エリス・レジーナ(Elis Regina)

Fascinação - The Best of Elis Regina
1990
Polygram/VERVE 836 844-2

 2002年夏のことである。かつてブラジルに「エリス・レジーナ」という凄い歌手がいたと何か(思い出せん)で知った私は直ちに聴いてみたくなった。比較検討の結果、ベスト集の当盤を「犬」通販から購入することに決めたのであるが、注文を確定する直前に「尼損」の方がかなり安い(註1)ことに気が付いたのはラッキー(註2)だった。(註:ほぼ2/3だったが、最近そういうことは滅多になく大抵amazon.co.jpの方が高い。註2:当時HMVはキャンセル不可だった。)
 ところが入手した当初は正直なところ良さも凄さも解らなかった。唯一、サビの歌唱が野放図を通り越して破天荒とすら聞こえた11曲目の "Arrastão"(ライヴ収録)が記憶に残ったが、それは彼女の壮絶極まる生き様が音楽にそのまま反映していると思われたからに他ならない。(HMVの紹介文によれば、70年代後半に2番目の夫と別れてからアルコールとコカインの常習者となり、82年の3度目の結婚後1ヶ月も経たぬ間に死体となって発見。37歳の若さだった。死因は先の中毒とされるが自殺説も流れたらしい。)他にはトラック10 "Pot-pourri C"(12曲のメドレー)が同じく生演奏ゆえの臨場感を備えていたこともあって、それなりに愉しめたという程度である。そんな訳で「悪くはないが特に良くもなし」という評価のまま数年が経過した。その間再生の機会にもさほど恵まれたとはいえない。
 転機が訪れたのは今年(2007年)に入ってからである。既に "Pitanga!"(松田美緒)のページに記したが、当盤のトラック12に収められた "Romaria" を聴いて滅多にないほどの感銘を受けた。目から鱗が剥がれた後、涙がボロボロこぼれて止まらなくなってしまったのである。(エリゼッチ・カルドーゾの歌う "Apelo" が竹村淳に及ぼしたのと同種の作用と考えられるが、全く困ったものだ。)以下しばらく綴ってみる。まず曲の構成が素晴らしい。「明→暗→明」(長調→短調→長調)の転換が極めて自然である。(ついでながら短調部分はアルゼンチンのフォルクローレの名曲、"Alfonsina y el mar" と少し似ている。)一方、詞も実によく考えて作られている。韻の多用のみならず、言葉遊び("caipira, Pirapora" や "Ilmina a mina" のような同音反復)も採り入れているため耳に快く響く。ただし中身は訳詞を目で追っているだけでホロリとくるほどシリアスなのだが・・・・基本的に弦楽器2本のみという伴奏はシンミリとした雰囲気を形成することに貢献している。その点では3番から参加する合唱も実にいい仕事をしている。さらに2番と3番のサビで何かの打楽器が金属音を(曲のリズムとは無関係ながら)一定間隔で鳴らしているが、これは教会や寺院の鐘を模しているのだろうか? これも非常に効果的だと思う。が、それら以上に見事なのが歌手だ。時に伴奏に先んじて、時に少し遅れて歌う。またフレーズの終わりでは、しばしば音を下方に大きく踏み外す。もちろん故意に。もはやそうなると歌唱ではなく語りとなる。(溜息を吐いているようでもある。)下手にこのようなデフォルメを試みれば途端にぶち壊しとなる危険は小さくないはずだ。けれども彼女のは何ともいえず絶妙なのである。これは相当年期を積んだ歌手にのみ可能な崩しであり、もはや名人芸の域にまで到達しているといっても過言ではない。特に2番の "Se há sorte, eu não sei. Nunca vi." には情感がこれでもかと込められていて泣かせるが、もしかすると自分の人生を重ねていたのだろうか? そして最後のリピートではサビのフレーズを歌い切らない。この思わせぶりなエンディングも妙に印象的であった。
 ここで改めて当盤を通しで聴いての印象を述べることにするが、歌唱力という点では別段に優れている訳でもないと思っているのは今も昔も同じ。しかしながら、この人は巧く歌おうなどとは端から考えていないような節がある。最初から上手下手を超越していると言い換えることもできるだろう。(「ヘタウマ」とはまるで意味が違うので注意されたし。)それゆえ、ライヴであれスタジオ収録であれ表出されるスケール感は桁外れに大きくなる。これだけでレジーナの真価が完全に理解できたというつもりは更々ないけれど、規格外の存在であることは疑いようのない事実であるから、ひとまず90点を付けておく。今後の展開によって上乗せの可能性は十分ある。音質イマイチのトラックが複数混じっている(特に "Pot-pourri C" がモノラルなのは痛い)ため満点に達することはないだろうが・・・・

