私がかつて2年半ほど住んでいた村には電気も、ガスも、水道もなかった。(だいぶ前に同じ書き出しによる長文を今では廃刊となったFM雑誌に投稿したが見事没にされてしまった。)それは予めわかっていたことでもある。私は迷った挙げ句、基本的に電気製品は持って行かないことにした。水や食物の次に大切だと思っていたクラシック音楽も何とか我慢できると甘く考えていたのである。それでも語学研修のため途中で寄ったメキシコでは、たまにではあってもクラシックのテレビ番組を観ることはできた。(カラヤンが亡くなったのはちょうどその頃である。たまたま見た新聞の追悼記事で知った。)
ところが、私が働くことになる村に入ったその日から一切聴けなくなってしまった。好きな音楽のない生活がこれほど寂しいものだとは思ってもみなかった。このままでは禁断症状でおかしくなるのではないかと思っていた最初の週末のことである。ふと思い出した。「そうだ、ラジオがあった!」(註)
註:私は高校時代から海外短波放送を聴くのを趣味の一つとしてきたが、院生時代に買った携帯用の小型受信機は片手に乗るほど小さく、単三アルカリ電池2本で長時間聴けるので、これだけは携行することにしたのである。ちなみに私が出発する直前に起こった天安門事件では、中国国内のメディアは事件について完全に沈黙を守っていたので、北京の住民はラジオジャパン(NHKの国際放送)を聴取していた日本人から事件に関する情報を得ていたということである。また湾岸戦争の際には、人質同然の状況に置かれていたイラク在住日本人に向けて、生命に関わる重要な情報とともに家族からのメッセージを発信し、彼らの心の支えとなった。衛星放送が普及してきたとはいえ、受信装置のない地域における短波放送の役割は少しも減っていない。私はどこへ出張する場合でも必ず持っていく。
早速ラジオを引っ張り出し、手当たり次第にダイヤルを回していたらクラシックが聞こえてきた。本当に嬉しかった。どうやら何かのコンサートの中継らしい。久しぶりのクラシックに身も心も感動していたらアッという間に終わってしまった。(曲目は忘れてしまったが、後述するように最近=2004年春になってようやくわかった。)。続いてニュース。「なんだ、もう終わりか....(ガッカリ)」 脱力したが未練がましくそのままにしておいた。(アナウンスから受信しているのがロンドンのBBCだと判明する。)ニュースが終わったら、再びコンサート会場のざわめきが聞こえてきた。「ラッキー! まだあるのか。」 再開後しばらくして知っている曲が流れてきた。エルガーの「威風堂々第1番」。中間部に入り「ああ、ええメロディーやなあ」と浸っている時に事件は起こった。突然メロディーに合わせて歌が入ってきたのである。これにはひっくり返るほど驚いた。「これは何や? 合唱か?」 いや違った。(おそらくは満員の)聴衆が一緒に歌っていたのである。聴いているうちに涙がボロボロこぼれてきてどうしようもなくなった。その後も聴衆の大合唱が加わる曲がいくつかあり、コンサートは終わった。(土曜の夕方5時過ぎだったと思う。) 堪能した。心の底から堪能した。
これをお読みになっている方は私が何を聴いたかは既にお判りであろうが、私には何が何やらサッパリ解らなかった。数カ月後に首都に出た際、音楽の指導に来ていた同僚が定期購読(註)していた「音楽の友」を読ませてもらっていた時に、それがロンドンの名物コンサートである「プロムナード・コンサート」(いわゆる「プロムス」)の最終日に開かれるラストナイト・コンサートの生中継だったと判ったのである。
註:私が参加したミッションでは希望する日本の雑誌を1冊だけ送ってもらえることになっていたが、当然ながら職種によって選べる雑誌は違っていた。私の場合は農山漁村文化協会(いわゆる農文協)発行の「現代農業」であった。
さて、短波ラジオという心強い味方がいるとわかった瞬間から、私は大袈裟ではあるが「ここで5年だろうが10年だろうが暮らしていける」と思った。(実際には最長休学期間という縛りがあったのだが。)その後は世界中の短波放送を探し回って、どの曜日のどの時間帯にどの周波数でクラシックが聴けるかを調べ上げ、とうとう完璧なタイムテーブルを作ってしまった(註)。BBCはあらゆる言語でクラシック番組を放送しており本当にありがたかった。やはり充実していたのは英語放送で、火曜夜の "Classic Concert" と木曜夜の"Music Review"(ともに数少ない45分番組)は特にお気に入りだった。後者には忘れられない思い出がある。
