Atlântica(アトランティカ)
2005
Victor VICP-63039

 本作は松田のメジャーデビュー盤である。発売後しばらく経ってから私はとあるルートより未開封の新品を入手した。(少なくとも当方は非合法な真似はしていない。)最初に通しで聴いて申し分のない仕上がりだと思った。ここで全く唐突ではあるがベートーヴェンを持ち出すと、彼の作品1(Op.1)「3つのピアノ三重奏曲」(1795年)はなかなかに聴き応えがある。それ以前に作曲された数多くの「習作」の後に着手されたからである。以下も余談だが、年代に関係なく彼が気に入らなかった作品は番号が付けられることもなく未発表のまま残された。それらはようやく1955年にG. キンスキーとH. ハルムの編集による作品目録に採り入れられたが、"Op."(Opusの略)ではなく "WoO."(「作品番号なし」を意味する "Werke ohne Opuszahl" の略)という番号で整理されることになった。さて、松田もポルトガルや日本のライヴハウス等への出演によって着実にキャリアを重ね、既にプライベート盤も何枚か出していたという話だから、このアルバムが見事な出来映えを示しているのも至極当然である。「これはポルトガル音楽の『オーパス・ワン』やあ〜!」と彦摩呂の口調で叫びたいくらいだ。(蛇足ながらカリフォルニアのワインに有名な高級銘柄がある。)
 アルバム冒頭に収められたタイトル曲の "Atlântica"(アトランティカ)から大ベテランのような堂々たる歌唱である。既に名声を確立したポルトガル語圏の歌手に混じっても全く遜色ない。例えば「エリス・レジーナの再来」とまで激賞され、ブラジル音楽界の将来を背負って立つと期待されているMarisa Monte(マリーザ・モンチ)のディスクとともに誰かに聴き比べてもらうとしよう。もちろん好き嫌いは出てくるだろうが、ハッキリと優劣を下すことができるような人間がいるとは私には思えない。
 以後も佳曲&名唱揃いだが、異なる国・地域の曲を配置しながらも統一感を大切にしているのが素晴らしい。特に感心したのが8曲目 "Canto nenhum"(行き先のない旅へ)である。歌手自身が執筆した曲目解説によると、Agenor de Oliveira(作詞&作曲者)の未発表曲で、レコーディングも山場を迎えた頃にギター弾き語りを披露してくれたとある。それを聴いて大いに気に入った彼女はその場で教示を受け、翌日に録音してしまったとのこと。(ここで2種入っていたブックレットにも触れておくと、いずれも音楽に負けず劣らず高水準である。先述したライナーはアルバム紹介文、曲目解説、そして訳詞がことごとく秀逸。また阿保郁夫というタンゴ歌手の寄稿も凡庸なライターによるおなざりの賞讃とは月とスッポンである。マドレデウスの国内盤を扱っていた某札付きレーベルも少しは見習ってほしい。でももう遅いか。)そんなエピソードが信じられないほどに完成度は高く、知らずに聞かされたら何年も歌い続けてきた彼女の十八番だと錯覚してしまったに違いない。なんという消化および吸収力であろうか! 今度は「ポルトガル音楽界のギャル曽根」と持ち上げておこう。(←褒めてないか?)松田によって生命を吹き込まれたこの曲が今後ボサノヴァのスタンダードとして長く聴かれ続けることになるのではないか。そう予感せずにはいられない程にも私は感銘を受けた。
 ただし全ての曲を気に入ったかといえば残念ながらそうではない。そこで先述の "Saiko"(トラック4)である。あの店で初めて聴いた時には何ともなかったのだが・・・・歌詞対訳を見て愕然とした。いきなり "Saitê ca tâ entra li"(サイテーは入れないよ)と来る。以後も節分の豆まき(サイコーは内、サイテーは外)みたいなフレーズのオンパレードである。私は「最高」と感じることができた時など冗談抜きに数えるほどしかない人間だ。一方、「最低」としか言いようのない嫌な思い出は数え切れない。ローカルネタで恐縮だが、自分の人生を喩えてみれば岐阜の上石津トンネル(国道365線)みたいなものではないかと考えてしまう今日この頃である。それゆえ、中身を知った後ではものすごい疎外感を覚えてしまうのだ。(豆を投げつけられて家から追い出された鬼のような気分である。あるいはトーマス=マン作「トニオ・クレーゲル」の主人公の心境に近いとでも書けば解ってもらえるだろうか?)いつしか耐え難くなりスキップするようになった。この際ついでだが、トラック11 "Lua luminosa [Amefuri-Otsuki]"(輝く月 [雨降りお月])も出来は決して悪くないのだが、時に詞がメロディにうまく乗っていないと感じられたのが惜しい。他とは曲想がかなり異なっているようにも思われるから、いっそ「ボーナス・トラック」的に最後に置いた方が収まりは良かったのではないか。何といってもあの曲のみ "Pacífica" だし(日本海など他の海にも囲まれてはいるが、国としては環太平洋圏に位置しているのは事実)。とはいえ、気に入らないなら先にも述べたように飛ばす、あるいは入れ替えれば良いだけのこと。そうすれば優に90点には乗っている。(上の2曲を減点対象としても平均84点になった。)


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