ルアル・ナ・ルブレ(Luar na Lubre)

Lo Mejor de Luar Na Lubre: XV Aniversario(ガリシアの郷愁〜ベスト ─ 結成15周年記念アルバム ─)
2001
Warner Music Spain 5101113632(OMAGATOKI OMCX-1147)

 2007年11月、横浜のKさんの「マドレデウス掲示板」をまたも激震が襲った。常連投稿者Aさんによってテレーザ・サルゲイロ脱退のニュースが紹介されたのである。(その1年前に流れたグループ解散の報はガセネタだったが。)オフィシャルサイトのポルトガル版(Notícias)にも掲載されているという話だから信憑性は高いようだ。ちなみに、その報を受けてのKさんの感想は「事実だとしても不自然なタイミングではない」というもので、むしろ「イコール『マドレデウス解散』とならないことの方が驚き」だったそうである。また、やはり横浜在住のNさんも「Teresaが抜けてしまってはMADREDEUSとは言えない!」と同趣旨の見解を述べられていた。これに対し、「ボーカル交替という線も考えられるし、同等の質が保たれるのであれば(芸風の異なるマドレデウスが聴ける訳だから)興味も湧いてくる」などと書いたのが私。そして、その際に持ち出したのがガリシアに拠点を置くこの音楽集団である。2001年に15周年を迎えたということだから逆算すれば1986年結成というベテランだが、リード・ヴォーカル担当の女性歌手(1997年発表の "Plenilunio" から採用)が2005年に交替(Rosa Cedrón→Sara Louraço Vida)している。つまり、本ページでは同一団体ながらヴォーカルの異なる2枚を聴き比べることになる訳だ。(なお旧の方はアクセント記号を重んじ「セドローン」と綴ることにした。ただし引用は除く。)
 まず当盤であるが、CDジャーナルの「PICK UP ARTISTS」(新譜発売情報)コーナーの「ワールドミュージック他」に掲載されていた「紅一点の女性ヴォーカル、ロサ・セドロンの美声が・・・・」との紹介記事にそそのかされため生協に予約して買った。14曲を収録しトータル約62分。器楽曲を除くトラックでは全てgalego(ガリシア語)が用いられている。ところで、やはりスペインの地方公用語(他にはEuskara=バスク語が有名)の一つであるcatalà(カタルーニャ語)の詞を歌うマジョルカ島出身女性歌手のマリア・デル・マール・ボネット(今回並行して評を執筆する予定)は、いろいろな事情を勘案して「その他の地域」に入れることに決めた。しかしながら、ガリシア自治州が(現在スペインに属しているとはいえ)ポルトガルの直上(真北)に位置しているという地理的条件、および言語そのものが葡語と近縁であることを考慮し、このグループはそちらに含めるのが妥当と判断した。
 評に移る前にブックレット表紙の写真について。セドローンの上半身の後方には楽器を入れたケースを携えて歩くメンバー7人が写っている。CDのレーベル面の影絵も同じ。裏表紙には過去作品(アルバムおよびシングル)のジャケットが並んでいるが、どうやら同種のを繰り返し使ってきたようだ。それらを見てマドレデウスの "O Espírito da Paz"(邦題「陽光と静寂」)を反射的に思い浮かべたとしても不思議ではない。また1999年リリースの "Plenilunio/Cabo do Mundo" では、(ソロ歌手を除き)砂浜に置かれた椅子に座って演奏する楽団の写真を用いており、撮影位置こそ多少異なっている(註)ものの、やはり「海と旋律」のそれを彷彿させずにはおかない。(註:超名盤では右側方から撮っているのに対し、そっちの方は海をバックに真正面から写している。ちなみに、このようなアートワークの類似性についてはライナーでも言及されている。)とはいえ、よく考えてみれば "Existir" のジャケットは日本盤とは全くの別物だった訳だし、歩いている方もアングルには微妙な違いがある。なので、パクリ疑惑については「疑わしきは罰せず」としておこう。ただし肝心の音楽の質はマドレデウスよりもハッキリ劣る。これから述べる。
 トラック1 "Camariñas" のイントロを聴いて何とも幻想的と思った私だが、やがて加わってくるチェロの音には疑問を感じる。ブックレット中央の見開き写真を見ると、何とヴォーカルのセドローンがチェロを弾いている。さすがに楽器とヴォーカルを同時にこなすのは無理と判断してか、演奏はイントロに限定しているようだ。それなら特に差し障りはないし、コンサートや映像ソフトでは視覚的な効果も出ると考えたのかもしれないが、結局はそれだけのようにしか思えない。もっと言ってしまえば見かけ倒しの感がなくもない。そういえば少し前にNHKテレビが放映したカーペンターズの特集番組にて、2人組で売り出す前のカレンがドラムを叩きながら歌っているのを見た。彼女はこの楽器が大好きだったようだが、「メインのヴォーカルが楽器の裏に隠れている」という理由で「これまで観た中で最悪のコンサート」とまで酷評されたのを機に歌手に専念することとなったらしい。チェロにそこまでの遮蔽効果はないのは承知しているけれども、腰掛けたままでは声が十分に出ないような気がする。これがあくまで生演奏限定であり、レコーディング時には別テイクを重ねていたというなら問題ないが・・・・ここで上記BBSに書き込んだ購入翌日の印象から一部再掲する。作成日は2001年11月8日である。

  アコースティック楽器(ギター、アコーディオン、ヴァイオリン、チェロ、
 フルートその他)によるアンサンブルはかなりの高水準。一方、グループの
 メジャー・レーベル(ワーナー)デビューを機に加わった「紅一点」のヴォ
 ーカル兼チェリストのロサ・セドロンは、声や歌い方がマリア・デル・マー
 ル・ボネット(カタルーニャの名歌手)、時にドゥルス・ポンテスを思わせ
 ます。殺気や凄みといったものは感じさせませんが上手いです。ノックアウ
 ト型ではなく、噛めば噛むほど味がでるタイプと思います。