ある木曜日の夜、バーンスタインの作った曲、および彼の指揮した曲ばかり流れたので「なんや、今日はバーンスタイン特集かいな?」と思っていたら番組の最後に(当時の私は英語のリスニングはサッパリダメだったのに)"...........Leonard Bernstein who died on Sunday." とハッキリ聞こえた。しばらく私の中の時間が止まった。次の瞬間に外に出たら流れ星がスーッと流れた、ということはさすがになかったが・・・・後日、村の娘の15歳の誕生日パーティー(成人式に相当)で「ウエスト・サイド・ストーリー」の「アメリカ」の粗悪なダンス用編曲が流れた。それを聴いていたら無性に哀しくなった。「どうしたの?」と尋ねられたので「これを作った人が最近亡くなったんだよ」と答えたら「ふーん」の一言で終わってしまい、さらに寂しくなった。 カラヤンの訃報を知っても大して心が動かなかったのに、バーンスタインの時だけ妙にセンチメンタルになった理由は今でもわからない。(私は彼が特別に好きだったという訳ではない。)かなり脱線してしまったが、BBC以外ではLa Voz de Alemania (Deutsche Welle)とRadio Austria Internacionalにクラシック番組が多く、VOAやRadio Japonには全くといっていいほどないのが腹立たしかった。
註:なにせ音楽番組の絶対量が少ないのでクラシック以外もよく聴いた。ジャズもポップスも結構好きになった。特に1990年のBBCヒットチャートでは優れた曲が目白押しだった。シネイド・オコナーの歌った"Nothing Compares 2U (to you)" (プリンスのカヴァー)はシングル部門の年間2位だったと記憶しているが、今でもお気に入りである。ちなみに1位もカヴァー曲の "Unchained Melody" だった。翌91年のチャートはまさにカヴァー曲による上位独占状態となり、日本テレビからBBC日本語部に出向していた小倉淳アナは嘆いていた。そういえば、リスナーの減少によってBBC日本語放送が終了したのも私の南米滞在中である。最終回は聴いていて本当に悲しかった。
プロムスのラストナイトは9月の第3土曜の現地時間で14時開始ということが判ったので、2年目は心構えが十分にできていた。待ち受け受信し、まだ明るい内から赤ワイン(註1)で祝杯をあげた。肴は最大の御馳走だったサバ鍋(註2)。しかもこの時は先輩が残してくれたラジカセで録音することができたのである。何かあるたびにこのテープを聴いて元気づけられた。(首都の近くに住んでいた仲間に聴かせたところ、「音が悪いですね」の一言で片付けられ、感動を共有することはできなかった。まあ無理もないが・・・・)満天の星空を眺めながら聴く音楽の素晴らしさは言葉では表せない。生きている間に必ずあの天の川を再度見に行くつもりである。この年に演奏された曲の中では、題名が記憶の片隅にあったディーリアスの「夏の歌」が特に印象深い(註3)。3年目は間の悪いことに首都からの来客があり、さらにニューズアワーが1時間繰り上げられたので一番盛り上がるところが録音できなかった。しかし、その頃はモンテビデオにあるクラシック専門の中波局(註4)の存在を知っており、さほど落胆はしなかった。
註1:アルゼンチンからの輸入物で紙箱1リットル入り、通称「箱ビノ」(あるいは私と先輩の間でしか通用しない呼び名だったか?)、値段は1ドル(USD)もしなかった。40℃の高気温時に開けるとアルコールが揮発したが、それが実に嫌な匂いだった。(そういえば、村人達と回し飲みした「ぬる燗」のビールの味も決して忘れられるものではない。ドイツ系居住地で買ったものを帰る途中で開けるのである。余談ついでだが、村には電気が来ていないので当然冷蔵庫もない。素焼きのカメに入れたり濡れタオルを巻いたりというように気化熱を利用して冷やしていた。気温より数度下がるだけだが、それでも灼熱の暑さの中では十分に冷たく感じて心地よかった。)1人で空けると必ず二日酔いになった。合成アルコールどころか他の有機化合物が混じっていたのかもしれない。が、それしか手に入らなかったのである。