マリア・アナ・ボボーネ(Maria Ana Bobone)

Senhora da Lapa
1998
MA Recordings M046A

 「文芸復興運動」(その他の地域の音楽)と同じく、横浜のNさんが私信中で紹介して下さった歌手であるが、全くいいところなし(辟易させられるだけ)に終わってしまった先のアルバムの二の舞を演じるのはもちろん真っ平御免(さすがの私もそこまで愚かではない)、通販サイトにて試聴で十分納得した上での購入である。(ちなみに米アマゾンではWindows Media Playerにより、つまり比較的音質良好なwmaファイルで全12トラックの試聴が可能である。これに対し日尼ではReal Player再生用のra形式、それも一部だけしか提供していない。)ただし、マーケットプレイスに出品されていた当盤新品を(送料込みで1900円ちょっとで)海外業者から買ったのは良いが、後で気付いてみれば「犬」通販のマルチバイ特価の方が数十円安かった。賢明さはまだまだ不足しているようだ。なお「尼」では翌年リリースされた "Luz Destino" も販売しているが、曲名リストを見た時点で購入意欲が失せてしまったし、案の定試聴しても印象サッパリだった(後述)。
 ところで歌手名の日本語表記であるが、当盤背表紙には「マリア・アナ・ボボン」とあり(註)、大部分のサイトもこれに追従している。(註:どうやら日本向仕様のようである。ただし歌詞対訳も日本語解説もない。)ところが、横浜のKさんのブログやBBSに時々来られるJさん(ポルトガル音楽通のみならず同国を相当贔屓にされている模様)がご自身のブログで「マリア・アナ・ボボーネ」を使われていると知った。実のところ私も "Bobone" を「ボボン」とすることには少なからず抵抗を感ずる。「あるいはフランス系なら」と考えなくもなかったが、ならば "Bobonne" と綴られ「ボボンヌ」のように発音されるはず。さらに前が仏語風の "Marie Anne"(マリー・アンヌ)でないから整合性に欠けるのも明らかである(チャンポンは却下)。ここはやはり素直に(ローマ字式に)読むべきだろう。ということで、現在孤立無援状態のJさんに助太刀することにした。(いつになるかは知らないが検索結果が1件増えるはずである。)
 それでは本題のレビューに入る。1曲目の "Meu amor me deu um lenço" を聴いている途中で「大当たり」と確信できた。ピアノ(スタインウェイ)を伴奏に天にも抜けるような透き通った歌声を聴かせてくれていたから。人間の体から発せられる声というよりは大地の叫びのようでもある。このような伸びやかな歌唱は、フィリーパ・パイシュのデビュー作 "L'Amar" の冒頭に収められた "Vos omnes" と通ずるところがあるようにも思った。(なお曲調は次の "Se me desta terra for vos levarei amor" と近い。そういえば冒頭の音型もどことなく似ている。)ちなみにジャケットにはどういう訳か正座している歌手の写真が用いられているが、どうやらレコーディングの行われたリスボンの大聖堂で撮影されたと思われる。残響がもの凄く多いけれども、極限まで切り詰めた伴奏(ピアノ以外ではポルトガル・ギターあるいはサックスが一部のトラックで加わっているのみ)のため音がこもったりするようなことは決してない。というより、そのお陰で臨場感は抜群である。ワンポイント録音(註)による当盤の驚異的高音質について賞讃しているサイトを複数見たが全く同感だ。(註:この1箇所に2本のマイクを配置するだけというシンプルな方式は、インバル&フランクフルト放送響によるマーラーの交響曲全集録音でDENONレーベルが採用し、大編成のオーケストラでも威力を発揮することを証明した。私もそれで初めて知った。)ついでながら、紙製のケースには他にもボボーネの写真が2枚載っているものの、共演者2名(ピアニスト、ギタリスト)の方が大写しである。歌手はどうやら謙虚な性格らしい。それは当方の勝手な想像としても、当盤収録の全てのトラックから清楚な印象を受けるのは事実である。使い古された言い回しながら「心が洗われる」のような言い回しはこういう音楽のためにあると思う。ついでだが、「命の洗濯」という目的に適う芸術作品としては中原中也の詩 ─私は小林秀雄の著作を通してそのごく一部を知っているだけだが─ と双璧をなすのではあるまいか。(←ちょっと強引だな。)
 大部分が落ち着いたテンポの曲であるから既に私が好むための必要条件を備えているといえるが、長く伸ばすところでビブラートのような小細工を弄することなく、喉を大きく開けて朗々と歌っているのが特に素晴らしい。その反面、音が小刻みに上下する箇所(例えば2曲目 "Ternura" の展開部)になると喉を絞って発声しており、やや冴えない感じである。とはいえ、これはファドの唱法であり、あのジャンルを好む人達にとっては「待ってました!」なのかもしれない。何にしてもこのような歌い方(具体的に書けば「格調を保ちつつ情念を余すところなく表現できるような節回し」あたり)というのはポルトガルの歌手に独特なのだと改めて思う。少なくとも私が愛聴するラテンアメリカ(ブラジルあるいは西語圏の中南米諸国)の音楽ではほとんど皆無(思い付くのはエリゼッチ・カルドーゾぐらい)だし、隣国スペインのフラメンコなどは情緒タップリながら「ちょっとやりすぎと違うか?」と言いたくなる。もしかすると検索範囲を中近東あたりまで拡げれば見つかるかもしれないが・・・・
