テレーザ・サルゲイロ(Teresa Salgueiro)

Silence, Night & Dreams(サイレンス、ナイト&ドリームス)
2007
EMI Classics 0946 3939992 5(TOCP-70304)
(ただしiTunes Storeでのダウンロード購入)

 最重要チェック項目であるはずのサルゲイロ関係の新譜にもかかわらず、CDジャーナル2007年10月号の「今月の推薦盤」欄(Contemporaryコーナー)に当盤評が掲載されるまで完全にノーマークだった。(ちなみに私は "Você e Eu" のレビューが同誌にいつ出るか出るかとジリジリしていたのだが、とうとう載らずじまい。実にケシカラン!)執筆者は「音楽評論家」でなく「音楽ライター」、時に「音楽ジャーナリスト」を名乗っていると思しき片桐卓也だが、既にこの時点でヤバい。案の定、大チョンボをやらかしている。その批評の途中から。

 今回リリースされる新作は、ふたりのヴォーカリストをフィーチャーした
 一種の現代的オラトリオと呼べる作品だ。そのヴォーカリストとはアディ
 エマス(ポルトガル)のテレーザと・・・・・(以下略)

これを読んで発作的にページを引き裂いたろか(同時にこんなアホライターに書かせているCDJの定期購読も止めたろか)と思った。いくら「内省的な思いをもたらす魅力的な作品である」などと尤もらしい言葉を並べていてもこれでは説得力ゼロである。だが話はそれで終わらない。「アディエマスのテレーザ・サルゲイロ」という超噴飯物の記載は各種通販サイトでも散見され、その中には「文責:CDジャーナル」と記しているページもあった(これで購読中止確率はさらに上昇)。とはいえ、ここまでなら執筆者や何も考えずに掲載した者どもの無知を笑っていれば済む話である。しかし、しかしである。このデタラメ情報が発売元のEMI Music Japanの商品情報ページに出ていると知った時は、さすがの私も怒りを抑えることができなかった。自分とこのミュージシャンの所属すら把握しとらんのか! 当然ながら同社こそが悪の元凶であると判断せざるを得ない。ま、東芝EMI時代からダメッぷりをこれでもかと曝し続けていたレーベルのこと、社名を変えたところでどうにかなるものではないのだが・・・・
 ここ数年のH(男女とも)によるマドレデウスおよびサルゲイロ関係のCD解説があまりにお粗末だったため、私は国内盤に手を出す気など更々なかった。(一方、横浜のKさんはネット通販経由で国内盤を買われたようだが、ライナーにてマドレデウスが「ポルトガルを代表するファド・バンド」と扱われていることに立腹されていた。「こんな基本的な間違い、なんで誰も事前に指摘しないんだ? なんでチェックしないんだ?」とのコメント付きで。全く同感である。どうやら余程のグータラ社員を精鋭していると見える。ついでながら前島秀国という執筆者名は初めて目にしたが、「サウンド&ヴィジュアル・ライター」なる妙ちきりんな肩書きを好んで使っているような「何でも屋さん」には何も期待できないということかもしれん。)それで海外盤の購入を検討していたところ、iTunes Music Storeでは僅か1200円(国内盤定価の半額以下)であると知った。曲目解説や歌詞などが手に入らないのは少々痛いとは思ったけれど、何せイラチな性分ゆえ試聴してからカートに入れてダウンロードするまでに大して時間はかからなかった。
 さて、先のCDJ評では作曲者のズビグニェフ・プレイスネル(Zbigniew Preisner)について「故キェシロフスキ監督の映画『トリコロール』シリーズ(特に『青の愛』、93年)の音楽が強いインパクトを与えたポーランド出身の作曲家」と紹介している。同様の記述はHMVレビューにも出ており、うち国内盤の販売ページでは「世界的な存在となった作曲家」とまで持ち上げられていた。(ただし、そこに「アディエマスの」とあるのは何としてもいただけない。)私が映画にはとんと興味のない人間であるせいか、過去一度も耳にしたことの名前であったが・・・・それはさておき、ポーランドといえばカトリック教徒の多い国(ja.wikipedia.orgによると人口比で約95%)として知られている。それゆえ、サルゲイロが何語で歌っているのかイマイチ自信が持てなかった私だが、おそらくはカトリックの宗教音楽で伝統的に用いられてきたラテン語ではないかと考えた。