ガル・コスタ(Gal Costa)
GAL
1992(LP発売は1969)
BMG(RCA) V120.028
(翌年に国内盤のBVCP−643が発売→98年にBVCP-7534として再発)
既にどこかに記したかもしれないが、パラグアイ在住中に耳にしたブラジルのサッカー中継はまるでクーデターを実況しているような激しさだった。それ以来、ブラジル・ポルトガル語の響きに対する「野性的」(もっと言えば「暴力的」)というイメージが定着してしまった感がある。さて、このガル・コスタは、それをそのまま音楽に持ち込んでいるような歌手である。
よく考えたらブラジル音楽のディスクとして初めて入手したのが当盤である。名古屋の中古屋で買った。クラシックのCDをチェックするために定期的(だいたい隔日曜)に訪れていた郵便局の向かい側の店ではなく、その50mほど東にあった小さな店である。中は非常に狭く、誰かがデイバックを背負っていたら通り抜け不可能。品揃えもイマイチで割高感もあったが、思わぬ掘り出し物(価格設定ミス?)を発見することもあったため、たまに足を踏み入れていた。そこの「ラテン・ブラジル」コーナーに当盤はあった。たしか1000円だった。その頃の私はブラジル音楽にも興味を持ち始めていたため気にならないでもなかったが、輸入盤ゆえ帯の紹介文などもちろんなかったし、何といっても "GAL" というタイトルが障壁となった。「ギャル」という安っぽい語感から軽薄という印象を抱かずにはいられないではないか。初めて目にしてから1年以上は経っていただろうか。それでも依然として置いてあったため、いつしか「やはりろくでもない音楽だから売れないに違いない」と思うようになっていた。ところが、ある日前を通りかかってみたら段ボール箱に入ったディスクが見切り品として250円で売られている。その中に見慣れた(ブックレットもケース裏も青を基調とした)1枚があった。それでレジに持っていたという訳である。
トラック1"Saudação aos povos Africanos - Ingena" で呆気にとられてしまった。"Africanos" とあるが、確かにどこかの部族がいけにえの踊りを捧げているような強烈なリズムである。約30秒間続く。さて、その興奮も冷めやらぬ内に次の "Revolta olodum" が始まる。終始打楽器が大活躍する伴奏は何とも荒々しい。一方コスタの声はハスキーだが決して痩せていない。力強くボリューム感は十分ある。その両者が最高といっていいほどの相性の良さを示しているのである。(野蛮と言っては失礼かもしれないが、野趣味溢れる音楽に透き通った声や上品な歌い方は似合わない。)この時点で一級品の音楽であると確信した。が、それだけでは終わらなかった。
次の "Coisas nossas" はテンポの速い曲である。イントロから打楽器が暴れているが、サックスによる旋律は言わずと知れたサンバの名曲 "Brasil"、それも軽やかな吹き方である。そして始まった歌も小回りが利いており機動力抜群という印象だ。以後全てのトラックに触れるのは面倒なので端折るとして、7曲目 "E d'Oxum" も「ズンチャ、ズンチャ・・・・」のリズムが前面に出てくるが、「オシュン神〜イアー・アギバー・オシュン・アウラー・オル・アドゥぺー」という邦題から想像するに、これも神事の音楽をイメージしているのだろうか? 御輿を担ぐ時の「ワッショイワッショイ」という掛け声が聞こえてきそうな曲調だが、彼女の持ち味が当盤中で最もよく出ていると思う。かと思えば、10曲目 "Cordas de aço" から12曲目 "Feito de oração" までの落ち着いた感じの曲では実に味わい深い歌唱を聞かせてくれる。特に真ん中に置かれたボサノヴァの "Caminhos cruzados" が屈指の出来と思う。(なお冒頭の "Saudação...." は中間部=トラック9と終結部=トラック14にも挿入されているが、当盤ではこれが一種の「仕切り板」としての役割を果たしているようである。)
ということで、当盤に収められたテンポも曲調も様々な音楽の数々を全て見事に歌いこなしているから、コスタはオールラウンド型の歌手といえるだろう。完成度が非常に高いので90点といきたいが、英語曲(トラック5 "The laziest Gal in town")の混入で感興に水を差されたため88点とする。ところで、彼女に限らずブラジルの歌手には(A・ジルベルトのようにそっちがメインになってしまうケースは特殊としても)オリジナル・アルバムに英語のトラックを加えることが珍しくないように思う。(しかも発音には全く不安がない。)ブラジル、ポルトガル、アンゴラ、モザンビークの使用人口を足すと約2.3億人となり、アラビア語に続いて世界第7位とはいいながらも世界的にはマイナー(特にラテンアメリカではほとんど四面楚歌)であるとの意識から、国際人として活躍するために英語を身に付けようという自覚が芽生えるのだろうか? デビュー後しばらくは母国語のアルバムを何枚か発表し、ある程度人気が出てきてから世界進出を目論んで英語曲のみのアルバムを作ることが多いスペイン語圏の歌手とは全く違うのが面白い。(世界で3番目とはいってもせいぜい3.3億人だから先述のポルトガル語と比較しても極端に多いとはいえないのだが、ラテンアメリカに留まっている限りにおいて西語は「世界語」として通用してしまう。ちなみに世界で最も英語が通じない地域は中国内陸部と中南米だという話を聞いたことがある。)
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