ラウラ・パウジーニ(Laura Pausini)

Las Cosas Que Vives
1996
Werner Latina 15726-2

Le Cose Che Vivi
1996
CGD east west 0630 15555 2

 例のH氏が南米を再訪する直前のことである。何か土産に買ってきて欲しい物はないかと尋ねられたので私はLizza BogadoとQuemil Yambay(共にパラグアイのミュージシャン)のディスク(なければテープ)を所望したが、ついでに中米在住経験のある元知人(当時後輩)からのリクエストとして彼に伝えたのがこの女性歌手のデビュー盤 "Laura Pausini"(1993)だった。イタリア人ながら西語によるアルバムもリリースし、ラテンアメリカ諸国での人気は結構高かったとのことである。
 たぶんその翌年(ならば1999年)になると思うが、都合15年住んだ名古屋から郷里に戻った私は職場の生協で手に入らないラテンのCDをネット通販から買うようになっていた。まだ「犬」や「塔」などの大手が進出する前で確か店の名はBで始まっていたような・・・・と思いつつ捜してみたが、どうやら今世紀に入って間もなく閉店された模様である。そのサイトで大絶賛されていたうちの1人がこの歌手だったため、試しに1枚聴いてみようという気になった。収録曲目は同じで使用言語のみが異なる上記の2枚とも扱っていたが、とりあえずは理解しやすいであろうと思われる西語版を注文した。(ちなみに、その店では当初「ローラ・パウジーニ」と表記していたが、これは家畜語読みなので当然ながら論外である。あるいは当時の音楽メディアが採用していたのを単に踏襲していただけかもしれないが、私がそのように指摘したところ店主は速やかに訂正してくれた。ここでネットで調べてみたところ、デビュー盤の日本語タイトルが他ならぬ「ローラ・パウジーニ」だったと判明。さらに国内盤の発売に関わった片山伸という人のサイトwww.italianmusic.jpにて「当時イーストウェスト・ジャパンのディレクターが『片山さん、ラウラでは日本で馴染みがないから、英語読みのローラにしましょう!』ということで、"ローラ・パウジーニ"という名前で発売されてしまったのです。今の私であれば、『冗談じゃない!』と断固として阻止したでしょうが、当時は『そんなものか。』と妙に納得してしまったことが悔やまれます。」という記述を見つけた。ホンマ冗談やないで! ちなみに「犬」通販では「ローラ」ないし「ロウラ」がまだ一部に残っている。早よ直せ! 一方、先の元知人が西語風に「ラウラ・パウシーニ」と発音していたのも五月蝿いことを言えば却下の対象とならざるを得ないだろう。何にしても言語道断級の「テレーザ・セルゲイロ」や「ドルチェ・ポンテス」などと較べたらはるかにマシだが。)そして今年(2007年)になるが、たまに寄る大規模リサイクルショップにてバカ安(380円だったような)で売られていた伊語版の中古も確保した。
 繰り返しになるけれど、2種のディスクは歌詞を除いて全く同じといって差し支えない。伴奏も合唱も。さらに全12トラックの演奏時間やブックレットの体裁までも。(フォントのスタイルとサイズは少し違うか。)使われている画像についても然りだが、このうちディスクを外して初めて目にすることのできる顔写真はフリッツ・フォン・エリックばりのアイアンクローを仕掛けようとしているかのようで何とも茶目っ気がある。非常にユニークなのはもちろんだが、肝心の中身についても元気が出てくるような音楽が聴けるのではないかとの期待を抱かせる。果たしてそれは裏切られなかった。まずは先に入手した方(Las Cosas Que Vives)から、初めて聴いた時の印象を思い起こしつつ評を書いてみるこよにしよう。
 トラック1がタイトル曲である。歌の出だしからしばらくヘ長調による「ドドドーレーレードー」というシンプルな音型を繰り返す。声はややハスキーであり(セサミ・ストリートのGinaを彷彿させる)、敢えて分類するなら「美声系」に入れても誤りではないとは思うが、決して「天使の」「天上の」などと称せられるほどではない。この時点ではまだ「耳当たりの良い音楽」レベルである。ところがところが、同じリズムを保ちながらもメロディは次第に複雑の度合いを増していく。途中で変ニ長調に移ってヘ長調に戻るが、転調の度に歌が熱を帯びてくる。そして私もいつしか気分が高揚してくる。(なお、フレーズの終わりで声が消える前に次の歌唱の冒頭部が被さってくるのは、その後の二重唱ともども効果的だとは思うが、多重録音を使わずには不可能である。実演ではどのように処理しているのか少し気になる。)1分04秒で「レレレレレーシーレードー」という音型が初めて登場する(ただしイントロでは既出)。今度はそれを反復し、そして発展させる。要はシンプルなメロディを題材に少しずつ盛り上げていくという「ボレロ技法」なのだが、それがラヴェルに負けず劣らず洗練されている。1分29秒で二度上方に移行して(ト長調に変わって)間もなく曲は最高潮に達する。文句なしに魅了された。何と素晴らしい音楽、そして歌唱であろうか! ここで並々ならぬ実力者と確信した。残り1分半というところでメロディをバックソーラスに委ね、パウジーニは "Oh〜 no〜" のような合いの手を入れたりもするが、その朗々とした歌声もまた素晴らしい。(1つの段落で同じ形容詞を2度も使いたくはないのだが、それに代わる言葉が見つからなかった。)これほどまでに「天真爛漫」という形容がピッタリ来る歌手を私は他に知らない。
 2曲目 "Escucha tu corazón" は短調によるテンポの速い曲で前とは雰囲気がガラッと変わるが、やはり静かな立ち上がりの後は(少しだが)激しくなる。これもサビでコーラスが加わってピークを迎えるまでの展開が見事だ。次の "Inolvidable" も抑え気味の開始ゆえ、ここいらで落ち着いたバラードを聴かせてくれるのかと思わせて実は・・・・ニ長調による1巡目と移行部の途中までは実際それを堪能できるのだが、ヘ長調(1分39秒〜2分21秒)を経て、ト長調に変わった直後から一気に燃え上がる。その2度目の転調時における「大野〜」の絶叫にやられた。同じ手を2度も喰らうとは。だが、それほどにも圧倒的なのである、この人の高音部は。ハスキーでありながら力強さをも兼ね備えているからであるが、この点でパウジーニを上回る歌手を私は知らない。超一流の実力の持ち主であると知るにはこれで十分だろう。なので以下はすっ飛ばすことにするが、ラスト(トラック12)の "El mundo que soñé" も転調多用による大熱唱となっており、当盤では先述の "Las cosas que vives" および "Inolvidable" とともに三大名曲の一つに数えられるべきと思う。
 先にも少し触れたが音楽の展開の巧さに舌を巻かない訳にはいかない。楽曲を提供した数名(姓から判断するに全て伊太利亜人と思われ)も相当な実力派揃いであるのは疑いのないところ。当盤における曲調の幅は相当に広いと思われるが、歌手はそれらの全てを完璧に歌いこなしている。加えて緩急や長調/短調を考慮した上でトラックを配していることも貢献し、再生中に集中力が途切れることがない。もし駄曲や梵鐘、いや凡唱でも混じっていれば躊躇なく減点対象とするのだが・・・・ディスクの後半には軽すぎると感じたり打楽器のリズムが耳に付くなどして当初は自分の好みから遠いと聞こえた曲も複数あるにはあったけれど、それらにしても終盤で合唱が登場すると決まって心動かされ、そして隙のない構成に感嘆させられたから、とても平凡なポップスどころではない。ここで採点の前にいったん伊語版 "Le Cose Che Vivi" との比較に移る。
 私はかつて(99/11/15)横浜のKさんが主催する「マドレデウス掲示板」に以下のような書き込みをしたことがある。当盤に言及しているのはいうまでもない。

