波多野睦美(Mutsumi Hatano)

アルフォンシーナと海(Alfonsina y el Mar)
2003
Werner Classics WPCS-11475

 この女性歌手を知ったのはタブラトゥーラ(TABLATURA)という古楽器アンサンブルのアルバム「蟹 Kani」(2000年)によってである。(この団体は弦楽器奏者つのだたかしを主宰者として1984年に結成されたということである。余談ながら漫画家つのだじろうの弟であり作曲家兼歌手つのだ☆ひろの兄である。)彼女は中世(14および16世紀)のヨーロッパ(英仏西)歌曲の独唱者としてなかなかに魅力的な歌唱を聴かせてくれた。それゆえ名前はしっかりと記憶に刻み込まれたのだが、その3年後にリリースされた波多野&つのだ両名義による当盤には手を出さなかった。理由は「ただ何となく」であるが。また翌年のCDジャーナルの特集「2003年私の選ぶBest5」(同誌のレギュラー評者100人が選定)にて複数の執筆者が当盤を挙げていたため気になってもいたのだが。ようやく昨年(2007年)になってアマゾンから買った。15%引きだったこともあるが、少し前に入手したマリア・アナ・ボボーネの "Senhora da Lapa" から大いに感銘を受け、同様のシンプル伴奏によるシミジミ歌唱をもっと聴きたいと考えたことが直接の購入動機である。果たして期待通りだった。
 まずはタイトル曲 "Alfonsina y el mar" から。ギターによるイントロはメルセデス・ソーサによるオリジナル("Mujeres Argentinas" 収録)と同じ音型、つまり地味そのものというべき旋律である。やっぱこうでなくっちゃ!(タニア・リベルタッのベスト盤に収録されたカヴァーにおけるハープ独奏について一度は「上品そのもの」と褒めた私だが、今となってはあれも単なる技巧ひけらかしと思われてならない。まさか歌手の差し金だったのでは?)それが終わると2秒ほど間を置いて波多野が訥々と歌い出す。こちらも「こうでなくては!」(←宇野功芳口調で、って聞いたことないけど)と手を叩きたくなるが、以降もひたすら歌に語らせている。あくまで題材となったアルゼンチン人女性が主役であることをわきまえてこそ可能となる業である。ちなみに「尼損」のカスタマーレビューはことごとく(9/9)五つ星であるが、うち「独善的な色気を出さないところがいいところかなぁと思いました」には激しく同意である。あのペルー人(現メキシコ在住)歌手にも聞かせてやりたい台詞だ。また「波多野睦美さんは曲にあわせてさまざまな表現法をとっているというわけではないし、どちらかといえば意識して感情を露わにしないようにしているかのようだ」というコメントにも肯ける。当盤収録曲には全てそういうスタンスで臨むべきである。
 つのだの伴奏も歌手の引き立て役として非の打ち所がない。(リュートなのかギターなのかが判然としないトラックがいくつかあったが。とはいえ、これはクレジットに明記されていないため、というより弦楽器の音色の違いに疎い私の責任である。)自己主張を独奏曲に限定しているのが偉い。実のところ私は歌曲のアルバムに器楽曲が混じっていると損をした気になる場合がほとんどなのだが、当盤に限ってはそういうことはなかった。2曲目 "Muerte del ángel" はアストル・ピアソラの作品である。私はこの「タンゴの破壊者」による前衛的音楽には苛立たせられることの方が多く、それゆえ所持しているアルバムの大半が棚の肥やしとなっているのだが、ここでは前後に置かれたトラックが共にしんみり曲調ゆえ単調さを打破することに大いに貢献している。他のインストゥルメンタル曲(トラック6&9)もいい「箸休め」になっている。遅ればせながら当盤には5ヶ国語(西仏葡英および日)の歌曲を収めている。これではどうしようもないため「その他の地域の音楽」のページに加えることにした次第。
 私が特に気に入ったのは3曲目 "Oblivion" と次の "Canción del árbol del olvido"(いずれもタイトルに「忘却」の意を含んでいるのは偶然?)である。厳しさまでが伝わってくるような短調曲ゆえ、あるいはマドレデウスの "O Espírito da Paz" に入っていても違和感を覚えないかもしれない。なお波多野がプロ歌手として一流であるのは間違いないとしても、超絶的な声や技巧の持ち主とまではいえない。また高音で張り上げるところでは鼻に少しかかるため耳当たりが急に悪くなるし、さらに私の苦手な米良美一を思い出させるようになると思わず耳を塞ぎたくなってしまう。それならばいっそテレーザ・サルゲイロに歌ってもらったらどうだろう、と例によって想像をドンドン膨らませたくなる。そうなったらKさんの「悶絶度」はいかほどのものとなるだろう? もっとも彼女には(おそらく)経験の乏しい(あるいは全くない)仏語や西語の歌詞を正しい発音で歌ってもらう必要はあるが・・・・(以上で妄想終わり。)
 少し飛んで10曲目 "Les chemin de l'amour" はジェシー・ノーマンのベスト盤の最後を飾っていた堂々歌唱(あの体格に匹敵)も悪くなかったが、節度を保ち決して表現過多には陥らない波多野の歌を聴く内に「やっぱりこういう曲なんだな」と再認識させられた。ところで「蟹」のブックレットの歌手紹介に「透明でのびやかな声と深い音楽性で常に聴衆を魅了」との一文がある。曖昧極まる「音楽性」は措くとして、確かにそのような声質は彼女の長所であろう。が、それ以上に私は飾り気のない歌い方を美点として讃えたいのである。そして、それこそが当盤で成功を収めた最大の原因であると確信している。持ち上げたついでにここで採点してしまおう。第2基準点以上(90点)の上積み分はあまりないが、これといった減点対象も聞き出せないから、ひとまず89点としておく。(以下に1点引いた理由を記す。なおブックレットの収納場所がないのも不満ではあるが、強引ながらも解決 (裏表紙にベットリ糊を塗り紙ケースの右側に貼り付け) できたため点は引かない。)
 最後の2曲「小さな空」「三月のうた」は武満作品(ただし後者は谷川俊太郎の詞)である。これらはさすがにサルゲイロではどうにもならない(←分かっとる)、というより波多野は紛れもなく最適任者である。心に染み入るような名唱とはこういうのを指す。ただし終曲の締め括り方は当盤らしいといえばそうだが、あまりにもさりげなさすぎ(終わったのに気付かないほど)でちょっと物足りない(それゆえの−1)。ついでに贅沢を書いておくと、どうせなら武満の歌曲中でも飛び切りの佳曲「死んだ男の残したものは」(やはり谷川の作詞)を入れて欲しかった。大昔のこと(大学院生時代)であるが、私はこれを混声合唱団で活動していた後輩が貸してくれたCDで知った。(そのディスクでは他にユニークな「○と△のうた」も印象に残っている。)メロディも秀逸だが、それ以上に詞が凄い。「起承転結」の「転」に相当する部分(註)の効果は絶大である。それを私は独唱者と独奏のみによる伴奏という極限まで削ぎ落とした形でジックリ味わってみたいのである。(ただしアカペラはちょっとという気がする。)ちなみに松田美緒の新作 "Asas"(アザス)に入っているのも「小さな空」「めぐり逢い」の2曲で「死んだ男の〜」は採用を見送られているが、もしかすると一人で歌うにはちと長すぎ&重すぎる曲なのだろうか? そういえば以前NHK-FMで耳にした石川セリの独唱にしてもボサノヴァ風のアレンジを施していたっけ。

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