ビオレータ・パラ(Violeta Parra)

Las Últimas Composiciones(最後の、そして永遠の作品集)
1999(オリジナルLPのリリースは1966)
ARCI Music Chile/Werner Music Chile 857380379-2(OMAGATOKI OMCX-1063)

 この歌手のことをどこで知ったのかが思い出せない。ラテン音楽のCDを集めだして間もなくのことだったから随分昔である。何かの本かウェブサイトによって興味を抱いたことだけは間違いないが、当盤の入手経路も定かではない。職場の生協でスンナリ注文→入手できたのか、それともマイナーレーベルゆえに断られたため当時利用し始めたばかりのネット通販から買ったのか?(帯には「ワーナーミュージック・チリ原盤直輸入」「輸入元:ワーナーミュージック・ジャパン」「発売:株式会社オーマガトキ」と記載されている。あーややこし。なんで輸入元と発売が別々なんだ? ワーナーが自分で売ったらええやんか。)何にしても受け取ったディスクの包装を解いて再生を始めた私は、チャランゴによる物悲しげな序奏に続けてボソボソっと歌い出された "Gracias a la vida" を耳にして心底から震撼させられた。そして「これは生きる意志を完全に放棄した人の歌ではないか」と直覚した。(後にその印象を昔関西で今は関東在住らしき元ネット知人MさんのBBSに書き込んだのであるが、あいにくログが残っていないため詳細は不明である。)既にピンと来られた方も一部おられると想像するが、その際には小林秀雄の「モオツァルト」が脳裏にあった。ここで本棚から取り出して少し引いてみる。
 著者は最初の方(第2章)で道頓堀を「犬のように」うろついていた時に突然ト短調交響曲(もちろん第40番K.550の方)の終楽章冒頭の主題が頭の中に鳴り響き、「脳味噌に手術を受けたように驚き、感動で慄へた」という例の有名なエピソードを披露した後、改段落して当時彼が大事に持っていた作曲家の未完成の肖像画(写真版)について語る。

 それは、巧みな絵ではないが、美しい女のような顔で、何か恐ろしく不幸な
 感情が現われている奇妙な絵であった。モオツァルトは、大きな眼をいっぱ
 いに見開いて、少しうつ向きになっていた。人間は、人前で、こんな顔がで
 きるものではない。彼は、画家が眼の前にいることなど、全く忘れてしまっ
 ているに違いない。二重瞼の大きな眼はなんにも見てはいない。世界はとう
 に消えている。ある巨きな悩みがあり、彼の心は、それでいっぱいになって
 いる。眼も口もなんの用もなさぬ。彼はいっさいを耳に賭けて待っている。
 耳は動物の耳のように動いているかもしれぬ。が、頭髪に隠れて見えぬ。ト
 短調シンフォニイは、ときどきこんな顔をしなければならない人物から生ま
 れたものに間違いはない、僕はそう信じた。

以下も名調子が続いているけれどもキリがないので一旦止める。ちなみに私が件の絵を実際に目にしたのは「カラー版 作曲家の生涯」(新潮文庫)シリーズの「モーツァルト」(田辺秀樹著)が最初のはずである。そこには「アマチュア画家でもあった義兄ヨーゼフ・ランゲによるモーツァルトの肖像(未完、1782年または83年)。うつむいた顔の表情にただよう暗い影は、どこからくるものだろうか。」との説明がある。有名な絵でLPやCDのジャケットにも多用されているが、私が所有しているディスクでは2006年購入のカザルス指揮による「後期六大交響曲集」(Sony)が今のところ唯一である。
 閑話休題。第7章でも再びこの絵の話が出てくる。

 深い内的なある感情が現われていて、それは、ランゲのものでもモオツァル
 トのものでもあるように見え、人間が一人で生きて死なねばならぬある定か
 ならぬ理由に触れているように見える。モデルは確かにモオツァルトに相違
 ないが、彼は実生活上強制されるあらゆる偶然な表情を放棄している。いわ
 ばこの世に生きるために必要な最小限度の表情をしている。