 その直前には「うーん、これは相当にいいです」と書いていたことからも、当時は好印象を抱いていたことが窺える。だが、後に世界各地の名歌手多数を知った今の私の耳には何か物足りない。セドローンの自然体歌唱はホンワカした感じの曲調との相性も悪くないのだろうが、特に上手いと感心させてくれる訳ではなし。それ以前に茫洋としすぎて掴み所がなく、これといった個性がまるで感じられないのは痛い。もし言い過ぎなら華がないと言い換えてもいい。
 一方、器楽部が十分上手いと思っていることは昔も今も同じだが、2曲目 "Grial" など、最初から最後まであまりの騒々しさに辟易してしまう。おそらくガイタ(ケルト音楽特有のバグパイプ)やパーカッションの多用が最大の原因だろうが、民族舞踊風のトラック複数はどれも(実際テンポも速いが)慌ただしいと感じるだけに終わっており、ロリーナ・マッケニットによる上質なケルト音楽などと比べればあまりにも分が悪すぎである。最後の2曲(トラック13 "Muñeira do miño" と同14 "O Berce do sol")はライヴ録音で、聴衆の大変な盛り上がりようも伝わってはきたものの、蚊帳の外に置かれた私は興醒めするよりなかった。
 改めて聴いても「ええなあ」と思えたのは実は2曲だけ。ともに男性ゲストを迎えている。うちトラック3 "Tu gitana" はパブロ・ミラネースとの共演である。既にタニア・リベルタッのベスト盤評で触れた男性歌手である。あちらも悪くはなかったが、ここでの情熱的な歌に心打たれた私は、1日でも早く彼のディスクを買って聴かねばならぬとの使命感を抱くに至ったのである。素晴らしい曲で文句を付けるところは皆無。繰り返される "O si nela moriré"(対訳は「それとも死んでしまうだろうか」)というフレーズが「(女性調理人である)私は死ぬだろう」という意味の西語 "Cocinera moriré" に聞こえてしまうのは困るが、もちろん当方の責任である。それにしても浮つき気味で時に調子っぱずれとすら聞こえる女声歌唱とのギャップはものすごい。一方、6曲目 "Chove en Santiago" にはイスマエル・セラーノ(解説によるとスペインの若手シンガー・ソングライター)が参加。こちらも負けず劣らずの名曲だし、歌手2人の力量差が感じられなかった分だけ印象は上回っているかもしれない。これら2曲には90点をやっても全然惜しくないが他は70点がやっとこさ。73点とする。


Saudade(サウダーデ)
2005(国内盤は翌年発売)
Warner Music Spain 8573 87642 2(OMAGATOKI OMCX-1069)

 先述したように、2代目ヴォーカルのヴィダルを迎えて初めてリリースされたアルバムである。上記ベスト盤には必ずしも満足できなかった私だが、ソロ歌手交替のニュースをCDJで読み、芸風の変化を確認したくなったため予約注文を入れたという次第。
 1曲目 "Desterro" の歌の出だしから驚かされた。セドローンとは全然違う。声には透明感があり、力強さにも不足していない。だが安定感には欠け、音程はしばしば揺れる。技量はセドローンの方が上だろう。ただし、歌唱の印象はそれと一致しなかった。
 この交代劇について触れたページをネット上で見つけたが、オーディションで15人の中から選ばれたというヴィダルはガリシア人ではなく、リスボン生まれのポルトガル人とのこと。(んなら「ヴィダウ」の方がええんかなぁ?)「新たな方向性を模索中のグループが先代とは異なるタイプのヴォーカルを探していた」という旨の記述もあった。また「ファドへの傾倒」という指摘は他のサイトでも目にしたような気がする。(見つけられなかったけど。)
 で、実際聴いたけれど、私にはファド色を強めているとは特に聞こえなかった。だが、全体として音楽に落ち着きが加わり、「どうも肌が合わんなあ」との不満を覚えるような曲はほとんどなくなった。これは何としてもありがたい。また歌手の声は基本的にクリアーながら翳りをも備えている。節回しにもクセがある。その貢献も大である。やはり(伝承曲 or 新作を問わず)「トラッド音楽」の色を強く押し出そうとするトラックには、アクが強すぎると感じさせるほどの個性が求められているのだと思う。十二分とまでは言えないものの、彼女はその条件を9割方は満たしているといえる。賑やかな曲のみならず、終始スローテンポで進められる8曲目 "Lonxe da terriña" での朗々たる歌唱にも感服した。
 当盤ではデュエット曲が5つ採用されており、その最初(3曲目)の "Cantiga do neno da tenda"(特に前半部)は当盤中でも屈指の出来だ。これで男性歌手(アルゼンチン人のAdriana Valera)がもう少しでも上手だったら文句なしだったのに。(ヘタすぎやぞ!)それにしても "Tu gitana" がよっぽど好きなんだなあ、彼らは。本作ではラストに収められている。しかも共演者は前回と同じミラネース。加えてアレンジや演奏時間までほとんど一緒である。ただし、さすがのヴィダル(ウ)でも「ヌエバ・トローバの巨人」相手では聴き劣りする。セドローンほどではないが線の細さは明らかだし、不安定な音程も耳に付く。(どうやら維持の容易ならざるメロディのようだ。)ここは3度目に期待。(次は誰?)
 なかなかに多様性に富んだトラックの何れもが高水準である。10曲目 "Teu nome, Amarante" の中間部で私が好まないツンチャカリズムが登場するが、数十秒程度なら我慢できる。ここは85点としておこう。

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