フィリッパ・ジョルダーノ(Filippa Giordano)

Filippa Giordano(フィリッパ・ジョルダーノ)
1999(国内盤発売は2000)
Erato/Sugar Music 3984-29694-2(Werner WPCS-10430)

 オペラのアリアを女性歌手がポップス風に歌ったアルバムが欧州でバカ売れし、 それが日本にも入ってきたというニュースは耳にしていたのだが、当初はまるで興味が湧かなかった。が、後にCDジャーナルの連載「素顔のままで」で傅信幸(オーディオ評論家)がえらく褒めていたので聴いてみようという気になった。その感想をKさんの「マドレデウス掲示板」に寄せていたので一部載せる。

 フィリッパ・ジョルダーノの同名アルバムを聴いた。最初のオペラ・アリアは耳に障る歌い方が耳について好きになれず。この媚びを売るような歌い方には憶えがあると思っていたが、解説書を読んで納得。フィリッパはマドンナに傾倒しているそうな。道理でイライラするはず。「また無駄な金を使ってしまった」と後悔した。
 ところが後半の英語によるオリジナル曲には圧倒されるばかり。本当に凄い。これだけ上手く歌える人はおそらく世界中を探しても何人もいまい。(マライア・キャリーがヘタに聞こえる。)これも「高みにある音楽」と言えよう。ただし、テレーザのひたすら内に向かうというか凝縮していく音楽とは異なり、外へ外へと拡散していく音楽のように感じた。

 前半部については「そうやなあ」である。7年以上経った今も印象は全く変わっていない。トラック2 "S'apre per te il mio cuor"(サン=サーンス「サムソンとデリラ」より「あなたの声に心が響く」)は元がそういうアリア(女が男に言い寄る)ではあるが、あまりのあざとさに腹が立ってくる。次の "Vissi d'arte"(プッチーニ「トスカ」より「歌に生き恋に生き」)は最後に奇声を張り上げるのがペケ。続く "Habanera"(ビゼー「カルメン」より「ハバネラ」)も変な合成音声の挿入で雰囲気ぶち壊しである。全くええとこなし。
 一方、後半部も改めて聴くと感心できない。ドゥルス・ポンテスの "Focus" 評に書いたようにモリコーネ作の "Lost boys calling" は音楽自体イマイチだが、サルトーリによる3曲はどれも名曲なのに歌手が良さを損なっているように聞こえてしまった。不自然な歌い方が全ての元凶である。アリア8曲を50点、モリコーネ作品を60点、サルトーリの3曲を70点とした。平均して56点。
 歌手経歴に「オペラ歌手の道を志したが、ある時、周囲の予想に反してポピュラー・シンガーに転向する」とある。音楽一家(両親が声楽家、兄と姉は器楽奏者)に育ったお陰で歌の技術を十分備えていることは認める。だが、「オペラは時代がかった脚本と古臭いイタリア語、オーケストラ・スコアに縛られて、今を生きる人間の感情が伝わらない」との理由で選んだのがこういうスタイルだったとは! この1発目こそ大当たりしたものの、柳の下に泥鰌はいなかった。次の "Il Rosso Amore"(ロッソ・アモーレ)はさほどヒットしなかったが、それはキワモノの宿命(飽きられる)として当然の結果である。昨年「イタリア語会話」(教育テレビ)にて来日を知ったが、まだやっていたとは意外だった。(とっくに消えたと思っていたから。)やり直すには遅すぎるのだろうか?

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