とにかく小林のエッセイから受けたインパクトが断片的にでも残っていたからこそ、この歌唱を聴いて反射的に「心既にこの世に非ず」といった表情のパラが目に浮かび、続いてモーツァルトの最後の肖像画を連想したという次第だ。そのぐらい印象は強烈だったのである。おそらくは曲の途中で日本語解説を開き、その最初の方で紹介されている歌手の壮絶な最期を知ったはずである。聴き終えてから「これは紛れもなく音楽による遺言だ」と改めて確信したことをよく憶えているから。(蛇足ながら本作がLPレコードとして発売された翌年=1967年の2月5日に彼女はピストル自殺を遂げた。いわば「ヌエバ・カンシオン界のヘルベルト・ケーゲル」である。)ここから再度脱線する。
 何年か前に私はこの歌を題材とした番組をNHK-BSにて(途中からではあったが)観たことがある。そこでネットで調べてみたところ、「世紀を刻んだ歌 『人生よありがとう Gracias a la vida』 〜南米 歌い継がれた命の賛歌〜」(2003年3月31日放送、同年9月と翌年5月に再放送)と判明した。進行役(語りのみならず出演)はMaría Inés Ochoa というメキシコ人で、ミュージシャンのようだったが初めて名前を聞いた。(同国の偉大な歌手で1994年に没したAmparo Ochoaの娘であると後に知ったが、その母自体の存在を知らなかったのだから話にならない。)それはともかく、件の番組ではピノチェト軍事政権に抗議するための集会で同曲を大声で歌う婦人達の映像が何度となく流れた。夫が不当に逮捕・拘留された主婦もかなりいるようだった。(以下またしても蛇足:パラが世を去った3年後の1970年11月に世界で初めて武力革命を経ずに=選挙によってアジェンデ社会主義政権がチリに誕生したのであるが、某「民主主義国家」の様々な謀略のせいで3年保たずに倒れてしまった。この辺の事情についてはガルシア=マルケス著「戒厳令下チリ潜入記 ─ ある映画監督の冒険 ─」(岩波新書) などに詳しい。また自著に「この壮大な『実験』の結果を見届けたかった」などと書いていたのは開高健だったか? ちなみに軍部によるクーデターが起こったのは73年9月11日である。さすがに「因果応報」は不謹慎だろうが・・・・ついでに書いておくと、転覆直後にサッカー場に連行され、拷問の末に虐殺された犠牲者は2〜3千人ともいわれるが、その中にヌエバ・カンシオン運動の旗手として活躍していたVictor Jaraもいた。が、私は迂闊にも「ビクトール&ビオレータのパラ兄妹 or 姉弟」としばらくの間思い込んでいたのであった。我ながら情けない。)たしかに人生讃美の詞はプロテスト・ソングとして最適だろう。だが、パラが同時に人生との決別をも包み隠すことなく表現しているから当然といえばそれまでだが、このオリジナルはあまりにも暗すぎる。ピノチェト時代には放送禁止ソングに指定されていたそうだが、それは不幸中の幸いだったかもしれない。このような諦念100%の歌唱は圧制の辛さに耐えかねていた民衆にとってトドメの一撃にもなりかねなかったはずだ。もしレコードやラジオなどを通して日常的に流れていたならば、おそらくは世をはかなんで後追い自殺に走る者が続出したことだろう。テレビ画面を眺めつつ、こんなしょーもない想像をしてしまった私であった。(実際にはメルセデス・ソーサによる1971年発表の "Homenaje a Violeta Parra" (ビオレータ・パラに捧ぐ) に収録されたカヴァーによって同曲は広く知られることになったらしい。)
 凄まじいのはこの曲だけではない。次の "El Albertío" は長調なのだが、1曲目とは別人のごとくハスキーな歌声に耳を傾けているといつしか寒気がしてくる。いったい何なんだろう、この怖さは? それまでハッキリ見えていたはずの姿が少しずつ薄れていくような感じに近いだろうか。否が応でも「墓場」とか「棺桶」といった単語を思い浮かべてしまう。そういえばR・シュトラウス「4つの最後の歌」の第2〜4曲も全てが無に帰るような長調曲だった。続く "Cantores que reflexionan" も同様。既に死期を悟った人が寂しげに微笑んでいるのをただただ眺めているかのごとく、何ともいたたまれない気分になる。
 結局こんなんばっかしなので聴く側の精神的負荷は並大抵ではない。"Gracias a la vida" 同様の解脱型によるトラック5、9、および10が何れも超弩級のインパクトだが、特に9曲目の "Volver a los 17"(邦題「17歳に戻れたら」)からは現実性皆無と知りつつも歌にその願いを込めずにはいられなかった彼女の心持ちが慮(おもんばか)られ、いつしか泣けてくる。他にもデュエットの4曲(トラック4、6、7、11)は共演者Alberto Zapicánの声が健康そのもので力強さに溢れているため、パラの力ない歌唱を聴くと余計に侘びしさが募ってくる。また思わず「こんな締め方でええのん?」と言いたくなるほど唐突に終わる曲も複数あり、気味の悪さに輪をかけている。全ての曲にコメントするべく集中して聴いていたら再起不能に追い込まれるのは火を見るよりも明らか。逃げるが勝ちだ。
 それにしても作詞作曲者自身による命名 "Las Últimas Composiciones" に込められたダブル・ミーニングを(少し変えてはいるものの)邦題に生かした人は偉いとつくづく思う。もしかして解説および歌詞対訳を担当した濱田滋郎だろうか?(彼は西語の形容詞 "último" が英語の "last" と同じく「最後の」と「最新の」という二重の意味を持つことに触れ、人々が専ら後者の意味に取ったと述べている。)何にせよこんなおとろしいアルバムに100点未満は絶対付けられない。呪い殺されてはタマラン。