首都から来たお客さんには「あれを飲んでるんですかぁ?」と驚かれて、こちらはガクッと来た。その人は料理用に使っていたのである。たまに首都に出た時は必ずスーパーでチリのワインを買って飲み、「こんな旨い酒がこの世にあるのか!」と本気で思った。帰国途中にチリに寄ってそれこそ浴びるように飲んだ。とにかく安くて旨かった。私が帰国後ワインにはまった(当時まだマイナーだった南米産ワインを宅配専門店から買って火が付いた)のも当然だと思う。ちなみに、2000年にパラグアイを再訪した際、同じワインを買ってホテルで飲んだらちっとも旨くなかった。堕落したのである。なお、その銘柄「サンタ・エレーナ」(Santa Helena)は日本でも売られているが、薬臭くてとても飲めたものではなかった。輸出向けの瓶に入れられた保存料が良くないのだろう。
註2:缶詰の鯖の味噌煮に適当に野菜を加えて煮込んだもの。先輩の愛読書であった「哀愁の街に霧が降るのだ」(椎名誠)に載っていた。
註3:かつて「CDジャーナル」誌に野中映という人物による「にんじんピーマン」という連載があった。クラシックの中でもどちらかといえば知名度の低い曲(だったかな?)を面白おかしく紹介するコーナーだった。ディーリアスの回では確か「夏の歌」が採り上げられたと記憶している。細部は憶えていないが、ディーリアスを愛好する人間は救いようがないほど性格が暗いという内容だった。私は帰国後CDを集め愛聴している。(2006年1月9日追記:野中の雑誌連載をまとめた「名曲偏愛学」という本をブックオフで買ってきた。「にんじんピーマン」ではメジャーな曲も結構紹介されており、完全な記憶違いである。またディーリアスを改めて読むと、愛好家は「性格が暗い」というより「極度に偏向している」の方が正確であると思われたため、ここに訂正する。どっちにしても私は当てはまっているようだが・・・・それにしてもオチは最高!)
註4:中波は夜間しか遠方には届かず、波長が短波より長い分、アンテナの長さも必要となる。針金をつなぎ合わせて何十メートル、もしかしたら100メートル以上の単線アンテナを張った。落ちたらただでは済まないような高い木によじ登ってまで。今考えるとおそるべき執念である。ところで、その放送局の音源再生担当者にクラシックに詳しくない人間が混じっていたことは間違いない。当時はまだCDが十分普及しておらず、LP盤が再生されることが多かったはずだが、明らかにA面とB面を間違えていると思わしき大ボケ再生がよくあった。交響曲の第34楽章が先に流れてしまうというケースはまだ救いがあったが、収録時間の制限により音楽の途中でB面にひっくり返すというレコードは悲惨だった。ブル9や「英雄の生涯」を私がどんなに情けない思いで聴いたか想像していただきたい。(誰かに誤りを指摘されたためか、B面だけ再生してそれっきりということもあった。)
ここでプロムスのラストナイトについてまとめて補足を入れる。
まず運命的とも言えるような幸運のお陰で私が聴くことができた1989年9月16日のコンサートであるが、検索して当日の出演者と曲目を見つけることができた。
[指揮]
ジョン・プリッチャード
[演奏]
BBC交響楽団及び同合唱団
BBCシンガーズ
イーダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
サラ・ウォ−カー(メゾ・ソプラノ)
[演目]
ベルリオーズ:序曲『海賊』
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調
ビゼー:カルメン組曲
サン=サーンス:歌劇『サムソンとデリラ』〜あなたの声に心は開く(英語版)
ディーリアス:川辺の夏の夜
エルガー:威風堂々
ウッド:イギリスの海の歌による幻想曲
アーン:ルール・ブリタニア
パリー:エルサレム他
プリッチャードという指揮者のことは全く知らなかったが、これが唯一のラストナイト登板だったようだ。さらに調べてみて驚いた。サー・ジョン・プリッチャードは既にガンのため勇退を表明していたが、ラストナイトに特別出演した。聴衆に引退のメッセージを伝えると満員の聴衆から暖かい万雷の拍手が贈られたとのことである。それから3カ月もしない内に(奇しくもモーツァルトの命日である12月5日)に彼は帰らぬ人となった。私は特別なラストナイトの中でも特別なコンサートを聴くことができたのだ!
