Descanso Dominical
1988(国内盤発売は1990)
BMG/Ariola BVCP-6

 1曲目 "El cine" の造りはシンプルそのもの。同じ旋律が計12回(間奏を挟んで6回ずつ)繰り返されるだけである。その間、オーケストレーションを少しずつ分厚くしていったり、別テイクのトローハの声を被せて重唱にしたりと、ラヴェルの超有名曲「ボレロ」と同じく音色の変化と塗り重ねの効果を狙った作品である。それだけなら驚くに当たらないが、4回目から5回目、および10回目から11回目に映る時に突如バックがリズム楽器だけになる。結果としてトローハの美声が一気に全面に出てくることになりドキッとさせられる。その後の伴奏も音がキラキラ輝いているようで極めて美しい。思わず溜息が出た。
 2曲目 "No hay marcha en Nueva York" は解説によると「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」のスペイン語版ということだが、その曲には思い出がある。南米在住時代にBBC日本語放送が終了したことは既に他所に記したが、その後しばらくの間は朝食時(放送されていた時間帯)にクリープのないコーヒーを飲まされているような気分だった。ある日何気なくラジオをチューニングしていたら日本語が飛び込んでいた。それもBBC!「復活したのか(まさか)?」と私は一瞬喜び勇んだが、しばらく聴くと、それが "BBC English" (英語学習番組)だと判った。それだけは残したのである。大して興味はなかったがそのまま流しておいた。どうやら歌で英語を覚えようという趣旨の番組らしい。そこで採り上げられたのがスティングのヒット曲だったという訳だ。結局それだけである。どんな音楽だったかは忘れてしまった。この曲も同様に米合衆国のスタイルに馴染めないスペイン人(マドリード出身?)の悲哀をユーモラスに歌っている。飄々とした音楽とのギャップが面白い。
 3曲目 "Mujer contra mujer" はメカーノの全作品中で私が最も好きな曲である。初めて聴いた時は、あまりの妖しさに目がクラクラしたほどだ。それゆえ相当長くなることを予告しておく。女性同性愛者を対象とした曲ゆえ、当然ながら歌詞は生々しい。なので最初は虚心に音楽に耳を傾けることをお奨めする。そうすれば驚異的な完成度の高さが解るだろう。何といってもメロディが素晴らしい。トローハの美声を生かし切っているという点で次作収録の "Tú" と肩を並べる。途中に入るエコーも非常に効果的。楽器の使い分けの巧さも1曲目を凌駕する。文句の付けどころなし。歌詞にしたところで飲食店のテーブルに座るレズビアンのカップルを眺めている第三者(おそらく男性)の視点で書かれており、内容はいたって真面目である。なのでブックレットの対訳を追いながら再度聴いても堪能できることは請け合いだ。ところで、解説でも言及されているが、この頃のトローハは髪を短く切っていることもあって相当にボーイッシュである。(もともとそういう顔立ちなので、ヘアスタイルには関係なく女性からも好かれそうな印象を受ける。以下脱線。2000年にパラグアイに短期出張したときのこと。同行の先生が「この国には美人が多いですね」と感心したように私に何度か言ったけれど、そういうのにすっかり関心を失って既に久しくなっていた私は「ええ、まあ・・・」などと適当にお茶を濁していた。ところがである。パ国在住のTさん(パラグアイ・メーリングリストの主催者で日本語による同国関係サイトとしては圧倒的な質と量を誇るウェブサイトのオーナー)の案内で郊外のショッピングセンターを散策していた時のことだったと記憶している。喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、少し離れたテーブルにショーカットの若い女が目に入った。思わず背筋がゾクッとした。Tさんによれば、「パラグアイにあんな髪型の女性はいないから、おそらくアルゼンチンからの旅行者でしょう」ということだったが、あのエキゾティックな風貌は忘れられるものではない。トローハの美しさもこれと同じである。ちなみに私が「不感症」になったのは、たぶんチリを旅してからである。その件も含めて文学関係の掲示板向けに何か綴っていたなあと思い出し、探してみたら見つかった。興味のある方はこちら。)元々レズビアンの噂が流れていたトローハがこんな曲を歌ったものだから、当時はちょっとしたスキャンダルになったらしい。最近ネット上でソロ活動を始めた直後に行われた彼女へのインタビューを見つけた。メカーノ時代には事あるごとに「あなたはレズビアンか?」と尋ねられ、その度に否定しなければならないのが面倒になり、いつしか肯定も否定もしなくなったから、ずっとその疑惑がつきまとうことになったというのが真相のようである。ソロ活動を始めてからは見違えるように女性らしくなった。そんな彼女だが、2003年5月16日にマジョルカ島から200m離れた洋上(船上)で結婚式を挙げたとのこと。相手はRafael Verdera という名の歴としたnovioである。あるメッセージボードにて、そのニュースについて議論しているのを見つけたが、これが面白い。「俺は騙されない。奴はレズビアンだ。」と偽装結婚説(←チャイコフスキーじゃあるまいし)を唱えた者もいれば、「両刀遣い(bisexual)だったのかもしれない。」という意見まで出る始末。(なお、1998年の一時的再結成時に発売された2枚組 "ANA|JOSE|NACHO" のDISC2冒頭に収められているのは "Stereosexual" という曲だが、決して変なことを想像してはいけない。)ちなみに同性婚法がスペインで成立したのは2005年6月(翌月施行)のことである。(カトリック教会などの強硬な反対によって何年間も棚上げされていなければ彼女はどう転んでいたか分からない、などど余計なことを考えてもいけない。)2005年8月24日には女児を出産し母となった。脱線が過ぎたので戻る。