そこで「マドレデウス掲示板」で問い合わせたところ、Kさんから「ラテン語のようです」というタイトルで「聖書からそのまんまみたいですね」とのレスを頂いたから合っていると思う。(ただ改めてCDJのレビューを見ると、「旧約聖書の『ヨブ記』を中心に、前ローマ教皇 (ポーランド出身) のヨハネ・パウロ2世、ポーランドの詩人ヘルベルトの言葉などをちりばめた」とあるから、もしかすると後の2つはポーランド語かもしれない。全く覚えのない私には判別不可能だが。なお、第2曲 "Silence, night and dreams" と第6曲 "Be faithful, go" でボーイ・ソプラノのトマス・カリーが歌っているのは英語である。)何にしても当盤を「ポルトガル語圏の音楽」に入れる訳にはいかない。ということで、同一歌手のディスク評が分裂してしまうという恐るべき事態(←大袈裟やな)が遂に生じることとなった。(ここから余談:ポーランドの現代作曲家といえば、ヘンリク・ミコワイ・グレツキ (Henryk Mikołaj Górecki) が最もよく知られているだろうか。静謐さと厳かさに満ちた名作をいくつも残しているが、やはり代表作は交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」ということになろう。とりわけソプラノの独唱パートが絶品であり、一過性ブームで終わらせるにはあまりに勿体ない秀作である。私は世界的大ヒットとなった (日本でもそこそこ売れた) デイヴィッド・ジンマン&ロンドン・シンフォニエッタ盤におけるドーン・アップショウの名唱にすっかり魅了されたが、サルゲイロならそれをも凌駕できると昔も今も信じて疑わない。)
 さてさて、これまで私は(存命中のという意味で)現代作曲家の書いた宗教音楽が気に入ったことはほとんどなかった。ロイド・ウェバーの「レクイエム」然り、ジャック・ルーシエの「ルミエール(21世紀のバロックミサ)」然り、ジョン・キャメロンの「ケルトのミサ」然り。それでも最初に挙げたのは出来が良い方だとは思うが、単独で収録されることもある第7曲「ピエ・イエス」は同一旋律の繰り返しばっかりで全く魅力に欠けるため、フォーレのパクリを通り越して大劣化コピーではないかと言いたくなる。技量の劣るボーイソプラノをわざわざ併用した意図も不可解だ。(元妻サラ・ブライトマンの歌唱は悪くないのだが・・・・今のところ唯一の全曲盤らしきマゼール&イギリス室内管弦楽団によるCDが海外アマゾンの中古市場で叩き売り状態なのも故なきことではなかろう。)アリエル・ラミレスの「ミサ・クリオージャ」は数少ない例外だが、これは私が日頃から抱いている南米への愛着ゆえに他ならない。(ケーナやチャランゴといった民族楽器を積極的に採り入れた調べが耳に快い。)ポール・マッカートニーも何か書いているらしいが、聴いてみたいという気はまるで起こらない。しかしながら、既に試聴の段階で予想していた通り当盤の印象は非常に良かった。
 1曲目 "Perchance" の10秒過ぎから「アーアーアー」と歌っているのがサルゲイロである。だんだん大きくなっても全くつかみ所のない歌唱だが、茫洋とした曲調とはピッタリ合っている。なお、一部通販サイトには女性歌手が大部分のトラック(7/9)に関与しているかのごとく記されているが、トラック148はこのような器楽的効果を期待しての起用である。よって真っ当な詞を歌っている同3567のみについて触れることにしたい。またボーイ・ソプラノのカリーが活躍するトラック(2と8)は、彼の所属しているリベラという団体について何も知らないし特に興味もないから飛ばした方が無難だろう。