 既にお判りのように僕は彼女のCDは西語版しか聴いたことがありません。
 西語は語尾にやたらとsが付くので(例:Le cose che vivi→Las cosas
 que vives)、オリジナルが伊語の曲には収まりきらないところがあって、
 響きは美しくないのでしょうが、何といってもこちらの方が意味が取れま
 すから・・・・・

まだ伊語版は入手していなかったが、おそらく西語版におけるタイトル曲のサビの歌詞 "en las cosas que vives yo también viviré" が "in le cose che vivi io anche vivrò" となっているだろうから、その方がメロディに上手くはまっているに違いないと思い込んでいたのだ。実際には "tra le cose che vivi io per sempre vivrò" で少し違っていたけれど。とはいえ、動詞の二人称単数形が“i”で終わり名詞語尾の母音の変化(“o”→“i”、“a”→“e”、“e”→“i”など)によって複数形を作る伊語とは異なり、西語ではそれら活用形の語尾に必ず“s”が付くから、音節数に違いはなくとも(註)字余り感がどうしても付きまとってしまうことになる。(註:例えば上のフレーズは共に13音節である。ただし伊語では「生きる」の未来形が2音節の"vivrò" であるのに対し、西語の "viviré" は3音節であるから、その直前で "per sempre" (いつも) と同義語の "por siempre" の代わりに "también" (やはり) を充てることで調節している。つまり意味が少々変わっても韻律を優先しているという訳だ。)基本的に閉音節を持たない日本人の宿命として“s”を無意識の内に「ス」という有声音として認識してしまっているためである。が、それ以前に "en las cosas que vives" のようなSの連続攻撃は耳障りである。(もちろん最初から西語で歌うことを前提に書かれた曲ならそのように感じることは決してなかったはずである。この際ついでに伊語の方が逆に音節数を多く要するケースにも触れておく。例えば次作のタイトルは "La Mia Risposta" と "Mi Respuesta" 、つまり5対4である。このような場合でも後付けの西語歌詞に皺寄せが出ることは想像に難くない。それはともかく、所有形容詞の前にわざわざ定冠詞を付けるというルールが私はどうにも馴染めない。)
 これだけ執拗な前置きを置いたので既にお察しのことと思うが、伊語歌唱の方がはるかにスッキリしており聴きやすかった。加えて全てが開音節であるためパウジーニの伸びやかな声を妨げるものは何もない。
 最後にいよいよ採点である。既に述べた通り極めて高水準の仕上がりを示しているのは間違いないものの、過去に「その他の地域の音楽」で紹介した中で(時に涙を飲みつつも)98〜99点に留めたアルバム数点を後に従えるほどではないと思われたのも事実。やはり非の打ち所がないというだけでは満点を得るには不十分、某かのプラスアルファが欲しい。ということで "Le Cose Che Vivi" を98点、"Las Cosas Que Vives" を95点としておく。

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