交響曲第7番ホ長調
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
67/02/25
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「クラシック名盤&裏名盤ガイド」ブル7のページを担当した平林直哉が「これは最も異色の演奏である」として挙げたのがムラヴィンスキー盤である。ゆえに聴いてみたかったが、キングの国内盤(KKCC-6530)は注文したもののとっくに廃盤という返事、Russian Discの輸入盤も入手不可であった。東京出張時に足を踏み入れた輸入盤店(たしか渋谷のタワーレコードだった)でRussian Discのセール(たしか「これが最後」という触れ込みだった)がたまたま催されていたので、「もしや」と思って期待を抱きつつ捜したけれど見つからず。(残念。)ネットオークションでは常に高騰し、私が目にした限りでは最低でも4000円以上だったので入手は諦めていた。ところがIMSレーベルから上記の廉価2枚組として再発された。(大ラッキー。)なお、Russian Disc盤では「ソヴィエト国立響」と表記されていたようだが、どうやらこれは誤りらしく、当盤の「レニングラード・フィル」を採用(信用)することとした。
この2枚組に収録されている5曲は全てモノラル録音である。ブル以外は特に聴きたかった曲ではないので別に惜しいとも思っていないが、やはりお目当ての曲がMONOというのは痛い。ここで平林に戻ると、彼は「この特異な仕上がりの演奏は、初めてムラヴィンスキーのブルックナーを聴く人の中には強い嫌悪を感じる人も多いだろうが」と言いながらも「自分にとっては全く抵抗がない」と述べていた。その理由は「指揮者が自分の方法論にのっとって、それを完璧に実行しているから」とのことである。(彼は「指揮者の明確な視点の欠如した演奏には興味が持つことができない」らしい。)次の段落にて、どういう点が「異色」なのかを具体的(襲いかかるような強音で奏される金管、メタリックと思えるほど固く透明な弦楽器)に示し、さらに「病的なピアニッシモから、刃物のような鋭く強い音まで自在に描き分ける」(カギカッコ内は太字)として、「異能の人の、異色の演奏の結実した成果として、強く推したいCDである」と結んでいた。けれども、当盤は私にとってムラヴィンスキーのブルックナーとして最初のものではなかったこともあってか、意外とスンナリと入っていけた。確かに金管の鳴りっぷりは平林の言う通り「誰が聴いても識別できる」ほどに独特と思ったけれども、これは彼が自分で述べている通りロシアのオケには共通した(スヴェトラあるいはロジェヴェン指揮のディスクでも同様に聞かれる)特徴である。よって、私も「異色」に同意することは吝かではなく、太字で書かれた「・・・・自在に描き分ける」というコメントも見事だとは思ったが、はたして「最も」は妥当だろうか、ちょっと誇張気味ではないかという気がしないでもない。
私が当盤で驚いたのは第1楽章のトラックタイムである。21分20秒というのは平均的あるいは少々遅い部類に入るのではないだろうか。ところが、初めて聴いた時にはものすごく遅く、24〜25分かかっているように感じたのである。要は錯覚していたに過ぎないのだが、ブロックの変わり目でテンポがコロコロ変わり、基本テンポというものが全く分からないような演奏になっていることが、おそらくは最大の理由である。どうもムラヴィンスキーはそういうことにはあまり重きを置いていないようであり、その点でも「異色」の演奏である。とはいえ、ブルックナー演奏では、特にこの7番では絶対に「禁忌」であるブロック内でのテンポいじり(アッチェレランドあるいはリタルダンド)は採用していないので、全くといっていいほど興は削がれない。流石である。何せモノラルだけにインテンポで進むと単調と感じてしまうけれども、多少は動かしてくれた方が退屈せずに済むということは大いにある。(それはクナやフルヴェンのディスクで既に経験している。)