ELIS & TOM
2006(オリジナルLP発売は1974)
ユニバーサル・ミュージック(PHILIPS) UICY-90147

 ブラジル移住100周年の今年(2008年)はボサノバ誕生50周年にも当たるようで、多くのレーベルが企画盤や記念盤を発売した。(今のところ購入の予定はないが。)またテレビ・ラジオでも特集が組まれたが、私は5月4日にNHK-FMが約11時間にわたって放送した「今日は一日『ボサ・ノバ』三昧」を聴いた。その中で流されたのが当盤収録曲 "Águas de Março" である。実は番組中はそうと知らずにレジーナとA・C・ジョビンのデュエットに耳を傾けていたのだが、途中で女性歌手がクスクス笑い出し、しまいには彼女の入れる合いの手がgdgdになった。その刹那は「もっと真面目にやれ!」とムッとしたけれども、聴後しばらく経って「こういうのも悪くない」→「こういうボサノヴァもアリかもしれない」と肯定的に受け止められるようになった。それで「もしや」と思って調べてみたところ、そのトラックは竹村淳が「ラテン音楽パラダイス」にてレジーナの数多いアルバムの中でも「文句なしの代表作」と太鼓判を押していたのを承知しながら敬遠していた(註)当盤の冒頭に収められていると判明。(註:理由は言うまでもなく「男性歌手の力量が劣ると興が削がれる」である。)さらに国内廉価盤が完全限定ながら2年前に再発されていたことを知ったため生協に注文を入れて確保した。
 改めて聴いても男性歌手は声も歌唱力も断然聴き劣りする。が、2人はそんなことは最初からそんなことは百も承知で、ただただ聴き手を愉しませることを念頭に置いて掛け合いを繰り広げていたのではないか。漫才みたく。「こういうのがボサノヴァにおける正統的なデュオのスタイルなのかもしれない」とも思った。そのような心構えで以降のトラックを聴き始めたのであるが、以降は一転してシリアスな音楽の連続、加えてジョビンの参加もトラック12 "Soneto de separação" のみ(他に数曲でちょっとハモる程度)で、あとはレジーナの独壇場となっている。拍子抜けはしたものの、同時にホッとしたというのが本音だ。
 そのレジーナの独唱であるが、これが掛け値なしに素晴らしい。特に短調曲で漂ってくる凄味はウルトラ級である。ナラ・レオンの超名唱にも引けを取らない "Por toda a minha vida"(10曲目)も捨てがたいが、私としては8曲目 "Retrato em branco e preto" を当盤のベストに、そして次点に6曲目 "Corcovado" を挙げたい。歌を引き立たせている格調高き伴奏も賞讃しておこう。スケールの大きさと圧倒的パワーが印象的だった上記 "Fascinação" とは対照的に当盤は内向きの音楽を揃えているが、それらにおける抉りの深さが最大の魅力となっている。98点。
 最後になるが、そして引き合いに出すのは恐縮ながら、当盤のラスト2曲("Chovendo na roseira" と "Inútil paisagem")はテレーザ・サルゲイロの "Você e Eu" の収録曲でもあったが、やはり鍛えの入ったレジーナの歌唱と比べれば分が悪すぎである。その意志があるのかないのかは知らないが、サルゲイロは経験を十分積んでから再録音に挑むべきだろう。(というより彼女はソロ歌手として今後どういう音楽に取り組もうとしているのだろうか?)

おまけ
 CDジャーナル10月号にてレジーナの娘、マリア・ヒタ(Maria Rita)も歌手業に就いていると知った。(いまさら?)今年11月の初来日に合わせてワーナーから記念盤&初の国内盤 "Samba Meu"(WPCR-13201)が出るらしい。で「実力の程は?」と思った私は早速iTunes Storeで試聴し仰天。ファースト・アルバム "Rita"(2004)のHMVレビュー中に「その第一声を聞いた観客のどよめきとともにショーははじまった...というぐらい母、エリス・ヘジーナに激似のマリア・ヒタ」という一文があるが決して誇張ではない。声も歌い方も気味が悪いほどにクリソツである。ただし、それゆえにディスクを手に取ろうという意欲は逆に減退してしまった。いつか気が変わらないとも限らないが・・・・

ポルトガル語圏の音楽のページに戻る