(なお、当盤はトラック5までのクレジットがブックレットの最終ページ、そして以降が同4ページに掲載されており、明らかに乱丁である。)ちなみにHMV通販には「合気道の黒帯を持ち、スイミング・スクールのトレイナーだったジョアン」との記述があったから、歌手になる前に並外れた肺活量および呼吸法を身に付けていたのかもしれない。
 少し飛ばしてギターとアコーディオンの伴奏よるトラック6 "A lua partida ao meio" はシンミリ感が素晴らしく、当盤中で最も気に入った。Kさんに「海と旋律」(マドレデウス)に収録されていても違和感を感じない等と書いたが、月を題材としたものとしては "Hijo de la luna"(メカーノ)と並ぶ名曲だと思う。以降のトラックも曲想が目まぐるしく変わるものの、非常に独創的であるという点では共通している。なお、CDJではジャズの新譜として紹介されていたものの実際どのジャンルに属するのかは判断に迷うところである。(ついでながら、帯の「極上のワールド・ポップ」はもちろん宣伝文句ならではの誇張であるが、それ以前に「ポップ」はどうかと思う。)
 またまた飛ばしてラス前の"O recado delas" はポルトガルの伝統打楽器アドゥフェが強烈な3拍子のリズムを叩き続ける女性合唱付きの曲である。ところが4分過ぎからリズムが少しずつ変わり、切れ目なしで終曲(トラック12)の "Sambinha" に突入する。「ドンドコドンドンドコドン」から「チャカチャカチャカチャカ」への変化がこの上なく面白い。その名の通りサンバ(同じく合唱入り)であるが、当盤を締め括るに相応しい華やかさを備えている。(どうでもいい話だが、サンバを耳にすると反射的にラモス瑠偉の顔が浮かんでしまうのはなぜだろう?)最後はフェードアウトして終わる。
 なお、このトラックあるいは先述のジルの他にも当盤にはブラジルのミュージシャン(歌手および器楽奏者)が複数参加している。(これも余談ながら、この点を指摘しつつ「何だか、植民地回想的企画?ばかり。異文化音楽家ネットワーク拡張への貢献活動は素晴らしいことだが、もはや歌唱という本性から離れ、ひたすらマージナリティ形成の触媒に徹するというのも残念至極。もともとマリアはファド的世界は希薄だが、所詮、こんな音楽だけでは、彼女自身の真の面白さがリマインドされることはないのでは?」とコメントしているサイトを見つけたが、これほど独創的なディスクは滅多にないと好意的に聴いた私には全く理解不能である。ファドからかけ離れているのが気に入らないのだろうか?)その理由についてライナーには「2000年がポルトガルによるブラジル『発見』500年に当たることに因んで企画された」との説明がある。(同様の記述が帯にも載っている。)ちなみに長嶺は解説を「こうしてポルトガルとブラジルのリズムが、500年という、ある意味で悲痛な歴史を乗り越えるための祈願のように幸福に架橋され、このアルバムは終演する」で結んでいる。敢えてカギ括弧内に入れた「発見」も「悲痛な歴史」ゆえとわかる。(そういえば竹村淳も「ラテン音楽パラダイス」にて、「先住民の立場にたち(註:この重複表現は少々気になる)『発見』という言葉を避けている」と書いていたっけ。実際、1992年の「米大陸発見500年記念」の時は、中南米諸国から「俺達の土地をメチャメチャにしておいて何が記念だ!」という怒りの声が上がったそうである。しかしながら、当時としては高度な文明が成立していたにもかかわらず、インカやマヤなどに壊滅的ダメージを与えたスペインの侵略者ども(註)とは異なり、ポルトガル人は残虐非道の限りを尽くした訳ではない(ブラジルの先住民はケチュア族やアイマラ族ほどは悲惨な目には遭わずに済んだ)だろうから、その子孫達が「発見」を理由に少しぐらいお祭り騒ぎをしても許されるのではないかと勝手に思っている。(註:ただしパラグアイのグアラニ族はあまりに凶暴で手が付けられないため、さすがの連中も武力制圧ではなく布教による懐柔策を選んだという話を聞かされたことがある。)ところで、ポルトガルとスペインは西経46度30分に分界線を引き、それより東を前者、西を後者が支配するとの取り決めを結んでいた。(「ボードゲームと一緒にするな!」と怒鳴りたくもなるが。)そのため南米ではブラジルだけがポルトガル領となった訳である。また東経133度30分にも同様の線が引かれ、それは日本を中国四国で二分するものであった。(こういうのは中高の歴史の授業で学んだことだから年々怪しくなってはいるものの、大まかなところは合っているだろう。もちろん細かい数字はネット検索によって得た。)つまり、下手をすれば日本も餌食にされる可能性があったということだ。最近調べものをしていて辿り着いたあるサイトによれば、「これを防いだのは、織田信長の迅速な国家統一事業であった」らしい。それに対し、約330年にわたってスペイン人による植民地支配を受け続けたフィリピンからは絹などの物産資源が大量に持ち去られ、さらに原住民はことごとくカトリック信徒に改宗させられた訳である。それゆえ私は「日本を最初に訪れたのが血の気の多いスペイン人でなく、比較的温厚なポルトガル人だったのは本当にラッキーだったなぁ」(註)などと感慨にふけりながら当盤に耳を傾けていたのであった。(註:とはいえ、前者は侵略的支配と資源略奪、後者はあくまでキリスト教の伝道が目的であるとの何かの本に出ていた対比は非常に明快ながら単純に過ぎると今になって思う。これも脱線だが、闘牛に熱狂するような連中にだけは捕鯨についてとやかく言われたくないと思う今日この頃である。あんなのを国技にしている人間の感性や品性を疑いたくもなってくる。お互い様だろうが・・・・)
 閑話休題。技術的には非尋常度の基準(90点)を大幅に上回るけれども、ガツーンと打ちのめされるようなことはなかった(精神的インパクトには欠ける)から95点としておく。

追記
 テレーザ・サルゲイロの "Você e Eu" 評ページを作成中のこと、「犬」通販のレビューにあった「元々ポルトガル人が作ったブラジルという国」という記述に私は言葉を失った。切腹ものの不適切発言ではないか!!

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