Cantos de Chile(チリ民謡集)
1995(オリジナルLPは1975)
Takeoff TKF-CD-25

 日本語解説によると、このCDの原盤は1956年にパリで録音された24曲、および64年に録音されたままほとんど忘れられていた "El gavilán"(当盤のトラック23)を収録した追悼盤2枚組(1975年リリース)とのことである。ゆえに音質は年代相応である。(モノラルは当然として時に音揺れや欠落も聞かれる。"El gavilán" にしても似たり寄ったり。)これは仕方ないとして問題は音楽の質だ。
 埋もれていたチリの民謡を発掘したという意義に加え、それまで入手困難だったパラの50年代の歌唱を網羅しているという点でも当盤は貴重であるとの記述がオビおよびライナーに見られる。それはそうかもしれないが、やはり資料的価値しかないアルバムに物足りなさを憶えるのは避けられないだろう。曲名を言ってからギター弾き語りを始めるというスタイルが延々と続くため途中で飽き飽きしてしまった。長調でも私の考える「暖色系」(ト長調から変ロ長調あたり)による曲が多くを占め、加えて大らかに歌い上げるスタイルゆえ緊張感に乏しいと思われたことも一因である。あの "Las Últimas Composiciones" での身の毛もよだつような歌唱を知った後だけに無理はないという気もするけれど、私にはそこら辺(近所)にいそうなオバチャンが楽しげに歌っているとしか聞こえなかったのだ。
 そのような聴後の感想を上記Mさんの掲示板に書き込んだところ、後日「このアルバムを聴いていると幸せの真っただ中にいた頃のビオレータが目に浮かんでくる」とのレスをいただいたはずである(やはり過去ログが消えてしまっているため確認は不可能)。その方が絶対に正しい。人生を満喫していたにせよ、それに見切りを付けてしまったにせよ、レコーディング当時の歌手のありのままを音として記録しているという点では当盤もあの「遺作」も何ら変わりがない。要は私の聴き方が間違っていたということである。読者の皆さん、ごめんなさい(って吉田秀和のパクリじゃねーか。)それでも収録年が唯一異なる "El gavilán" からは例のオトロシさがビンビンに伝わってきた。既に曲調自体が何ともグロテスクであるが、3年後に自らの手で生涯にピリオドを打つことになるパラの心の闇が歌唱にそのまま反映しているという印象だ。他は長くても3分半、そして2分に満たないトラックも7つ含まれる当盤において、やはり10分を超えるこの曲はひときわ異彩を放っている。
 さすがに中身自体にケチを付けるのは祟りが怖いから、ひとまず録音の悪さを理由に1曲1点ずつ(計25点)引いておく。ただし先述の場外ホームランがあるから79点にする。

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