キラパジュン(Quilapayún)

Antología 1968-1992
1998
Warner Music Chile 3984 25693-2

 先日ディスク評をアップしたMalena Muyalaを私は「マレーナ・ムヤーラ」と記したが、なるべくなら“y”音はヤ行で綴りたいと考えていることによる。一方、“ll”は基本的にリャ行を使うことにしている。両者の発音が異なるのはスペイン(それも一部地域)のみであり、中南米ではどちらも「ジャ」(ただしアルゼンチンでは「シャ」)に近い音になることは重々承知しているのだが、字面の全く異なるものを一緒くたにすることには抵抗があるからである。(それどころか 「“l”と“r”の方こそどっちでもええやんけ!」と逆ギレしたくなる。)また、濁音の「ジャ」では(語感が汚いとまでは言わないものの)耳当たりが強いため単語によっては不似合いではないかと思うこともある。例えば "estrella" が「エストレージャ」だとロマンティックな雰囲気がぶち壊しとなり、満天の星空を思い浮かべることも不可能となってしまう。それは私だけだろうか? しかしながら、Martín Portillo(パラグアイのアルパ奏者)には国内盤の表記に従い「ポルティージョ」を用いたし、ここで紹介する音楽集団についても既に「ジャ」式が一般化していると判断されるため、不本意ながら「キラパジュン」という日本語表記を採用することとした。(←結局「長いものには巻かれろ」かい。)
 さて、先日評をアップしたメルセデス・ソーサの "Homenaje a Violeta Parra" にゲスト参加していたのがこのチリの音楽集団である。「こんなマイナーなグループなんぞ・・・・」などと思いつつネット検索してみたら結構上がってきたし各種通販でも扱っていた。単に私が無知だったということである。チリといえば他ページで触れたArak Pachaのディスクが未だに入手できていない(ただし違法サイトで主要なものは聴いた)ため、その代用品として求めても悪くないと考えた。アマゾンのマーケットプレイスには安く(1000円以下で)購入できる品が複数あったけれども、彼らの代表作らしき "El pueblo unido jamás será vencido" が入っていないものは候補から外すこととし、結局はコストパフォーマンスの最も良い(=曲当たり単価が安い)このベスト盤にした。全32曲(2枚組に16曲ずつ)を概ね時系列に配置しているようだが、敢えて後年(1998年)の再録音を収録したと思しきトラックもある。ところで、団体名はMapuche語(マプチェ族=チリやアルゼンチンに住む先住民族の言語)で "Tres barbas" という意味らしい(某日本語サイトによると "quila" が「3」、"payun" が「ヒゲ」に相当)。1965年7月にサンチアゴの大学生3人により結成されたが、彼らがいずれも髭面だったことに由来している。以後は新メンバーを受け入れ続け最大7人組にまで膨らんだようだが、当盤裏紙の写真中でも5/6名が立派な口髭&顎髭を蓄えている。ただしブックレット掲載の方は必ずしもその限りではないから、あるいは1ヶ月近く剃らずにいてもみすぼらしい髭しか生えてこない私にも参加資格はあるのかもしれない。脱線終わり。
 ディスク1冒頭収録の "Plegaria a un labrador" はギター伴奏に乗せてオッサンが一人で寂しげな短調のメロディを歌っている。どことなくショボイし音程も怪しい。ようやく1分40秒から長調に転じると俄然聞き映えがする。明るい曲調だけでなく合唱の力強いサポートのお陰である。ソロがイマイチなのは相変わらずだが。次の "La carta" の独唱者は別人だが、彼にも首を傾げてしまった。コーラスもパワーは十分ながら、ジックリ耳を傾ければ揃いは決して良くないと判る。ここまでは同好会レベルという印象。(学生の延長だから当然?)さらに少し飛んで5曲目 "La muralla" では出だしのソロ(これまた別人)を聴いて不覚にも吹き出してしまった。とてもプロとは思えないほど下手である。「おいおい、こんな人がレコーディングに参加したらいかんやろ」とも言いたくなる。二重唱も不協和音が耳障り。多重唱になると責任分散により多少は緩和されるが。
 このように技術的には隣国ボリビアのロス・カルカスあたりと比べても明らかに劣っている。どうやら交替でソロを受け持っているようだが、歌唱力に秀でていると聴いた者は誰一人としていなかった。声楽アンサンブルにも甘さが露呈している。(ただし楽器の演奏力には特に問題なし。それは複数採用された純器楽曲を聴けば確認できよう。)ふと結成後間もないモセダーデス(とくに男性陣)の不甲斐なさを思い出した。サッカーの戦術に喩えてみれば(あるいはスズメバチ vs ニホンミツバチのバトルに準えてもいいが)、個人技で劣る分を組織力でも補い切れていないのである。そもそも曲自体がアマチュア的である。ところがところが、この音楽集団は(本来なら欠点で終わるべき)その荒削りであるという点を魅力に変えているのが素晴らしい。具体的に書けば、完成度と引き替えに(少々目を瞑ってでも)圧倒的な説得力を獲得しているということになるだろうか。
 その好例が先述した "El pueblo unido jamás será vencido"(トラック8)である。実はこの団体、同曲録音(1974)の前年9・11のクーデター時には演奏旅行でパリにいたため、自動的にフランスへの亡命決定というとんでもない目に遭っている。以後は軍事政権に対するプロテストソングとしてこの曲を歌い続けてきたらしい。(ようやくにして彼らが帰国できたのは1992年のことである。ちなみに、2枚目のラス前には同年に発表された追悼歌 "Allende" が収録されている。ただし当時の大統領への思い入れが強すぎるためか、私にはクドいと聞こえてしまったが・・・・)タイトルのフレーズを3度連呼した後に始まるユニゾンの合唱は何ともゴツゴツした響きだが、ジリジリと押し寄せてくる民衆のごとき凄まじい迫力が出ている。サビの頭で下降音型が現れるものの直ぐに上げる。これを繰り返すことにより、圧政にも決して負けぬという市民の強固な意志を表現しようとしたのだろうか?(実際この曲の邦題として一部に「不屈の民」が使われているようだ。)はからずも心打たれた。彼らの素朴かつ真摯な歌はシンプルな造りの曲と抜群の相性の良さを示している。お見事!
 このトラックを境に、すなわち70年代半ば以降の作品から洗練度が急に上がったような感がある。のみならずフォルクローレ一辺倒から多様なジャンルに挑むグループへとシフトした模様である。DISC1のラスト "La batea" およびDISC2のトップ "Malembe" はともに中米・カリブ海あたりのダンス音楽(後者はキューバ?)みたいだし、弦楽器と打楽器による伴奏にピアノの強打が入り乱れる "Discurso del pintor Roberto Matta"(トラック20)や "Es el colmo que no dejen entrar a la Chabela"(同25)はクラシックの現代音楽のようにも聞こえる。(私はポクロフスキー・アンサンブルによる「ロシアン・ヴォイス」というCDを持っているのだが、それに収録されているストラヴィンスキーのバレエ・カンタータ「結婚」の中間部における騒々しい雰囲気とよく似ている。)西語歌詞でなかったら間違いなく国籍不明だ。他にもポップスに分類する方が適当と思う曲がいくつかあった。ただし、出来の良さは認められても私にはそれらの評価は難しい。採点にも困る。が、とりあえず80点としておけば「過小評価」というクレームが付くとしても少数(コアな民族音楽愛好家)に限られるだろう。

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