ミルバ(Milva)

ベスト(Milva Best Album)
1998
King Record KICP 645

 もう10年以上前のはずだが、来日中のこのイタリア人歌手が「題名のない音楽会」(黛敏郎時代)にゲスト出演しているのを観たことがある。というより、その時初めて知った。最初は濁声を通り越して悪声の域に踏み入れているとしか感じなかった私だが、フレーズの一つ一つが心にズシリと響いてくるような歌唱に次第に圧倒されていった。(それ以前に風貌からも桁外れの存在感が漂っていた。それは当盤ジャケットでも同様だが、何かの野生動物の毛皮を肩に掛けている写真は今なら愛護団体から抗議を受けるかもしれない。)なので、このベスト盤が出た時には速攻で買った。
 冒頭収録の "La mia età"(偽らざる人生)の出だしから迫力満点である。解説によると、軍事政権に抗議して追放されたギリシャの作曲家、テオドラキスがローマでの静養中に書いたイタリア語歌曲の内でも最も優れた曲の一つということだ。作曲者の名は通販サイトのクラシック関係のページで目にしたことがある。管弦楽曲がブルックナーの交響曲のCD(2枚組)のカップリングに採用されていたはずだが、こんなにいい歌を残しているとは知らなかった。元のアルバム(79年のテオドラキス作品集)も機会があれば聴いてみたい。それはともかく、別段変わった歌い方をしている訳でもないのに凄味がビンビンに伝わってくる。やはり途方もない存在としか言いようがない。
 1曲飛ばしてトラック3の "Alexander Platz"(アレクサンダー広場)もタイトルはドイツ語ながら伊語曲である。後に私にとって馴染みのある場所となった。というのも2004年3月にベルリンに業務出張した際に約1週間泊まったホテルが同広場に面していたからだ。旧東市街区域だったためか、どことなく寂れていたように感じたことをよく憶えている。私のことは措くとして、ライナーに「東西ベルリンを壁が遮っていた時代の寒々とした風景が目に浮かぶような歌」とある通り、とにかく悲痛なる雰囲気が曲全体を支配しているのだが、ここでミルバは当事者(東西に引き裂かれた市民)であるかのように切々と歌い上げている。とくに "Alexander Platz, Auf wiedersehen"(ここだけ独語)の絶叫が心に突き刺さってくるのに参った。インパクトこそやや減じているものの、続く "Marinero"(マリネロ)もなかなかの佳曲だ。ここまで4曲連続で短調曲。
 だが明るい長調の曲を歌ってもこの人は素晴らしい。その最たるものが6曲目 "Wenn der Wind sich dreht"(風の舞う街)である。勇壮なメロディに乗った力強い歌唱はいつ聴いても元気が出る。オリジナルはトニー・ケイリー(誰?)作詞作曲による英語曲らしいが、あたかも最初から独語曲であるかのような完成度の高さを示している。(既に他所に書いたと思うが、ロックンロールには前掛かりの独語の方が向いていると私が考えているためかもしれない。)よって、これを「ベスト・オブ・ベスト」に挙げたい。(ふと「風」つながりで思い出したが、スコーピオンズの "Wind of change" と同じハ長調だし、曲調もどことなく似ている。あっちは英語歌詞だったが・・・・)
 トラック7の "Aranjuez"(恋のアランフェス)は作戦が完全に裏目に出た。最初の1フレーズは低く歌うが、次は1オクターヴ上げる。ここまでは悪くない。ところが途中で戻ってしまう。と思わせてまた上げる。展開部も上げ下げの連続。これが結局は感興を削ぐというマイナス効果しか発揮していない。これでは折角の思い入れタップリの歌唱も台無しだ。低いまま、あるいは高いままで歌えないことによる緊急避難措置かもしれないが、それにしてもあんまりだ。もっと慎重に調の選定を行うべきではなかったか。次の "Caruso"(ブックレットには「カルーソー」とあるが、濁る方の「カルーゾー」をぼくはとる)でもサビからのオクターヴ上げがいかにも唐突だし、それ以上に崩しすぎなのがいただけない。こんなにも感情を込めるべき曲ではないと思う。
 が、続く "Balada de mi muerte"(ブエノスアイレスで私は死のう)および "Oblivion"(忘却)というピアソラ作品で持ち直す。前者は伊語、後者は仏語歌詞だが、ともに文句ない出来映え。自家薬籠中のもの(ともに「タンゴの破壊者」がミルバのために書いた歌曲)だから当然なのだが。ところで、かなり前にNHK教育テレビ「芸術劇場」で観たインタビューにて、長いことピアソラ唯一のオペラ(タンゴ・オペリータ)である「ブエノスアイレスのマリア」主役を演じることに自信が持てなかったが、ようやくその気になったと歌手は語っていた。そして世紀が変わった2002年、ついにレパートリーに加えることになった。私は初演(1968年)直後に録音された2枚組CDを持ってはいるのだが、彼女の歌うマリアも是非聴いてみたい(レコーディングはまだの模様)。11曲目 "Tango notturno"(夜のタンゴ)は別人作による独語曲(コンチネンタル・タンゴ)だが、ここでも隙のない名唱を聴かせてくれている。
 少し端折るとして、以降で印象に残ったのはトラック14曲の "Surabaya Jonny"(スラバヤ・ジョニー)で、ワイル作の音楽劇「ハッピーエンド」の挿入曲である。導入部の終わりで暴走気味に喚き散らし(註1)、直後の "Surabaya-Jonny, warum bis du so roh?"(註2)からは一転して濃厚に情感を歌い上げる。その切り替えが実に大胆、そして見事である(註1,同作品中の "Bilbao song" でも聞かれたパターン;註2,サビ出だしの「ミーソラーラー」という音型は「三文オペラ」の "Die moritat von Mackie Messer" と一緒)。ワイルといえばウテ・レンパーによる名唱の数々が忘れがたいが、それらとも全く甲乙付けがたい。
 このように出来映えには少々ムラのあるアルバムと私は聴いたものの、玉石混合の「玉」の方が例外なく超弩級の傑作であるから90点以下を付けることはできない。

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