 第3曲 "To speak" は冒頭からシンセの合成音声が流れるが、0分54秒で入ってくるピアノはなかなかに効果的である。(後半に出てくるハープやチェロも同様。とにかく電気楽器とアコースティック楽器の絡ませ方が上手い。)1分8秒でいよいよ千両役者が登場。今世紀に入ってリリースされたマドレデウス名義の、およびソロアルバムから感じていたことだが、サルゲイロの声は随分と丸くなった。間違ってもそれを衰えとか経年劣化などと考えてはいけない。喉を酷使さえしなければ歌手は少なくとも50代まで(うまくいけば70歳近くまで)は一線級としての実力を維持できるものだから。(マリア・カラスのように40代早々にピークを過ぎてしまうようなケースの方がむしろ特殊である。)少しばかり声域が下がり鋭さも減じたのは確かだろう。それゆえ今の彼女にとって "O Espírito da Paz" の収録曲を(とくに原調で)歌うのは辛く、聴き手にも(厳しさが際立つ音楽を柔らかい声で歌うという)ミスマッチ感を与えてしまう可能性はある。だが、角が取れた分だけ耳当たりが優しくなり、奥行きや豊潤さも加わった。要はそういう声質に適合する曲さえ選べば何ら問題なしということである。その点、当盤の(悪く言えば平板ながら)終始安定感があり、そして慈しみに溢れた音楽はまさに理想的といえるのではないだろうか。(これに対し、先に出た "Você e Eu" は微妙である。もっとも、あれは器楽編成の選択時点でクエスチョンだが。また現在活動休止中のマドレデウスにしても、ソリスタの持ち味を最大限に発揮できるような新スタイルの確立に連日連夜取り組んでいるものと勝手に想像している。)
 トラックタイム12分14秒と当盤中で最も長い第5曲 "To find" での歌唱が2分過ぎにさしかかった頃である。音の一つ一つ、歌詞の一語一語がジワッと心に染み込んでくるような気がした。先述したグレツキの3番がまさにそうだった。それゆえ、彼女を起用すればジンマン盤以上の大成功は間違いなしと思えるのだが・・・・どっかのレーベル(もちろんEMI以外)の担当者には是非ともレコーディングの検討をお願いしたい。(この際ついでだが、私が「マドレデウス掲示板」のデビュー直後に挙げたマーラーの第4交響曲の終楽章もまだまだ十分こなせるはずである。ヴィラ・ロボスの「ブラジル・バッハ第5番」にはちょっと遅いかもしれないが。)合唱が加わってくるところ(10分8秒〜)で堰を切ってドドッと押し寄せてくる洪水のような感動に圧し潰されそうになる。
 ・・・・と思っていたが、次曲 "To know" ではさらに深い感銘を受けた。(やはりグレツキの声楽曲の何かと雰囲気がとてもよく似ている。)これはコンサートホールより大聖堂で演奏される方が相応しいというべき厳粛な音楽である。そういえば、この曲に限らずエコーは「ええ塩梅」(多すぎず少なすぎず)でたいへん好ましい。「もう終わり?」と言いたくなるほど短い(4分39秒)のが惜しい。
 7曲目 "To die" については、これまで触れたトラック356の印象に特に付け加えることはない。実のところ、ここまでのトラックはどれもテンポが遅く、起伏もさほど大きくない。惑星探査機が宇宙空間を漂うシーンのBGMとして使えそうなものばかりである。時に予想外のメロディラインに耳を奪われることはあっても、現代作品特有の無調や不協和音は全くといっていいほど使われていない。それゆえ聴きやすいのは事実だが、メリハリのなさに不満を覚える人も少なくないだろう。何を隠そう、私は家で2度目に通しで聴いた時 ─自室の寝床の中ではあったが─ 不覚にも眠りこけてしまった。が、サルゲイロの優れた歌唱を堪能する妨げには決してならないというメリットの方が上回っているのは明らかである。当盤の鑑賞には十分な睡眠を取った上で臨むべきだろう(自戒)。
 残念なのがラス前の "Be faithful, go" である。冒頭から1分20秒ほどピアノがソロを奏でた後に全休止、そして合唱で一気に盛り上がるという構成が見事。5分少し前から30秒ほど続く "Don't be afraid" の反復は当盤で唯一曲調が激しくなる箇所で、あるいはレクイエムの "Dies irae"(怒りの日)に相当するのだろうか? やがて静けさが戻り、終盤で同じフレーズが長調で歌われる。とにかく隙がない。音楽自体の完成度は当盤随一ではないか。ところがサルゲイロの貢献といえば例の「アーアーアー」だけなのだ! 後半にはちゃんと歌ってくれると期待していたのに結局すっぽかされてしまった(ボーイ・ソプラノの英語歌唱のみ)。また、このトラックの出だし、および最初と最後のトラックで聴かれるパチパチ音はおそらく焚火をイメージしているのだろうが、アナログ盤のトラッキングノイズをも思わせるため少々耳に煩わしい。傑作ゆえの90点からこれらを理由に2点ずつ減じ、86点を付けておく。

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