忌避理由
 下はKさんのサイト内にある「マドレデウス」掲示板への投稿(98/12/01付)である。読み返すと明らかに「言いすぎ」の部分があるが手は入れない。(ちなみに「Gちゃん」とはポルトガル関係サイトのオーナーを指している。)

 少し前になりますが、テレーザの歌詞の発音はとてもきれいで、一語一語丁
 寧に発音してくれるというGちゃんさんの書き込みに対して思うところがあ
 るので、コメントしたいと思います。
  かつてGちゃんさんの所で、テレーザはカレン・カーペンターやアナ・ト
 ローハ(スペインのポップグループ "Mecano" のヴォーカル)と並ぶ三大美
 声女性歌手だと書きました。彼女たちは単に声がいいだけでなく、発音も非
 常に美しいのです。つい見逃されがちですが、美声には声質だけでなく発音
 の美しさも関わっている、というよりこちらの方がもしかしたら重要な要素
 なのかもしれません。彼女たちのアルバムはヒヤリングの教材として真に相
 応しいと思います。実際、カーペンターズのレコードで英語の発音を学んだ
 人は結構いるようですし・・・・・
  ここで話題を日本の音楽に目を向けてみると、日本語を学んでいる外国人
 に模範的発音として勧められる音楽はあるだろうかと僕は考え込んでしまっ
 たのです。ニューミュージック系はほとんどダメ。演歌も節回しが不自然す
 ぎる。となると童謡・唱歌ということになるのでしょう。ところが、以前僕
 はエルンスト・ヘフリガーというベテランのテノール歌手が日本の童謡をド
 イツ語で歌っているのを聴いて、その中で「おぼろ月夜」などはその方が美
 しいことに気付いて愕然としたのです。もともと童謡や唱歌は明治時代にド
 イツから入ってきた音楽をベースとしていますから、基本的なつくりはドイ
 ツ歌曲と同じで、歌詞さえうまく乗ればドイツ語で歌った方が良いのは何の
 不思議もありません。また、「赤とんぼ」をスーザン・オズボーンという黒
 人歌手が英語で歌ったのも、ほとんど不自然さを感じることがありませんで
 したが、ジャズやバラードの影響を受けた音楽も、ことによると英語で歌っ
 た方が美しく響く場合があるのではないでしょうか。
  こう考えてみると、日本語で歌ってこそ美しい音楽なんて現代にはほとん
 ど存在しないのではなかろうか、と少し暗澹たる気分になりました。伝統的
 な日本音楽(詩吟や長唄など)はもはや天然記念物状態ですしね。もうこう
 なると、日本人はただひたすらに俳句や短歌を詠んでいた方が良いのかな、
 などと思ってしまいました。
  ところが、昨晩録音しておいた「日曜喫茶室」を聴いたところ、ゲストの
 オペラ歌手、塩田美奈子さんが「意味がそのまま伝わるような日本語のクリ
 アな表現をずっと探し求めていたが、美空ひばりの歌を聴いてこれだと思っ
 た」などと言っていました。こうなったら実際に聴いてみるしかないですね。

竹村は「それにしてもエリゼッチの唄の説得力はすごい。ボーカル・テクニックも素晴らしいが、それを超えたなにかがある。」と述べていたが、やはりそれなりの理由があるからこそ彼女や美空の歌唱が聴き手の心にスッと入り込んでくるのだろうとは私も思っていた。あるいは上の「意味がそのまま伝わるようなクリアな表現」辺りに秘密があるのかもしれない・・・・などと利いた風な口を叩いてしまったが、現在に至るまでCDを買って美空の歌をジックリ聴くということはしていない。「時々テレビで放送されるからまあいいや」と思っているからに他ならないが、有言不実行には「喝!」だぁ。
 最後に今年(2007年)3月に87歳で没したヘフリガーの「ドイツ語で歌う日本の歌曲」について。NHK教育の「芸術劇場」で観た時はさほどではなかったのに、後に中古屋で買ったCD(サンプル盤横流し)は音程外しがあまりにも頻繁に耳に付くのに嫌気がさし、すぐ手放してしまった。(許か誰かが「老醜を晒している」と書いていたこともその時に納得がいった。)とはいえ、全盛期の彼がリヒター&ミュンヘン・バッハ管とのマタイ&ヨハネ受難曲、あるいはワルター&コロンビア響との「大地の歌」(マーラー)などで聴かせてくれた数々の名唱の価値は恒久的に不滅(人類が存続する限り些かも減じることはない)であろう。ここに謹んでご冥福をお祈りする。

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