 4曲目 "Los amantes" は実に他愛のない曲である。イントロはハ長調で「ミミミミーミファソーファーミー」と4回繰り返すだけ、歌の前半部でもこの音型がしつこく繰り返される。(ベートーヴェンの交響曲のようだ。)後半で少し展開するが、メロディは単純でものすごく憶えやすい。それゆえ1曲目以上に工夫が求められるが、全く抜かりはない。主に打楽器による効果音の入るタイミングが絶妙だし、多重録音によるトローハの「アーアアー」という声が左右を駆けめぐるのも面白い。彼女が気持ちよく歌っている表情が目に浮かぶ。極めて人工的な音楽ながら「簡素の美」を具現している。
 5曲目 "La fuerza del destino" も全く無駄がない。かつてネット知人だったOさんがメカーノ作品中で最も好きと語っておられた曲だが、私の耳にはやや一本調子に聞こえた。むしろ次に置かれた小品 "Quédate en Madrid" の方が、シミジミした味わいがある分だけ気に入っている。7曲目 "Laika" は、米ソによる宇宙開発競争を揶揄し、その犠牲になった雌犬を追悼する歌詞は秀逸ながら、この当盤中では最も印象が薄かった。ただし、決して凡庸ではない。"La fuerza del destino" もそうだが、驚異的レベルの名曲が揃った当盤において「並の名曲」が埋没してしまうのはどうしても避けられない。
 8曲目 "El blues del esclavo (versión tango)" は米合衆国の奴隷制廃止という極めて深刻な内容ながら、どちらかといえば軽いノリで歌っている。解説でも言及されている注釈にある通り、「歴史的事実をユーモリスティックに変貌させる」という意図に基づいているからであろう。あまりタンゴっぽく聞こえないのはご愛敬か。(そういえば、当盤では唐突な終わり方をする曲が3つあるが、次作 "Aidalai"ではそれが陰を潜め、さりげない終止法あるいはフェイドアウトが圧倒的に多くなる。)続く“"Eungenio" Salvador Dalí”は "Mujer contra mujer" の短調版ともいえる名バラード。そういえば両曲ともリピートなしの2フレーズながら5分を超える大曲だけれど、全く間延びしたところがないのは見事である。なお、タイトル冒頭の "Eungenio" は "E un genio" (そして1人の天才)を勝手に繋げた合成語で、実際には長ったらしいダリの名前にそういった文字列は含まれていない(念のため)。器楽曲の "Por la cara" は飛ばして、11曲目の "Un año más" もこれまでの何曲かと同様の繰り返し技法を使っている。最初の主題提示は実にさりげないが、短い移行部を経て2度目に登場する時にはオーケストレーションが一気に分厚くなる。この効果は絶大だ。そういえば、私が最初に居座ることになったBBSの管理者Nさんから「"Un ano más" と書くとかなり怪しい」などとお茶目なコメントを頂いたっけ。確かにそうである。なので、通販サイトの曲名表示を私はいつも複雑な気持ちで眺めている。(これをポルトガル語表記と見なせば、いかがわしさの問題こそクリアされるのだが、その場合は "Um ano mais" が正しいので残念ながらスペルミスとなってしまう。)
 11曲目は "Héroes de la antartida"、南極点に到達したもののアムンゼン隊に先を越されたことを知り、失意とともに就いた帰路で遭難、そして全滅したスコット隊へのレクイエムである。つまりレイフ・ヴォーン=ウィリアムスの「南極交響曲」(交響曲第7番)のポピュラー版である。(←ウィンドマシーンの使用が共通しているとはいえ、こんなマイナーな音楽喩えに出すなよ。)よく練られている。普段カーノ兄弟の声と歌唱力を全く評価していない私だが、ここでの台詞と繋ぎ部分での控え目なヴォーカルは邪魔をしていない。しかしながら、私はRVWの曲もそうだが、こういうのって苦手なのよね。ストーリーがあまりに悲惨なので、できるならスキップしたいと思ってしまうのだ。次の "Hermano sol, hermana luna"、これは大好きな曲である。トローハの開放的な歌い方が実に快い。途中で挿入される雷雨の音もなかなかに印象的だ。歌詞がどことなく神話っぽいが、最後に文字通り "Fábula" が来てアルバムは閉じられる。イントロは最初がチェンバロのソロに続いて弦楽合奏という順番だが、間奏は弦楽のみ、そしてエンディングは弦楽器→チェンバロの順である。つまり綺麗な対称形をなしている。この構成もニクい。
 さて、当盤の邦題に疑問を抱いていることは、トップページをはじめとして既にあちこちで述べているが、各曲のタイトルについても首を傾げたくなるものがいくつかあった。まず "Mujer contra mujer" を単に「ムヘール」としたのは大チョンボ。見事なまでに原題の意図を葬り去っている。絶対に「女と女」か、それに類するタイトルを付けなくてはならない。ふと思い付いたが「ふたりっ娘」などどうだろう。例の双子姉妹に日本語でカヴァーしてもらっても面白いかも。(←もちろん悪ノリ。ところで本人達も二卵性であると完全に信じ切っていたようだが、先日放送されたテレビ番組の企画として実施されたDNA鑑定によってほぼ間違いなく一卵性双生児であることが判明し、ビックリ仰天していた。)「ヌエバ・ヨルク」も手抜きっぽいが、被害は少ないからまあ許そう。他は単刀直入訳あるいはダイレクト仮名変換なので、ニュアンスをないがしろにするようなネーミングはなかったが、「アンタルティーダの英雄たち」はいかがなものか? "Antartida" をそのままカタカナで表記した意図が解らない。これでは何を歌った曲なのか直ちに理解できる聴き手はほとんどいないだろう。不親切極まりなし。ということで5点マイナス(つまり95点)とするが、よく考えたらこれは国内盤限定の減点対象である。海外盤には引くところが全然ない。弱ったな。マドレデウスには勿体ぶって結局満点を付けなかったから不公平だと非難されるかもしれないが・・・・まあ仕方がない。持ってけドロボー!(100点)こんなに早い段階で出すことになろうとは正直なところ全く思っていなかった。