翌90年からはNHK-BSの生中継でもお馴染みのアンドリュー・デイヴィスが登場する。
[指揮]
アンドリュー・デイヴィス
[演奏]
BBC交響楽団及び同合唱団
BBCシンガーズ
ホーカン・ハーデンベルガー(トランペット)
アン・マリー(メゾ・ソプラノ)他
[演目]
ヴォーン=ウィリアムズ:『すずめばち』序曲
ハイドン:トランペット協奏曲変ホ長調
ティペット:チャールズ皇太子の誕生日のための組曲
パリー:ブレスト・ペア・オブ・サイレンズ
ロッシーニ:歌劇『ウィリアム・テル』序曲
同 :歌劇『チェネレントラ』〜悲しみと涙のうちに生まれて
ディーリアス:夏の歌
エルガー:威風堂々
ウッド:イギリスの海の歌による幻想曲
アーン:ルール・ブリタニア
パリー:エルサレム他
帰国後直ちに、ラストナイトを収録したCDを求めた。が、カタログに載っていたコリン・デイヴィス指揮のPhillips盤は既に廃盤で入手できず。NHK-FMの朝の番組でその盤から一部抜粋して放送されたが、不覚にもエアチェックに失敗してしまった。サー・チャールズ・グローヴズによるスタジオ録音盤が出たので期待とともに購入したが、やはりライヴ特有の臨場感がないのは致命的で全く物足りなかった。そして、間もなく中古屋行きとなった。(ちなみに、そのディスクではサラ・ウォ−カーがソリストとして「ルール・ブリタニア」と「エルサレム」で歌っていたが、彼女が89年のラストナイトでもこれらの曲の独唱を受け持っていたのかは判らない。)ようやくアンドリューによるプロムス100周年(94年)記念盤がWarnerから発売された。しかし、このディスクは無理して1枚に収めようとした訳でもないだろうが、「威風堂々」も「ルール・ブリタニア」もテンポが速すぎるように感じられ、イマイチ感動できなかった。(両曲とも異様に盛り上がるアンコール=最終部分の繰り返しがカットされていたのが痛すぎる。)数年後、コリン盤(69年と72年を編集)をなぜか古本屋で発見。こちらの方が臨場感があって観客の熱狂ぶりも伝わってきた。しかしながら、「威風堂々」ラストの "make thee mightier yet" をアッサリ流してしまうのがいただけないし、「ルール・ブリタニア」もちゃんと4番まで歌ってくれないのが不満だった。ということで両盤ともそこそこは楽しめたけれども、もはやあの「感動」は甦ってはこなかった(←パクリ)。毎年衛星中継を録画して観ているがやはり同じである。(アンドリューの次に登場したスラトキンは紳士の風采で、お祭り騒ぎには向いていないような気がする。)
結局のところ、何でもそうなのだろうが、そして当然といえばあまりに当然なのであろうが、飢えの激しさと感動の大きさとの間には正の相関があるということなのだろう。
もはや本文と註釈の区別が付かない混沌状態になってしまったので、プロムス・ラストナイトについてはこの辺で終わる。なぜ私がこんなに長々と書いてきたかといえば、それは自分の思い出を再確認するため、ひたすら自分のためである。(非常に意義があった。)
さて、言いたかったのは私が聴いていた短波ラジオにしてもラジカセにしても、音質という点では全くお粗末としか言いようのない代物だったということである。短波ラジオのスピーカーは直径5cmにも満たない。当然音量を上げたら音が割れる。相続したラジカセの方はそれよりは大きいものの、こちらもモノーラルであった。しかもラジオ放送はノイズ入りまくり。特に短波はその性質上どうしても周期的に音が歪む(伝播障害)ので非常に聞き苦しかった。音質は(NHK-FMで聴いた)SP盤と比べてもはるかに劣っていたと思う。にもかかわらず、あれほどの感動ができたのである。
