アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)

イパネマの娘〜ベスト・オブ・アストラッド・ジルベルト
1997
Polydor POCJ-1652

 ブラジル人なのに何故「アストラッド」と英語読みされているのかが理解できなかった。(ちなみに、同時並行して評を執筆したローラ・フィジィ「コルコヴァード」のブックレットでは「アストルード」と原語発音に近い表記が用いられている。)が、当盤を聴いて否が応でも納得せざるを得なかった。ボサノヴァ集なのに全16トラック中ちゃんとポルトガル語で歌っているのはたった4曲しかない。(他に共演者のみ葡語というトラックが2つある。)それゆえ当初は「ポルトガル語圏の音楽」からの追放処分も検討したほどである。とはいえ、当サイトの分類基準(単刀直入に「○○語の音楽」とはしない)に従うとすれば、ボサノヴァのアルバムを「その他の地域の音楽のページ」に置く訳にもいくまいと思い直した。
 東京出張の際に渋谷のレコファンなどでラテン音楽の中古CDを物色することが多い私だが、この歌手も名前は以前から知っており試しに1枚聴いてみようと思っていた。ところが常に数点が置かれてはいたものの、なぜか安売り品は皆無で結局眺めるだけに終わっていた。実は当盤は隣町(現在は合併して市)の図書館からの借り物である。買わなくて本当に良かったと胸をなで下ろしているところだ。
 以下はトラック1 "The girl from Ipanema" へのコメントで埋まってしまいそうな予感がする。最初に夫(後に離婚)のジョアンが葡語で、続いてアストラッドが英語で歌っている。トータル5分15秒という長時間演奏である。ところが、ja.wikipedia.orgの「イパネマの娘」の項には「ジョアンのポルトガル語歌唱部分を(シングル盤に収まらないという理由で)切り捨てて、残りを切り継ぐ形でシングル・カットされた英語版「イパネマの娘」は爆発的ヒットとなった」とある。その少し前に「英語詞の事情」として「外国語曲を積極的に聴く態度を欠くアメリカの大衆リスナーへ外国曲を売り込む場合、英語詞は不可欠であった」とある。実に怪しからん話ではないか! またCupiD(国内盤データベース)の当盤コメントには「スタン・ゲッツのテナーに乗ってうたうアストラッドの気だるい唱法の(1)の大ヒットによって、ボサ・ノヴァのスタイルは決まってしまいました」とある。さらにケシカラン話ではないか!! 私は何も「絶対に原語以外では歌うな」などと言いたい訳ではない。感動できさえすれば別に何語でも構わないのだ。しかしながら、ここでのやる気の全く感じられない歌唱はいったい何なのだ! もしかするとリズムからの著しい逸脱によってそう思えるだけかもしれない。そうだとしてもサビの3節は字足らず感が凄まじく、投げ遣りとしか聞こえないぞ!!!(大激怒)
 以後も大半を占める英語トラックはダラダラ流しているだけの印象しか持てず、私としても真面目に耳を傾ける気には到底なれない。特に11曲目 "Dindi" は好きな曲だから、"Sky, so vast is the sky" を聴くとガクッと来る。こんな体たらくに終わるくらいなら、もっと上手なネイティヴの歌手(例えばアフリカ系)に任せておけば良かったではないか。兎にも角にもボサノヴァの良さが全然出ていないという理由により、打率2割5分(4/16)をそのまま得点として採用する。(ひどい。)真っ当なブラジル音楽のディスク評に早く手を付けねばならぬと決意させてくれたのが唯一の収穫かもしれない。(近日中に必ずアップするぞ!)

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