 3曲目のタイトル曲 "Senhora da lapa (1998)" は簡素を極め尽くした音楽であり、ついつい歌の原点というものに思いを巡らしたくなる。時折音が揺れるのは技巧ではなく、音程が不安定なせいである。明らかに落ちているところもある。が、それを恐れることなく大らかに歌い上げているのが実に良い。(別テイクによる修正を施さなかった制作者にも拍手を贈りたい。)今度は "Os Dias da MadreDeus" でのテレーザ・サルゲイロの外連味のない歌いっぷりを思い出した。
 そのサルゲイロのソロ・アルバム(ただし編集もの)"Obrigado" で私がとりわけ高く評価している "María soliña"(トラック4)と同じく、曲名冒頭に人名が使われている7曲目の "José embala o menino"(tradicional)が偶然ながら当盤ではダントツのお気に入りとなった。というより、試聴時にこの出だし部分に心打たれて即買いを決めたのである。約5分半という結構長い曲なのだが、「もう終わり?」と言いたくなるほどにも速く過ぎ去ってしまう。それゆえリピートして延々と流すこともあるが、それでいて全く飽きることのない超名曲&超名唱である。(なお当盤ではトラック間に最低10秒のインターバルを設けているが、終曲後の余韻を味わうためには丁度良い長さだと思う。)歌詞中に "Belém"(ベツレヘム)の地名があることからも宗教的な音楽であることは明らかだが、ここでのボボーネはあの先輩大歌手に肩を並べるほどの深い境地を示している。ということで、彼女があと数年早く生まれていたら、ひょっとしてマドレデウスのソリスタの座に就いていたかもしれない(ちなみに2人は5歳違いである)・・・・などと荒唐無稽なる思い付きをしてしまった私であるが、そうなったらそうなったで同様の大成功を収めていたはずである。(全くもって迂闊ながら、後になってパイシュの "A Porta do Mundo" にも同曲が収録されていると思い当たった。当盤を知った後では楽器数が突如増加する間奏部をうるさく感じてしまうのが痛いけれど、彼女の歌唱自体はボボーネと全く互角である。何にせよ、これほどまでに優れた伝承曲が他にもポルトガルに存在するのであれば、わが国にも積極的に紹介されて然るべきであろう。)
 一部に既存のファドやトラディショナルも混じっているが、当盤収録曲の多くはJoão Paulo(ピアニスト)やRicardo Rocha(ギタリスト)他が作詞や作曲を手がけた新作である。にもかかわらず、中世ヨーロッパの歌曲集を聴いているような錯覚に襲われる。要は「新しくて古い音楽」(?)ということだが、この種の素朴な音楽にはこれ以上の歌唱力は要らないという気がする。よって技量不足は大きな減点対象とはしない。パイシュのデビュー盤を上回る92点を付けておこう。(ここで看過できない点を2つ挙げておく。まず付属品のうち (ハガキやレーベルのCDカタログは捨てれば済むとしても) 四つ折りの歌詞カードは取っておきたいところだが、その収納場所に困った。というのも三つ折りケースの右側が袋状になってはいるもののギリギリ入らないのである。仕方なく余白部分を切った。もう少し考えて作れ! また最後に収められた "Senhora Da Lapa (1997)" は先述の98年版との違いがまるで判らない。録音時期が1年2ヶ月ほど隔たっていながらトラックタイムもほとんど同じだから、わざわざ収録した意義は全く不明。時間稼ぎと受け取られても仕方ないのではないか?)
 そうなると当然ながら次作に対して大いなる期待(ポルトガル語圏2人目の満点?)をかけたいところではあったが、上述の "Luz Destino"(M039A)はあいにく5/16が "Fado ...." というタイトル、つまり私の好みからは遠い方の歌い方をしていると考えざるを得ないし、それ以外の音楽も試聴した限りにおいて耳を惹かれることは一切なかった。これでは購入対象から外すしかない。また2006年に発売された "Nome de Mar" もファド中心のアルバムのようだから手を出すつもりはない。(そもそも大手通販では扱っていない。)教会の聖歌隊メンバーからファド歌手へ転向したという経歴を持つ人ゆえ、本来の道に戻ったとはいえるのだろうが、あるサイトで試聴したところ(ただし冒頭から5曲のみ可能)当盤とは似ても似つかぬ没個性的歌唱と私には聞こえた。凡庸な(その他大勢の)歌手の仲間入りをしているようにも思われたのは何としても残念である。

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