結論→真の感動は音質を超越したところにある。私が高級な再生装置に興味を持てない理由はこれに尽きる(註)。もっとも、同じ経験をしたことのない人にこの結論を押しつけることなどできないのはもちろん承知している。
註:美食に関心がないのも畢竟は同じである。汗を流して働けば飯はいくらでも美味くなる。同じ頃の経験であるが、差し入れの日本米を炊いた御飯(普段はインディカだった)、日系人居住地で製造されていた味噌を使ったみそ汁、そして自家製漬物(自分で栽培していた野菜を使用)という食事は素晴らしく美味かった。生涯最高の食事だったと躊躇なく言える。
この際だから先述したワインについても書いておく。1998年にNHK教育で放送された「田崎真也とみつける自己流ワインの楽しみ」という番組で、ブドウの品種が違えばワインの特徴も大きく異なるということを知ってから、ラベルに品種名の書いてあるワインを手当たり次第買って飲みまくった。飲み比べはとても面白かった。しかし、ある出来事を機にその熱も冷めてしまった。私はカリフォルニアの"Turning Leaf"という銘柄の赤ワインが好きで、落葉のラベルも気に入っていた。地元の量販店では1080円で売っていた。ある日、いつも買う"Turning Leaf"(白ラベル)の横に金ラベル1780円が売っていたので、「ほほう、やっぱり味が違うのかな?」と興味津々でそっちも買ってみた。そして、ある飲み会の夜に両者をブラインドで出してもらって飲み比べたのだが・・・・・味は確かに違った。が、私が美味しいと思ったのは1080円の方だった。そちらは果実味が豊かで味も濃厚に感じられたのに対し、ゴールドラベルは「無愛想」「しかめっ面」という印象だったのである。(今思うに、味の濃い料理があったら違う結果になったかもしれない。)それまで私は価格差のある複数ワインの飲み比べは大体当てていたので結構ショックだった。と同時に「自分には1000円ぐらいが適正価格帯かもしれない」と思うようになった。(ただし500円と1000円のワインはまず間違えない。田崎がテレビで言っていたことでその理由が何となくわかった。貯蔵や瓶詰め、輸送などのコストはそんなに変わるわけではないから、低価格帯ほど数百円の差は大きいということだ。仮に諸経費がどちらも250円だとすると、500円と1000円のワインの中身には3倍の違いがあるということになる。)今は会費5000円で毎月6本送ってくる頒布会のワインで十分満足している。(2006年1月追記:現在は「ワインおまかせ便」という月3980円のコースに変えている。)
ここまで述べたように、私は大抵のものは「ほどほど」のレベル、状況によっては最低レベルでも満足できてしまう便利な人間である。が、どこでどう狂ったのか、究極のブルックナー演奏を求めてさまよい続ける羽目に陥ってしまった。つくづく「人間とは矛盾を抱えた生物」なのだと思う。
最後に、脇田真佐夫(註)による「ラジカセでクラシックは聴ける? 問題は装置じゃなくて聴き手」という優れた文章が「究極! クラシックのツボ」という本に載っているので紹介したい。彼は私と同じような体験と意見を、私よりもずっと簡潔に述べている。(さすがにプロの仕事だ。)「四万円だろうが百万円だろうが、大事なのは耳のほうだという確信があった」という彼によれば「(高価な再生装置は)ラジカセとどこが違うのかと言われれば、想像力の省エネ化くらいしか思いあたらない」ということであるが、これは正しい。装置の優劣による差は「想像力」でいくらでも埋められる。脇田の文を読んで私の自信は確信に変わった。あるライターが音質の悪さを理由に(演奏についての)評論を放棄しているとしか思えないような態度を示したとしたら、それは想像力の欠如を自ら認めているということにはならないだろうか?