おまけ
 本文中に記した「トローハの美声を生かし切っている」であるが、逆に言えばメカーノの音楽はトローハのためだけに存在するといえる。その点でマドレデウスも同類であり、モセダーデスとは対照的だと思う。つまりモセダーデスの曲は誰が歌っても素晴らしいが、メカーノやマドレデウスの曲は歌手を選ぶということである。(また、後者グループの曲は下手なアレンジによって台無しになる危険が極めて高い。まだ上手く整理できていないが、その点について「バッハ型」と「モーツァルト型」という分類によって上手く説明できると私は考えている。まとまったらどこかに書くかもしれない。)あちらのページに書いたように "Eres tú" はよほど下手な歌手でない限り堪能できるが、"Tú" や "Naturaleza muerta" は同じ美声系のサラ・ブライトマンがカヴァーしても魅力はせいぜい50パーセントといったところである。また最近Feyというメキシコの女性歌手が全曲メカーノのカヴァーアルバム "La Fuerza del Destino" を2004年にリリースしているのを知り、興味を抱いた私は通販サイトで試聴したのだが、ダンスミュージック風の稚拙なアレンジ(ただし初期作品はさほど劣悪とは思わなかった)と下方への移調、そして何よりあざとい歌い方に幻滅を覚えてしまった。(当然スルーする。)ついでながら、サルゲイロの声は "O Espítito da Paz" と "O Paraíso" で性格が大きく異なり、かつて「天上」 vs 「地上」のように対比させたしたこともあるが、強引な線引きが許されるならば、それぞれを(決して悪い意味ではなく)「無機的」と(ソプラノ歌手のエリーザベト・シュヴァルツコップと同じく)「有機的」に帰属できるような気もしている。ところが、トローハの声はそういう分類を超越したところにあり、(「コンピュータ技術が進歩すれば合成できてしまうような」という意味で)「人工的」という形容がピッタリだと私は思っている。その美しさは虹色にキラキラ光るCDの信号面のようだ。なので、カーノ兄弟のプログラミングによる多彩な音楽を相手にすれば魅力を発揮することまさに水を得た魚の如し。マドレデウスがリリースして少々物議を醸した "Electrónico" は、あるいはトローハこそが歌うべきだったかもしれない。逆にアコースティック楽器のみの伴奏で彼女の歌を聴きたいとは思わない。

