Existir(註:邦題を私は認めていない)
1990(国内盤発売は1993)
EMI 7946472(TOCP-7539)

 海外で制作されたディスクについては、アルバム名にせよ曲名にせよ私は基本的に邦題を無視することにしている。ろくでもないタイトルに閉口することが多かったからである。当盤の原題は "Existir"、「存在する」といった意味の動詞である。またトラック2 "O pastor" は「牧人」(牛飼いや羊飼い)あるいは「牧師」の意が辞書に出ている。ところが何を血迷ったか、国内盤の制作者は双方ともに「海と旋律」という名前を付けてしまった。日本側に一任するというお墨付きを先方から得ていたのかもしれないが、ハッキリ言って無茶苦茶だと思う。まるで脈絡のないネーミング、しかも原題が全く異なるにもかかわらず同じ語を充てるとはいったい何を考えているのか! 「アホの二乗」とでも言いたくなる。知恵を絞って付けたタイトルが "O Mar e a Melodia" という意味に改変(改竄)されてしまっていることを原作者は知っているのだろうか? そういえば、オリジナルのジャケットは国内盤とは全く別物(素敵なデザインのイラスト)である。メンバーが浜辺で演奏している当盤ブックレットの表紙写真は、この暴挙としか言いようのないネーミングに嫌々付き合わされているように思われてならない。が、これでは本題に入れないので糾弾は終わりにする。
 1曲目の "Matinal" は何やら雄叫びのようである。前作について私は「暗中模索」という言葉を使ったが、セカンドアルバムとなる当盤のレコーディングに際し、マドレデウスはようやく本当のスタートラインに立ったことを自覚していたのではなかったか。つまり、文字通りの「黎明期」に入ったのである。冒頭に置かれたこの曲が私には「自分たちは今から出発するのだ」という決意表明のようにも聞こえる。号砲と同時に猛烈な勢いで駆け出した陸上選手(短距離)を彷彿させるような "O Pastor" が次に置かれたのも当然という気がする。あるいは蒸気機関車の爆走が目に浮かんだりもするが、この力強さには「どんなことがあっても我々は走り続ける」という覚悟が込められているのではないかと思った。
 ところがトラック3 "O navio" がほのぼのした曲なので戸惑ってしまう。次の "Tardes de Bolonha" はボレロ技法(←当方の勝手な命名)による器楽曲であるが、やや唐突な感じがしないでもない。Kさんはここら辺りの曲の並びが効果的だと書かれていたように記憶しているが、私にはどういう意図による配置なのか未だによく理解できていない。ちなみに来月に紹介予定であるメカーノの最高傑作 "Descanso Dominical" は国内盤と海外盤(ただし一部)の収録曲数と曲順が全く異なっている。なので、このアルバムについても東芝EMIのアホ担当者が自分の裁量で勝手に入れ替えてしまったのではないかという疑念を一時期抱いていたほどである。実際にはそういう事実は確認されなかったが・・・・(国内外の通販サイトで調べてみたものの、一通りの並びしか見い出せなかった。)
 5曲目には暖かさを感じる "O ladrão" が置かれている。サルゲイロと他のメンバーによる二重唱である。男声の方は特に耳を引くところはないが決して下手ではない。8曲目の "Cuidado" でもサビで合唱が加わっているが、思うに男性メンバーがヴォーカルとして加わっているのは当盤だけではないか。そのため(だけでもないだろうが)、アットホームな雰囲気が伝わってくるという点ではマドレデウスの全作品中で唯一無二である。少し戻るが、後のアルバムにおけるサルゲイロの人間離れした声を知っている耳には "O Pastor" の声域は少し低いように感じられる。("O Espírito da Paz" のボーナストラックに加えられた同曲に尋常ではない違和感を覚えるのはそのためでもある。)彼女の技量なら三度、少なくとも二度上でも楽に歌いこなせるはずで、その方が切迫感ははるかに出ていたはずだ。が、敢えてそうしなかったのはアルバム全体としての調和を重んじたためであろう。他の曲でも最高音は低めに設定されている。しかもサルゲイロの歌唱は前作よりも格段に向上しているため(既に技術的には完成しているのではないか?)、終始落ち着いて(註:「リラックスして」とは違う)聴けるのはありがたい。
 ところが、それで片づかないのが当盤の食えないところ。6曲目 "Confissão" と10曲目 "O menino"、そして12曲目の "A vontage de mudar" は寂寥感が際立っている。マドレデウスは続く2作("Ainda" と "O Espirito....")で独自の境地を切り開くことになる訳だが、その萌芽が感じられるような佳曲群である。また、9曲目の器楽曲 "As ilhas dos Açores" は当盤中で私が最も好きな曲であるが、後に辿り着くことになる崇高な世界へと通じているように思う。
 このように素晴らしい作品が数多く収められているため曲単位としては文句なしだが、先述したようにアルバムとしての流れが全然見えてこないのは不満である。これがベスト盤だったら統一感がいかに希薄だとしても当然と割り切れるのだが。コース料理を注文したはずなのに予想外の皿が出てきた。これでは次に何が来るのか全く読めない。「あれっ、アラカルト頼んだ覚えはないのに。」そんな感じである。当盤の入手直後にKさん主催BBSに感想を投稿した際、「雑然としている」「エントロピーが高い」などと綴ったと記憶しているが、私は今でも当盤を聴いて消化不良のような気持ちを覚えることがある。
 ところで前に持ち出した "Descanso Dominical" は今年(2006年)8月から採用している当サイトのタイトルの元ネタとなったアルバムである。邦題は「スペインの玩具箱」というものであるが、「おもちゃ」で片付けるのが憚られるほど重い内容のメッセージソングが多数収められているから明らかに不適切だと私は思っていた。トップページに「何ともケッタイな」と書いたのはそのためである。一方、当盤には「ポルトガルの玩具箱」もアリではないかと考えている。が、もしかするとスペインのと同様、軽すぎる「おもちゃ」は似つかわしくないという批判の声が上がるかもしれない。(←どっから?)ならば「ポルトガルの宝石箱」はどうだろうか? 色とりどりの珠玉にも喩えられる名曲が散りばめられているアルバムだから。
 と持ち上げたところで採点に移る。至高の芸術と呼ぶに相応しい作品が含まれているから90点以上を得る資格はある。が、構成に難を感じてしまうことが災いして、結局チャラということになった。(たぶん私の聴き方に問題があるということだろう。)なお、国内盤はトンデモネーミングの重罪につき少なくとも5点は引きたいところだ。

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