註:脇田マサオ時代には「アホなことばっかり言うとるなあ」という印象しかなかったのだが、えらい変わりようである。最近(2003年に)買ったブルックナーのCDのブックレットにも彼はなかなか立派な解説を書いていた。今後に期待していいのかもしれない。
最後の最後であるが、その村で私は小林秀雄の「モオツァルト」で紹介されているあの有名なエピソードと極めて近い体験をしている。しかも、それが「モオツァルト」を読む少し前だったのだから非常に気持ちが悪かった。さらに帰国後には、ダメ押しともいえるような衝撃的事実を知らされることになる。私は神秘主義者ではないので、合理的な解釈ができないことにほとほと困り果てている。ここにはたぶん書かない。
2005年1月追記1
上でワインについてゴチャゴチャ書いているが、いろいろ思い出したことがあるので書き加えることにした。
今月3日に芸能人の格付けを行うというテレビ番組が放映された。AB2つのサンプルの内、どちらが高級品かを当てるという企画で、間違えて安物を選ぶとドンドン格が下がっていく。あまり趣味の良い番組とはいえない。(そして、ダウンタウンの浜田雅功も司会役として偉そうなことを言ってはいたが、かつて伊勢エビとアメリカザリガニを間違えたことがあるのだがら本来大きな口は叩けまい。)私は終わりの方だけチラッと見たが、化膿しまい(←誤変換)、いや叶姉妹は全問正解だった。まったく人種の違う彼女達の生態には欠片ほどの興味もない私だが、素直に凄いこととして敬服する。
さて、その番組については以前どこかに書いたことがあるのを思い出した。最初はKさんへのメールだと思って捜したが見つからず、「もしや」と思ってみたらO君への手紙中にあった。(このO君とは私の大学時代の後輩で、現在フィリピンに在住している。たまに帰国しており、来週早々に会うことになっているのだが、当分は、おそらく働ける間はあちらに居を構えるであろうと思われる。私はある件で、Kさんへのメールに匹敵する、いやそれ以上に長ーい手紙を毎回彼に送っていた。実にあっけない形で終わることになったが。今でも思い返すだけで死にたくなるような恥ずかしい内容なので、それらはとっくに廃棄していたと思っていたのだが、残っていたとは意外であった。さて、どうするか・・・・)
以下は1999年12月20日付の追伸から。
この前、テレビを見ていて愕然とするという経験をしました。トヨタカッ
プをテレビで見終えた後で何気なくチャンネルを切り替えたら、価格の大き
く違う2本のワインを使ったテストをやっていました。5人の被験者には片
方が25万円、もう一方が約800円であるという情報だけがあらかじめ与え
られており、どちらが25万円であるかを当てるわけです。正解を出したの
は元タイガース監督の吉田義男氏ともう一人名前を忘れたけどオッサンで、
残りの若い3人(柳葉敏郎と陣内とかいう元バドミントン選手のタレント、
あと誰だったか忘れた)はいろいろ理由を付けて結局は安物を選んでいまし
た。僕はその場に居ないわけだし、飲み慣れていない人は口当たりが良くて
飲み易い方を好む傾向があるのを知っているので、この結果はやむを得ない
かなと思っていました。ところが、次の確か2億5千万円のヴァイオリンと
初心者用のヴァイオリンを壁一つ隔てて聞き分けるというテストでは、僕は
「いくら何でもこれは解るわな」と思いました。部屋のテレビは20年近く
使っている骨董品、もちろんモノーラルで音も悪いのですが、それでも初心
者用の方は音が全然伸びていないし、不協和音というか嫌な音がキーキー出
ていることがハッキリ分かったからです。しかしながら結果は・・・・・
やはり同じ3人が間違えていました。そこでテレビを消しました。
宇野功芳氏(註:一匹狼型の音楽評論家)が書いた「名演奏のクラシック」
では、氏と宇神幸男氏(作家)が対談で好き勝手なことを言っています。例
えば宇神氏の「ある人が、こんなことを言っていました。いまの日本という
のは、日本人が有史以来最低の人間になりさがってしまった時代である....
