ナラ・レオン(Nara Leão)

Dez Anos Depois(美しきボサノヴァのミューズ)
1998(LP発売は1971)
PHILIPS PHCA-4211

 この人の初購入CDは中古屋で見つけた1987年録音の "Meus Sonhos Dourados"(ただし翌年発売された国内盤「あこがれ」)である。"Tea for two"(邦題「二人でお茶を」)とか "Over the rainbow"(同「虹の彼方に」)といった英語のスタンダード曲をボサノヴァ風編曲で歌うという企画ものだったが、聴いてすぐ「アレか」と思い当たった。他ページで触れた小野リサ選抜によるベスト盤のコピーテープで既に馴染んでいた声だったからである。ただし、そのディスクはポルトガル語歌詞のメロディへのノリがイマイチだったので間もなく手放してしまった。それから数年経っていたはずだが、たぶんCDジャーナルに載っていたリリース情報中の「歴史的名盤のLP2枚組を1枚に収めたお買い得盤」といった宣伝文句に踊らされて当盤に手を出したと思われる。確かに24曲入り(トータル64分45秒)だからコストパフォーマンスは良い。
 1曲目は飛ばして次の "Desafinado" から述べる。(私は「ジザフィナード」を使うことにしているが、当盤ブックレットの表記「ヂザフィナード」の方が発音に忠実かもしれない。検索結果の件数がいくら多くとも「デサフィナード」は僕は採らない。)私が最も好きなブラジル音楽である。(一方、ボサノヴァの代名詞みたいな言い方をされる「イパネマの娘」は「まあまあ」だったりする。)1992年8月に短期集中講座として2週間(計8回)放送された「ポルトガル語を話そう」でのこと、「今日の歌」として流れた日本人歌手(名前は忘れた)のライヴでの熱唱を聴いていっぺんに好きになった。(ここで余談。ラジオ第2放送で毎日18時からスペイン語とともに10分間ニュースを放送していることからも明らかなように、NHKは在日ブラジル人の増加に伴いポルトガル語の重要性が増していることは十分認識しているはずだ。にもかかわらず未だテレビ、ラジオとも常設の講座を設けようとしないのはどういうことか? プンプン! それでも私は何とか我慢していたのだが、2004年10月に教育テレビでアラビア語会話が開講されたのを知って遂に堪忍袋の緒が切れた。ドイツ語かロシア語、あるいはイタリア語のどれかを潰してでもいいから早く作れ!!)何といっても旋律が魅力的である。後にフリオ・イグレシアスのメドレー集 "Raíces" でも同曲を聴き、ますます好きになった。ただし全曲通して聴くとちょっと印象が落ちる。出だしは百点満点なのだが、中間部に入ると「Rolleyflex(のカメラ)がどうのこうの」といった辺りからメロディがあらぬ方向に行ってしまうというか、とりとめがなくなってしまう(註)ので大したことがないと思ってしまう。(註:ラジオで聴いていた人が本当に音痴が歌っていると錯覚したらしい。ありうる。)終結部で冒頭の音型が戻って来て私はようやくホッとすることができるという訳だ。実はイグレシアスは最初と最後だけを「つまみ食い」していたのである。曲名の「音痴」が表現されている部分をすっ飛ばしてしまったのだから、本来なら「邪道」「暴挙」に該当するのかもしれない。それはともかくとして、彼にしても先述の日本人歌手にしても濃厚な歌唱を聴かせてくれた。それが私にとって同曲を気に入るための必要条件のようである。(2008年11月追記:とにかく好きな曲ゆえ「擬似音痴」部分も含めて空で歌えるようにしようと最近思い立った。だが苦労の連続である。歌詞は頭に入ったもののメロディがうまく取れない。例の中間部での数度の転調を経て再現部に移るのだが、どうしても提示部の調に復帰することができないのだ。音痴を演じるのがこれほどにも大変だったとは思いもしなかった。これまで私が挑んだ中でも一二を争う難曲であろう。)
