マリア・ベターニア(Maria Bethânia)

Personalidade(わたしのバイーア)
1987
PHILIPS (PolyGram) 32PD-404(832 212-2)

 竹村淳の「ラテン音楽パラダイス」を読むまでカエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)の妹ということを知らなかった。(とはいえ、兄の方もどういうミュージシャンなのかはサッパリなのだが・・・・)ガル・コスタとは親友同士のようで、最終トラック(16)"Sonho meu" で2人の共演を聴くことができる。ところで、日本語解説を執筆した中原仁は両者をこのように比較していた。

 ポピュラリティにおいてはナンバー・ワンのガル・コスタで
 さえ、ひとりの歌手としての重みではベターニアには一歩譲る。
 マリア・ベターニアこそ、真にブラジルの歌の女王と呼べる
 神聖な女(ひと)だ。

何でも「ブラジルの音楽シーンや周囲の音楽家たちに与えられる影響力、音楽関係者やオーディエンスから寄せられる尊敬の厚さといった本質的な部分においてベターニアと肩を並べることのできる歌手はいない」ということだが、正直なところ彼の評価は理解できない。冒頭で述べたように私がブラジル音楽について盆暗であるせいもあるだろう。しかしながら、中原が挙げた「本質的な部分」にしても結局は傍流に過ぎないのではないかという疑問は拭えない。やはりディスクを聴いてどれほどのインパクトを受けたかが全てなのだ。
 この人はコスタ以上にしゃがれ声である。加えてしばらく聴くまで女声と判らないほど低くて太い。私はこういった中性的な声がどうも苦手だ。(他にはセリア・クルーズなど。)けれども、その意識を追い払ってしまいさえすれば当盤で聴けるベターニアの歌唱が深みを備えていると判るまでにさして時間は要しない。アコースティック楽器主体の伴奏も常に落ち着きがある。収録曲の多くは正統的ポップスとして分類できるのだろうが、いずれも格調が高い。そして時に凄味が漂ってくる。ただしパッと聴きで感動できるような音楽ではないから、クラシックではシベリウスの後期交響曲(3番以降)、あるいはエルガーなど英国の近代作曲家の音楽に相当するのかもしれない。(そうなるとコスタはシベの1番や2番、またはチャイコフスキーに喩えられようか。)いかにも玄人好みだが取っ付きにくさが玉に瑕ともいえる。また、コスタの "GAL" のようなメリハリが感じられないし、聴き進むにつれて引き込まれていくということがなかったのも不満といえば不満だ。しかしながら、よく考えたら当盤はフィリップス・レーベル時代(1971〜85年)の音源を集めたベストアルバムであるから、それは最初から無理な要求であった。やはり真価はオリジナル盤を聴いて推し量るより他にないということだろう。今のところ特にそのつもりはないが。
 なお、先に触れたラストの "Sonho meu" はサンバであるが、このトラックのみベターニアの重い声と軽いリズムが(コスタの参加で多少は緩和されていたものの)噛み合っていないようで感心できなかった。それを減点対象(─1)として84点とする。

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