パブロ・ミラネース(Pablo Milanés)

Vengo Naciendo
1999
Universal Music LATD-40179

 既にお気づきだろうが、当サイトで男性歌手が登場するのは非常に稀である。普段滅多に聴かないからだ。というより全くといっていいほど聴く気が起こらない。その理由は「男声はクラシック(オペラとリート)で十分」と考えているからに他ならない。既に他ページで触れたアレハンドロ・サンスなど真面目に耳を傾けるに値するような歌手とは到底思えなかったし、たまにテレビ(NHK教育の西語講座など)で目にすることがあり、人気も結構あるらしきリッキー・マルティンとかエンリケ・イグレシアスあたりも実力は五十歩百歩、所詮はルックス頼みという印象しか持てない。数年前の海外出張時に機内で聴いたメキシコ民謡集がまずまずだったルイス・ミゲルにしても敢えてディスクを求めようと思わせるほどではなかった。それゆえ私がポピュラー畑の男性歌手を異例中の異例として採り上げた場合は、何れも精鋭中の精鋭、実力は折り紙付きであると考えていただいて結構である。(逆に女性歌手の方は玉石混合の感がある。カラスやシュヴァルツコップといった超弩級の存在を除き、クラシック (特にソプラノ) の歌手がどれも似たり寄ったりと聞こえて仕方がない私は、唱法に制約の少ないポピュラー界にこそ強烈な個性を感じさせるような歌手がゴロゴロしていると考えているので、面白そうな紹介記事を見たら反射的に手を伸ばしてしまうのである。そのため運悪くスカを引いてしまうことも少なくないのだ。)
 ルアル・ナ・ルブレ(ポルトガル語圏の音楽)のベスト盤「ガリシアの郷愁」評にも記しているように、この男性歌手は "Tu gitana" という曲で実に味わい深い名唱を繰り広げている(彼の声を初めて耳にしたのは実は他盤であるが、その経緯も既述のため省略)。当時「決して美声ではなくダミ声に近いのですが、力強さとともに哀しさをも湛えていてとても心打たのです」などと感想を横浜のKさんへの私信に綴った私だが、それから間もなくネット通販に当盤を注文したはずである。(調べてみたら2002年3月に¥1,896で購入した記録がamazon.co.jpに残っていた。)
 届いた品のブックレット表紙を見て少々意外の感に打たれた。アフリカ系とは思ってもみなかったから。歌声から何となくビクトル・ハラのように髪もそこそこ伸ばした白人歌手をイメージしていたのである。ちなみに通販サイト掲載のジャケットでも多くは当盤と同じく短いながら縮れ毛が生えているが、ほとんどスキンヘッドという写真もあった。ついでながら竹村淳「ラテン音楽パラダイス」295ページ上の肖像イラストがどっかの国の「将軍様」みたいに描かれているのはいただけない。
 それはともかく、竹村は「パブロ・ミラーネス」と綴っているが、当盤のジャケットやレーベル面の表記は "pablo milanés"(なぜか全て小文字)である。怪訝に思いWikipedia等あちこちを廻ってみたが、やはりアクセントは付くようだから、「ラ」よりは「ネ」を伸ばした方が適切である。彼が何でこのような間違いを犯したのかがよく分からない。(さらに余談:竹村式ではそれこそ「反射的」に「ミラーマン」を連想してしまうが、「ミラネース」だと今度はパラグアイ在住時代に食べた "Milanesa" (ミラノ風) の料理を思い出さない訳にはいかない。鶏肉にせよ牛肉にせよ皿からはみ出しそうなほど巨大な、そして分厚いカツレツのことである。あれには参った。条件反射でゲップが出そうになる。)
 それも措くとして、著者は歌手を「ヌエバ・トローバの巨人」と紹介している。"Nueva trova" とは「1960年代からキューバで生じた新しい歌の運動」を指すようだが、他の中南米諸国における "Nueva canción" 運動のような制圧や抑圧は受けずに済んだらしい。(カストロ政権からも支援されていた。)この辺の事情は詳しくないので他に譲るとして、ミラネースがキューバを代表するシンガーソングライターであるのは間違いない。そして当盤でもその実力を遺憾なく発揮している。
 トラック1 "El amor de mi vida" から満足満足。微妙に(ただしあくまで自然に)揺れる声からは脆さ、はかなさも感じられる。ただし力強さにも欠けていない。それが爽やかな曲調とよく合っている。サビでの女性歌手(不明)との掛け合いも見事。ところが、2分40秒あたりでスローダウンし間もなく終わると思わせながら、再び歩を早めてフレーズの途中から繰り返す。結局4分30秒ほどで終わるのだが、この「付け足し感」はちょっと気になった。ちなみに当盤ラスト(トラック14)はボーナスと思しき "El amor de mi vida (versión televisiva)" で演奏時間は2分58秒、要はテレビ放映用の短縮版であるが、こちらの方がスッキリ終わるため聴後感は断然良い。
 2曲目 "Mírame bien" もピアノとキーボードによる約30秒の序奏を受けて始まる歌唱によって何とも清々しい気分になった。次の "A mi lado" や10曲目 "La novia que nunca tuve" も同様。特に後者はサビが圧巻の出来映えである。フリオ・イグレシアスの超名曲 "Hey !" にも決して引けを取らない。そんな曲がズラッと並んでいるのだ!(なお当盤ではイントロの長い曲が多いが、長いものほど格調高い名曲に仕上がっているような気もする。)圧倒的感銘を受けたのが8曲目 "Yolanda"で、終盤の "eternamente, Yolanda" の連呼にとうとう胸が一杯になってしまった。もしかすると、収録曲の多くがニ長調からヘ長調という当盤において少し高い調に設定されているのがプラスに作用しているのかもしれない。先に「脆さ」などと書いたが訂正する。比類なき繊細さを備えた名唱だ。
 歌を堪能できるという点で先述した楽器2種類のみによる伴奏のトラックは申し分ないが、ドラムスなど打楽器が加わっていると印象はやや落ちる。また、9曲目 "El primer amor" 以外が全て長調曲というのも物足りない。他ミュージシャンとの共演で聞かせてくれた熱唱がいずれも短調だっただけに。とはいえ、これらにしても贅沢な不満でしかない。95点。

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