 話を戻す。当盤トラック2の "Desafinado" は軽快そのもの(イグレシアスのバージョンとはまさに対照的)のイントロからも既に予想されるように何とも剽軽な歌いっぷりである。詞が音痴の人間をおちょくっているような(ただし同時に暖かく見つめるようなところもある)内容なので、これが正統的な歌い方だという気もしなくはないが、既に述べた理由により私の好みからは遠い。小野やA・ジルベルトのような気怠さ全開(?)の歌唱よりもさらに一段と冷めているような感すらある。以下は不覚ながら全く知らなかったことであるが、当盤をパリで録音した頃のレオンは「10代の頃からボサノヴァ界で注目されていたのですが、自らそのボサノヴァを否定しつづけ、ボサノヴァというアプローチを避けつづけていました」(HMV通販の紹介文より)とのことである。もしかして、それが思い入れ欠如の一因となっていたのではなかろうか?(なお、ジャケット写真は雨中のパリで撮影された歌手の全身像で、表裏の表紙に分割されているが、これが何とも気味が悪い。モノクロのせいで上目遣いの表情が異様そのものである。また、これを見て私は彼女をずっとアフリカ系かその血が大部分を占める混血だと思ってきたのだが、本ページ作成中に初めて他盤のジャケットを見たら全然そんなことはない。何にしても謎の多い人である。)トラック17 "Garota de Ipanema" も惰性で流しているだけに聞こえてしまう。それでいて両曲ともサビの終わり近くでは音を引っ張ったりしている。一種の即興かもしれないが、こういう唐突な崩しも感心できない。
 ところが短調の曲となると事情は全く異なってくる。そこで冒頭収録の "Por toda minha vida" である。ギターとチェロ(時に他の弦楽器も加わる)による伴奏と彼女のシットリした声が実に合う。ジャケットの雨模様ともピッタリである。5曲目の "Vou por aí" はさらに良い。(先の小野選抜盤で特に印象に残った曲である。ついでながら、あちらでは同じく短調で歌われる "Berimbau" も見事だった。)ここでは独奏フルートが活躍するが、当盤全体を通じて伴奏楽器はよく考えた上で選ばれているという印象だ。短調曲は全体の約1/3を占めるに過ぎないが、どれも素晴らしい出来映えに仕上がっている。私としてはもう少し増やしてもらいたかったところだ。ここで採点だが、大雑把な計算ながら90×1/3+70×2/3=76.666666......、小数点第1位を四捨五入して77点とする。
 ところで先にもチラッと触れたように、私は彼女の歌を梅雨期あるいは厳冬期にこそ聴きたくなってくる。それゆえ、かねてからレオンの歌唱については、多かれ少なかれ虚脱感が漂ってくるあまたのブラジル人歌手のそれ(真夏や晴天日向き)とは毛色が全く異なるのではないかと考えてきた。一度聴いたら忘れようのない独特の声だけが理由ではない。ほとんど全てのブラジル人歌手は(南部二大都市のリオ・デ・ジャネイロおよびサンパウロはもちろん、「トロピカリズモ」発祥の地であるバイーアを含む北東部にまで範囲を拡げても)声質など表面的には異なっていても根っこでは繋がっているという気がしている。ところが、どういう訳かレオンには「根無し草」「浮き草」というイメージを抱いてしまう。ブラジル音楽の底流ともいえる「サウダージ」ですら、この人はさして興味がなかったのだろうか? あまりにも飄々とした歌唱を耳にして当方が勝手にそう思っているだけかもしれないが・・・・とにかく私にとってレオンは孤高の存在なのである。(全然理由が説明できていないが、何ともつかみどころがないのだから仕方がない。クラシックの作曲家ではモーツァルトと近いだろうか?)それゆえ彼女が当盤収録曲などをポルトガル語以外で歌ったら他国で生まれた音楽と錯覚してしまいそうな予感もある。あるいは歌手自身も抱いていた疎外感が欧州大陸へと足を向かわせた原因かもしれない。それも言葉にほとんど不自由しないで済む国ではなくフランスに。「サウダーデ」ですら鬱陶しかったのか? が、もしポルトガルに活動の場を求めていればどんな作品が世に出されたのか興味は尽きない。(結局この段落は妄想モードに終始してしまったな。)

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