ルス(Luz)
(通販サイトやCDのクレジットでは "Luz Casal" の表記が多いけれども、
ジャケットでは圧倒的に "Luz" である。従ってこれを芸名と見なすべき
であると判断し、本ページでもこれを使用する。)
Pequeños y Grandes Éxitos 1982-1996
1996
EMI H2 7243 8 55087 2 1
当盤には最近私が無性に聴きたくなる曲が収められている。気怠い曲調が何ともいえずシックリ来るのである。一種の悟りみたいなものまで感じられる。西語圏では名曲として認知されているらしく、iTunes Store で検索するとオリジナルに加えてカヴァーも数件上がってくるが、いずれも名唱と思うには30秒の試聴で十分だった。同じ言語による "Guantanamera" (キューバ)は歌詞だけ読んでいても結構ジワジワ来るけれど、私が合格点を出せるのは同曲の知名度を世界的にしたThe Sandpipersによるヴァージョンのみである。(私が持っている他のカヴァー数種はちょっと明るすぎる。どうも曲が歌手を選ぶという気がする。)そうなると無常観という点で「花 〜すべての人の心に花を〜」(作詞・作曲:喜納昌吉)と双璧かもしれない。(ここから夏川りみの「南風」ページにて「気になっている」と書いた石嶺聡子の同曲カヴァーについて脱線する。それを末尾に収めた "Innocent Satoko Vocal No.1" の中古を入手した。閉店したホームセンターの後に店舗を構えた「何でもアリ」的リサイクル・ショップで380円だった。「しめしめ」と思っていたのだが、翌日アマゾンの中古市場にて80円で売られているのを発見。結局40円得したに過ぎない。ちなみにヤフオクでも叩き売り状態である。なので所詮「安かろう悪かろう」の典型なのかもしれないが、目当ての「花」はまずまずだったから救われた。器楽部は非常にシンプルで1番は基本的に和音のみ。以後も要所でリズムを加えるに留めている。この曲はそれで良いと思う。ちなみに夏川は最初アカペラで、後はギター伴奏で歌っていた。あるいは声のみというのがベストかもしれない。戻って、石嶺は際立った美声や技巧の持ち主ではないが、それが却って素朴な曲と合っているようだ。が、その他の11曲はといえば・・・・・私には「一山いくら」的に凡庸な音楽を集めただけとしか思えなかった。「何とか聴ける」レベルをクリアしていたのはトラック4の「さよならは明日のはじまり」他数曲に過ぎない。またja.wikipedia.orgには「同郷の夏川りみ、普天間かおりとともに幼少期、のど自慢荒らしだった」とあるが本当だろうか? 普天間はともかく、実力差は歴然としているように思われてならないのだが。ゆえに独立したページはもちろん立てない。当サイトにおいて日本人歌手が採り上げられるまでの道のりはかくも険しいのである。)
それではようやくにして当盤に話を持って行く。中部圏在住の元ネット知人Nさんのサイトで紹介されていたから手を出す気になった。どこで買ったかは憶えていない。タイトルから明らかなようにベスト盤である。ところで、ブックレット裏表紙の曲目一覧にて数字を黒く塗りつぶしたトラックが5つ(5、6、9、12および13)ある。再生前に飛ばす曲を確認するためである。とにかくこれらは騒々しい。特にエレキギターは私にとって拷問に等しい。(最初期の1982年にリリースされた "No aguanto más" には「こっちの方こそ耐えられんわ!」と文句を言いたくなる。この他にもメカーノ初期の駄曲みたいなタイトルがいくつか紛れ込んでいるように思ったが気のせいか?)それらの80%が1980年代に集中していると気が付いたため、リリース年の平均値を求めてみたところ1987.6だった。一方、残る11トラックのそれは1992.1である。つまり、Luzは80年代から90年代にかけて耳に優しい芸風へと転換していったということである。
さて、当盤を手に取っていきなり驚いた。トラック1は "Eres tú"、もしや? だが聴いてみたら全くの別物。私には時々気まぐれで「エレス・トゥ」と叫んでいるだけとしか聞こえなかった。「もしかして大したことない歌手かも?」とその時は思った。大間違いだった。3曲目の "Entre mis recuerdos"、これが冒頭で触れた曲であり当盤のほとんど全てである。序奏→A(2回繰り返し)→B→A→B→A→C→A(最後に上方へ転調)→間奏→B→Aという構成(変則的ロンド形式?)で、特に盛り上げ用のサビは置かれていないものの、ABC全ての旋律が素晴らしい出来映えを示し、加えてそれらの接続にも全く非の打ち所がない。とにかく信じられないほどの超名曲である。この曲について触れているサイトは国内にも結構ある。「日本の、ここ20年間のミリオンセラー・ソングなど足元にも及ばない」とまで絶賛しているものを見つけた。半分同感である。(わが国にも肉迫しうる曲はある。)ただし、その執筆者は「歌唱力をひけらかすわけでもなく、むしろ淡々と唄っている」と述べていたが、私の印象はちょっと違う。ルスの歌唱は枯れているのを通り越して退廃的であるとまで思ったのだ。疲弊するあまり家に入った途端倒れ込んでしまったような日にこそ聴くべき曲という気がする。音楽を聴く意欲が全く湧かない、どころか生きること自体に厭気がさしてしまったような心理状態であっても、この曲なら聴けるかもしれない。ある意味お粥や重湯のような音楽といえるだろう。(それすらも受け付けなくなったら人生終わりだ。)聴けば聴くほどにジワジワと心に染み入ってくる。その蓄積効果により、私が好む西語曲ランキングにおいて長年1位の座に君臨し続けてきたモセダーデスの "Eres tú" を遂に押しのけてしまった。
駄作はもちろんだが、他の佳曲と呼ぶに十分値するトラックにも特にこれといってコメントすることはない。7曲目 "Un año de amor" について少しだけ。さすがに厭世観までは出ていないものの、哀愁を注げるだけ注ぎ込んだような濃厚な歌い回しはなかなかに良い。ドシャ降りの雨の中を傘もささずレインコートも身に付けずに歩くという悲惨な光景が目に浮かんできた。そういえばPeppino Gagliardiによる "Che vuole questa musica stasera" とどことなく似ているような気もする。なのでヒロシが新しいバックグラウンド曲として使ってみても面白いだろう。また、同年(1991)に発表された15曲目 "Piensa en mí" もポルトガルギターっぽい(本当にそうかも?)伴奏の物悲しさ共々シミジミ聞かせてくれる。
イントロンともいえる騒音トラックが混在している段階では平均75.6点にしかならないけれど、スプライシングが完了すれば91点となる。
おまけ
これまでは特に詞に注目して "Entre mis recuerdos" を聴いていた訳ではなかったのだが、本ページ執筆中に歌詞&対訳を載せている国内サイトを見つけたので、それをプリントアウトして文字を追いながら再生していたところ、身体のある部分(顔にある一対の器官)が勝手に反応してしまった。(私もそういう年齢になったのだろうか? 全く困ったものだ。)なお歌曲を聴く場合に内容(詞の意味)を理解している必要があるか否かについては、いつか別ページ(場所未定)で触れようと思っている。
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