価値観の多様化などといっても、はやい話、本物と贋物の区別もつかなくなっ
た時代だということです。」という発言。(ところで「ある人」って一体誰
だろうとずっと気になっています。)以前この対談を読んだ時には反感を覚
えたのですが、あの番組を見た後では決して笑い事ではないと思っています。
普段は芸能人が出る番組は絶対というくらいに見ないのですが、これだけ
物が分からない人間が出演するものを見るのは全くもって時間の無駄だとい
う思いを一層強くしました。数少ないサンプルでずいぶん過激なことを書い
てしまっていますが、とにかく僕は現代において恐竜や化石のような存在と
なろうとも、自分が素晴らしいと思うものをあくまで信じて生きていこうと
思います。あの番組によって、またヴァント(彼自身が絶滅寸前の恐竜みた
いだが)の演奏を素晴らしいと思える自分の感性に自信を持つことができた
からです。
何とも傲慢な口調であるが、当時の憤懣やる方なさが現れているような文章である。(本文はまさに壮絶だった。)今はすっかり丸くなっているので、こんなものは書かない。(←嘘ばっかし。)補足しておくと、同じ番組を観ていた当時のある女子学生(ピアノを習っており、生演奏を聴いたがかなり上手かった)も、ヴァイオリン(ストラディヴァリウス)の聴き比べについては「あれが判らないのはどうかしている」と言っていたから私の独り善がりではない。そして、何度同じものを観ても間違えないという自信はある。(と、豪語しながら間違えたら赤っ恥だが、もしかしたら生で聴く方が惑わされやすいのだろうか?)けれども、上でも当ページ本文中に書いたようにワインは相当ヤバい。2000円と20万だったら全く自信がない。とにかく飲食物だけを当てさせられたら「三流(あるいはそれ以下)公務員」に格付けされてしまうこと請け合いである。
ついでにもう一つ思い出したのであるが、「再生装置」ページで触れたBOSEのWaveradio購入後に(今度こそだが)Kさんへのメールにこんなことを書いていた。
僕の場合、これまで500円のワインしか知らなかった人間が初めて1000
円のものを飲んで、こんなに美味しいものがこの世にあったのかと感動して
いるような状態です。それに満足できなくなって数千円、さらに数万円のも
のに手を出すようになったらそれこそ破滅です。オーディオについても「足
るを知る」を絶対に忘れないようにしなければ・・・・・・
(中略)
確かに金を出すほどいいものが手に入るのでしょうが、投資額に比例して
得られる感動も大きくなるとは思えないため、他に有効な金の使い途を考え
る方が得策という気がします。やっぱりこれ以上は(ワインもオーディオも)
上を見ないようにしよう。 (1999/09/02)
以前知人から「給料の1/3をワインにつぎ込んでいる友人」の話を聞いたが、ワインの価格はそれこそ天井知らずなので、それも十分あり得るだろう。(何十年も昔のLPレコード時代にはクラシック愛好家にもこのような人が結構いたに違いない。そういえば、CD初期に読んだある音楽雑誌には、給料の少なからぬ割合を毎月ディスク購入に充てていたため妻から離婚を宣告された米合衆国人の話が出ていた。「自分もそうなるかもしれない、ヤバい」と思ったことを憶えているが、CDの価格は年々下がる一方であるし、そんなに大量に買い込んだところで聴かずに積んでおく枚数が増えるだけになるかもしれない。何せワインと違って耐久消費財なので収納場所に困る。)ここで論じたいのは「投資額に比例して得られる感動も大きくなるとは思えない」である。それは当たっている。絶対に「y=ax」ではない。誰かが「10倍金を払っても満足はせいぜい2倍」みたいなことを書いていたと記憶しているが、それだと「y=log x」(常用対数)である。(既に手元にないが、これと似た話が立花隆「文明の逆説」の騒音公害を扱った章に出ていた。人間の感覚は刺激の大きさに直線的に反応するのでは決してないので、付近住民が感じる騒音を半分にするために、実際には騒音の発生を1桁小さくするという大変な努力が現場には求められるという内容だった。)底の値はモノにより変わってくるだろうが、対数関係に近いのは間違いないと思う。