テンポだけではない。とにかくこの演奏は最初から最後まで神経質さが支配している。結局は音量のコントロールが絶妙ということなのだが、目次ページで触れたチャイコの4番と同じである。第1楽章冒頭のチェロによる主題をサポートするヴァイオリンの刻みからして既に妖しいが、0分54秒でチェロが音量を下げると同時にそれが浮かび上がってくる。思わず背筋が寒くなるような薄気味悪い表現である。逆に11分52秒では、前段落で触れた金管の襲いかかるような咆吼が初登場し、仰天させられる。ここもチャイ4第1楽章の爆発を彷彿させる。第2楽章はほぼ19分で速めなのだが、前楽章と同じくあの手この手を尽くして密度の濃い演奏を繰り広げている。9分01秒からのフルートによる旋律が次第に小さくなるところは、森を散策している時に耳に飛び込んできた鳥の鳴き声がいつの間にか背後に消え去ってしまうようで、この繊細な表現は実に見事である。この指揮者による「ロマンティック」第2楽章を聴いてみたかった。(末尾に「おまけ」を付ける。)感心した箇所をいちいち挙げていくとキリがないのでもう止める。というより、後半2楽章は前半と比べたら「正攻法」の演奏なので、書くことが思いつかないだけである。
先に「背筋が寒くなる」と書いたが、それは宇野功芳が「名演奏のクラシック」のムラヴィンスキー評で使った言い回しとほぼ同じであると気が付かれた方もおられると思う。来日公演で「未完成」を聴いた宇野は「音楽を聴いていて、あんなにゾッと寒気をおぼえたことはない」(その後に例の「病的な天才」が来る)と述べていたが、それはディスクを通しても体験することは十分に可能である。「オベロン」序曲やブラ2と併録された「未完成」は、ウィーン・ライヴ(ゴステレラジオ)にしてもレニングラード・ライヴ(メロディア)にしても、背筋がゾクゾクするような箇所は数知れない。宇野はメロディア盤を指して「実演を10とすると、2か3しか入っていない」と評しているが、それであれだけのインパクトである。(「にもかかわらず同曲CD中、一、二を争うものになっているところはさすがといえよう」は本当である。)当盤もまったく同じである。いや、モノラルだけに情報量は比較にならないほど少ないはずであるが、それでも引き込まれてしまうのだからやっぱり凄いとしか言いようがない。
おまけ
最近入手した新潮社のPR誌「波」4月号にて、赤川次郎による新連載「ドイツ、オーストリア旅物語」を読んだ。冒頭からブル4についてしばらく触れられていたが、それが面白かったので抜粋して載せることにした。(ブルヲタにとっては既に「常識」かもしれないが・・・・)
シュヴァルツヴァルトを車で走り抜けていた時、クラシック音楽に詳しい同行の編集者が「この風景に合う音楽はやっぱりブルックナーですね!」と感にたたえたように叫んだ。その後にこう続けられている。「ちょっとロマンチックな曲が聞きたいな」と思った人が、ブルックナーの第4交響曲をタイトルだけで買って帰ったとしたら、十中八九聴いて面食らうだろう。およそ一般的にそう思われている曲(チャイコのバレエやラフ2など)とはかけ離れた音楽だからである。ではなぜブルックナーが「ロマンティック」なのか。それは彼の交響曲に頻繁に現れる弦のトレモロが、「ドイツの黒い森のざわめき」と言われるからだ。(それゆえに件の編集者があのように叫んだのだ。)そしてこう結ばれている。
「ロマンチック」と「ロマンティック」は明らかに違うのである。
今更だが、このエッセイには「ロマンティックとロマンチック」(ちなみに前者の代表格が「ロマンチック街道」ということだ)というサブタイトルが付いていることに気が付いた。今後が楽しみである。
さて、「ロマンティック」に最もふさわしいブル4のアンダンテとして私が思い浮かべるのは、ランキング1位のヴァント&BPO盤である。これに対し、ムラヴィンによる想像上の演奏は、「肝試しに最もふさわしいBGM」ということになるだろうか? いつ魔物が現れるとも知れないほど不気味な森を真夜中に一人で歩くようである。終盤のハ長調によるクライマックスでは、ついに妖怪が金切り声を上げながら獲物の首筋を目がけて襲いかかってくるのだ。
7番のページ ムラヴィンスキーのページ