セレーナ(Selena)

Dreaming Of You
1995
EMI Latin 7243 8 34123 2 7

 久しぶりに(アナ・ガブリエル以来)メキシコ系の歌手を採り上げることになった。ただし、このセレーナはテハーノ(Tejano、米合衆国テキサス州に生まれて住むヒスパニック系住民のこと)であるが。ある元リアル知人が私の後輩となる直前に農業指導のため活動していたニカラグアの村でしょっちゅう耳にしていたそうである。それで名を初めて知ったという次第だが、その後しばらくして定期的に足を運んでいた名古屋市内の中古屋で当盤を見つけたので買った。なお、その知人が最も気に入っていたという "Amor prohibido"(トラック7)だが、数年前(たぶん2005年)に職場の実験室での調査中にパソコンで再生していたところ、ある院生が「これFMで聴いたことがありますよ」と語りかけてきたから、わが国でもそこそこ知名度はあるのかもしれない。(私が知らなかっただけ?)また、そのさらに数年前(たぶん1999年)には勤務地彦根市の外れにあるミシガン州立大学連合日本センター(Japan Center for Michigan Universities、略称JCMU)にステイしていたあちらの大学生との交流会を開いたことがあったが、私の運転する送迎の車の中でたまたまタイトル曲 "Dreaming of you" が流れたら、彼らの一人が「オー、セリーナ!」と反応したことから、米合衆国の北部でも同様だったとは考えられる。(なお私がこの家畜語風発音にカチンときたのは言うまでもない。いくら滋賀県が湖を縁にミシガン州と姉妹提携を結んでいるとはいえ。)
 ひとまず余談は中断するとして、実はこれはベスト盤であると同時に追悼盤である。というのも、1995年度(ただし日本式)の最後の日(先の元知人は中米在住中だったはず)にセレーナは殺されてしまったからである。何と23歳という若さで! 既にグラミー賞のラテン部門などで受賞を果たし、ラテンアメリカではスーパースターの座を揺るぎないものとしていた彼女だが、さらに世界進出を果たすべく全て英語によるアルバムを制作中のことだった。しかも自身のマネージャ(女性)の手にかけられたというのだから、さぞかし無念であったろう。(ちなみにジャケットの顔写真は、いかにも運命に弄ばれた薄幸なる女性に相応しいとでも言いたくなるほど陰鬱な表情を湛えている。当方が歌手の哀れな末路を知っているからそう思えるだけなのかもしれないが・・・・)ここまでamazon.co.jpの当盤ページのカスタマーレビュー(1件)も参考にしつつ書いてきたが、hmv.co.jp掲載の歌手紹介(英文)では、この悲惨な出来事についてさらに詳しく述べられている。このジャーマネ(Yolanda Saldívar)はセレーナのファンクラブの会長を兼ねると共にキャラクター商品を販売するブティックも経営していたのだが、彼女の着服を歌手の父が嗅ぎ付け、その動かぬ証拠を手に入れてしまった。数日後、とあるモーテルにて、もちろんその件が原因で激しい争いとなった際、警察を呼ぶため部屋から出ていこうとしたセレーナは背後から撃たれたのである。辛うじてロビーまで逃走し加害者の名を告げることはできたものの、彼女は搬送された病院にて絶命。あと17日で満24歳の誕生日だった。(もっと生々しい記載がwikipediaの英語版に出ている。会計書類の提出を求められたジャーマネは最初「メキシコでレイプされた」などと言い逃れを試みたが、セレーナに病院に連れて行かれ口から出任せと判明。そして上述のモーテルで再度不正を追求されたため、ついに犯行に及んだのである。なお西語版はこの辺りの経緯には触れていない。さらに日本版は「書類を受け取りに行った先で会長に銃で撃たれ出血多量により死亡」としか伝えていない。だいたい歌手名自体に「セレナ」などと車と間違われそうな表記を採用している時点でダメだ。といって私が直すのもめんどくさい。編集のやり方知らんし。ところで、en.wikipedia.orgにはSaldívarの顔写真付きページまで存在し、被害者のそれをも上回る字数を費やして事件について延々と語っている。思わず「そこまでやるかー」と言いたくなった。)
 閑話休題。ということで、当盤はレコーディングが完了していた英語曲(トラック1〜3、5および6)と過去作品からピックアップされた西語曲(計8トラック)のチャンポンという形で急遽(その年の7月18日に?)リリースされるに至った。ちなみに先のカスタマーレビューでは新曲の中でも "Dreaming of you" および冒頭収録の "I could fall in love" を二大名曲としていたが、私としても概ね同意である。(その前の「若き日のマドンナやグロリア・エステファンを彷彿とさせるヒットポテンシャルの高い仕上がり」というコメントにある歌手2名のうち、米合衆国人の方を常々から忌避しているゆえの「概ね」である。)ただし前者は英語圏のポップスとしては「中の上」、良くて「上の下」レベルに留まっているし、より出来の良い後者(音楽そのものは当盤中ダントツ)はなぜか間奏部の台詞のみ西語という「どっちつかず感」がいただけない。
 では残る西語曲はどうかといえば、これがさらに良くない。例の元後輩には申し訳ない気分だが、先の "Amor prohibido" はハッキリ言って駄曲である。大ヒットにより後にセレーナの代表曲として位置づけられることになったのかもしれないが、メロディは凡庸そのものだし、ただでさえチープな伴奏に効果音が安易に挿入されることで軽薄さに拍車を掛けている。それ以前に「ツンチャカ、ツンチャカ」のリズムがよろしくない。サルサやメレンゲなどの速い「チャカチャカ」よりも耳触りだ。(この種の音楽には「ブルックナーのページ」(クラシック音楽)中の「私の経験」で使った「粗悪なダンス用編曲」という表現こそがお似合いだと心底から思っている。)その二番煎じみたいな "Como la flor"(トラック11)の印象はさらに劣る。音楽的に何ら採るべき所のない "Techno cumbia"(同9)には何をかいわんや。民謡風の "El toro relajo"(同10)と "Tú sólo tú"(同12)は何とか聴けるものに仕上がっていたけれど、それらにしても時にあざとさが耳に付いて仕方がなかったし、ましてや生粋のメキシコ人であるガブリエルの絶唱の数々と比べれば雲と泥である。
 そういえば「犬」の紹介ページに "English was her first language" とあったが、ブックレット(英語)掲載のJohn Lannertなる人物による回想には "We were terrified because Selena didn't know Spanish that well" との一文が記されている。実際、新聞記者達を相手にトンチンカンな受け答えを繰り返していたらしい。そういうのを目にしてしまうと、とりあえず売り出すために西語で歌ってはいたものの、先祖の国への思い入れなど大して持ち合わせていなかったんじゃないか、という疑念まで浮かんでくる。よって「CDジャーナル」データベースのコメント「スペイン語曲のほうに,より表現力を感じる」は当然として却下。(ついでながら、家畜語スタイルによる歌手名表記を今も各種通販サイトが採用していると知り、私は脱力せざるを得なかった。)
 結局「ええところなし」みたいな記述に終始してしまった感があるが、決して下手な歌手ではないから60点はやれる。

おまけ
 やはり95年に発売された国内盤「眠れない夜」(TOCP-8670)の収録曲は順番も含めて完全に当盤と同じながら、ボーナストラックとして "Sukiyaki"(上を向いて歩こう」の西語カヴァー)が加えられている。iTunes Storeで試聴し愕然とした。これ以下はないと言いたくなるほど最低の編曲である。

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