(ただし、あまりに安物同士の場合、少々の価格差ではどちらも「不味い」と感じて違いが解らないこともありうる。そうなれば立ち上がりの鈍い「S字型」の曲線になる。植物の成長と同じだってなんじゃそりゃ?)ということで、「1万円のワイン1本」ではなく常に「1000円ワインを10本」選んできたような私だった。ところが、河合隼雄(心理学者)が新潮社のPR誌「波」に書いていたことには考えさせられた。彼は得られた感動を払った金額で割るという「喜び指数」というものを考案する。そうすると、あまり高額なものは指数が低くなってしまうから、基本的にはそこそこのものを選ぶことになる。「ところが、」として彼は続けていた。「あまり『喜び指数』のことばかり考えていると人生が貧しくなってしまうのだ。」これにはハッとした。「コストパフォーマンス至上主義」を貫いてきた私の生き方は、いつの間にか貧乏くさくなってはいないだろうか、と自省を促された瞬間であった。(その後私の人生が大きく変わったのか否かについてはここには書かない。)
2005年1月追記2
本文で「生涯最高の食事」について書いた。それとは少し違うかもしれないが、このところ食べることで至福のひとときを味わうという経験を年に何回かさせてもらっている。私は自転車で遠出をする日は炭水化物を中心に朝食を摂る。マラソン選手と同じである。昼は普段と比べるとなぜか食欲が湧いてこないが、12時を目安に弁当(やはり炭水化物主体)を食べる。問題はそこからである。もの凄い空腹感が15時頃に襲ってくる。朝と昼に摂ったカロリーがすっかり消費され、それ以前から肝臓に蓄えられていたグリコーゲンもおそらくは涸れてしまった「ガス欠」状態である。
昨年夏に湖西に行った時も、帰りの海津大崎〜大浦区間(県道557号線=西浅井マキノ線)でそうなった。それに備えて飴を何個もポケットに入れてはいたが、到底追いつかない。「一粒300メートル」というグリコのキャッチフレーズが実感できる。1個舐めては暫く走り(自転車なので1kmは走れる)を繰り返すのである。経験のない方には信じられないかもしれないが、決して冗談ではない。「あと数百メートル」と頭では解っていても体がどうしても動かないのである。不注意にも口に入れる寸前で落っことし、必死で捜したが見つからなかった時はとても悲しかった。何せこの辺りは琵琶湖のすぐそばまで山が迫っており、道も辛うじて湖岸ギリギリに付けられているという地形のため、(桜並木が有名で開花シーズンこそ大混雑するが)辺りに民家は全くない。自販機もない。まさに這々の体で何とか大浦の駄菓子屋さんに駆け込んだ。そこで買って食べたソフトクリームの美味かったこと!(しばらくの間β-エンドルフィンなど脳内麻薬様物質の合成に関与する遺伝子は発現しっ放しだったに違いない。)味覚の内ではカロリー摂取に直結する甘味が最初に発達するというのもよく理解できる。(阿部次郎の「三太郎の日記 第一」中の「5.さまざまのおもい」にこんな話がある。三太郎が高野山から下りる時に宿で貰った餅を持て余していたので、先を行っていた「癩病やみ」(註:原文ママ) にあげたら、「ちょうどひもじくって弱っているところでした」と幾度も幾度も礼を言われた。「僕はこの真正に飢えた人を見て羨ましかった」と続けられていたが、彼も自転車をやれば良かったのに。)
ところで、「ガス欠」になっても私の体には十分すぎるほどの蓄えがある。言うまでもなくビッシリ付いた(美容上から望ましくない)皮下脂肪と(どの位あるのかわからないが、健康上あまり好ましくない)内臓脂肪である。私の体脂肪率は毎年かなり激しい季節変動(だいたい15〜20%)を示すが、少なくとも数十日分の基礎代謝は賄える量である。ところが、それが燃えて欲しい肝心の時にはなかなか燃えてくれないのが悔しくて仕方がない。脂肪代謝に必要なアミノ酸を補給するための各種飲料が発売されているので、今年は水の代わりにそのペットボトルを携行しようと考えているところだ。はたして「ガス欠」は解消されるであろうか?
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