おまけ2
 HMV通販のユーザーレビューに「輸入盤の曲順が国内盤とは全く違う」という指摘があったため調べてみたところ、確かにドイツ盤(2000年再発盤)の中身はこうなっていた。曲順が当盤と同じなのはトラック11以降の4曲だけである。

  1. Hijo de la luna
  2. La fuerza del destino
  3. El blues del esclavo (versión tango)
  4. Los amantes
  5. Quédate en Madrid
  6. Por la cara
  7. No hay marcha en Nueva York
  8. Mujer contra mujer
  9. El cine
 10. "Eungenio" Salvador Dalí
 11. Un año más
 12. Héroes de la antartida
 13. Hermano sol, hermana luna
 14. Fábula

またスペイン初発盤(1988)ではこうだった。(ついでながら、2年後にリリースされたフランス盤には "Mujer contra mujer" の仏語バージョン "Une femme avec une femme" が7曲目に挿入され、あとは順に押し出される形となっている。よって全12曲収録である。)

  1. Hijo de la luna
  2. La fuerza del destino
  3. El blues del esclavo (versión tango)
  4. Los amantes
  5. Mujer contra mujer
  6. Por la cara
  7. No hay marcha en nueva york
  8. El cine
  9. "Eungenio" Salvador Dalí
 10. Un año más
 11. Quédate en Madrid

日本盤からトラック7の "Laika" が抜け落ち、最後の3曲はバッサリ切り落とされてしまっている。結果として収録数は何と3曲も少ない。それはさておき、驚くべきはこれら欧州盤のトップに "Hijo de la luna" が置かれていることである。この曲は既に前作 "Entre el Cielo y el Suelo"(1986)でリリースされていたはずだが、もしかすると当時CDとしては未発売だったため改めて採録されたのかもしれない。(後に知ったことであるが、この曲の人気と評価は非常に高いようなので、ファンのリクエストに応えるためだったということも十分考えられる。さらに判ったことには、1990年に再発された "Entre el Cielo y el Suelo" には初発盤にはなかった "Fábula"、"Héroes de la antartida"、"Hermano sol, hermana luna"、および "Laika" の4曲が加えられている。収録曲数の少なかった "Descanso Dominical" の初発盤を買った人への配慮と思われる。1980年代後半といえばCDはまだ十分普及するには至っておらず、LPレコードも同時発売されていた時代である。その頃の混乱を物語っているようで非常に興味深い。)何れにせよ、私が所有する "Descanso Dominical" の日本盤ではJosé María Cano(兄)とIgnacio Cano(弟)の作品が概ね交互に配置されている(次作 "Aidalai" はさらに徹底している)ものの、どうやら曲順に作り手のこだわりがあったからではなさそうである。
 ところで、上でチラッと触れた "Une femme avec une femme" は一部再発盤にボーナストラックとして加えられているらしい。ただでさえ艶めかしい曲だが、あの独特の響きを持った言語で歌われたら一体どれほど強烈なインパクトを受けるのか興味がない訳でもない。ただし、それを聴くためだけに敢えて手を伸ばそうという気には未だなれないでいる。また、この曲以外にもメカーノは仏語版を何曲か残しているのだが、国内外の通販サイトがそれらを収めたディスクを全く扱っていないため、入手は困難を極めることが予想される。欧州のiTunes Music Storeでは検索結果にちゃんと表示されるし、30秒間ながら試聴も可能なのだが、今のところ海外サイトからのダウンロード購入はできないのである。残念!

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