トリオ・ロス・パンチョス(Trio Los Panchos)

Historia de un Amor(ある恋の物語)
発売年不明
ピジョン・グループ GX422A

 長野県K市の施設でスペイン語を学んでいた時(1989年4〜7月)のこと、教室に置いてあったラジカセに音楽テープが入っており、それを私は愛聴していたのだが、うち耳にする機会の最も多かったのがこの三人組である。"Bésame mucho"、"Quizás, quizás, quizás"、Quiéreme mucho" などを聴くと当時のことが思い起こされて本当に懐かしい。
 そういう事情もあって、パラグアイから戻って間もなく中古屋で見かけた当盤を買ったはずである。ただし、上記ディスク情報からも窺えるように(JASRACのシールこそ貼られているものの)少々いかがわしい感じの品である。ブックレットはなく収録曲目を記した紙切れ1枚。(他に四つ折りの紙に歌詞が印刷されてはいたが訳はなし。しかも字は非常に小さく擦れていたためろくに読めなかった。) "Latin Music Series" とか "Big Artist Selection" などの文字列がその紙やディスクのレーベル面に並んでいるが要は「駅売りCD」の一種で、その店でも二束三文コーナーに置かれていたに違いない。(店名と価格は全く思い出せない。)
 14曲収録でトータルタイム約41分半というのは膨大な録音を残したこの音楽集団のベスト盤としてはいかにも少ない。それで安価な輸入盤の2枚組でも売ってないかと通販サイトで捜してみたのだが、十指にも余るほどのベスト盤が出てきたものの「当盤収録曲+α」というディスク、すなわち私の求めていたものは見つからなかった。要は思い入れのある曲が分散してしまっていたという訳だ。考えるに、日本で彼らの代表曲として位置づけられているナンバーにしても世界的には必ずしもそうではないのかもしれない。逆に言えば、日本人の多くはパンチョスのごく限られた曲しか知らない(あるいは興味がない)ということになるのだろうか? それはともかく、私はそんなに多くのCDを持っていたいと思うほどこの団体に入れ上げていた訳ではないためキッパリと諦めた。また、解説や歌詞&対訳などがしっかりした国内正規盤への買い換えを検討したこともあるが、後にネット検索を利用して歌詞カードを作っていたし、現役盤の「ベスト・ヒット全曲集」(Epic Sony、ESCA-5064、全20曲)は安くないし、当盤と完全に重複(新たに加わるのは6曲のみ)しているので見送った。とはいえ、私の耳に馴染んだ曲で当盤に欠けているものといえば "La cucaracha" ぐらいなので特に大きな不満はないのだが・・・・
 さて、当盤のトラック1は "La bamba"、おそらく日本では "Bésame mucho" と並び、いや、もしかしたら知名度ではそれをも上回るラテンのスタンダードかもしれない。米合衆国でのヒット(Billboard1位獲得)を契機に日本でも流行したのは80年代中頃だっただろうか? テレビ番組「オレたちひょうきん族」でお笑い芸人達が歌って&踊っているのを何度か観た。そういうので同曲を知った人が初めてパンチョスのを聴いたとしたら「えらいノンビリしとるなあ」「かったるいなあ」と感じるに違いない。ゆったりしたテンポによるイントロだけで曲名を当てられないのはもちろん、朗々と歌い上げられる "Para bailar la bamba...." を聴いても、そうと知らされなければ判らないかもしれない。それどころか、歌詞に注意を払っていなければ全くの別曲と錯覚したままに終わってしまう可能性すらあるように思う。けれども私はこれを例の部屋で飽きるほど聴いたから、いつしか基本テンポとして身に染みついてしまった。なのでチャカチャカ系演奏の方に却って違和感を覚えてしまう。喩えてみれば、最初に聴いたブルックナーの交響曲第8番がチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの「リスボン・ライヴ」だったようなものか。何にしてもこれは騒ぐための音楽では断じてない。あくまで彼らの上品な歌唱を堪能すべきである。
 ということで歌われている中身なのだが、これがちょっと厄介なのである。というのも、この曲の歌詞にはどうやら膨大なヴァリエーションが存在するらしいと知ったからである。1番はとりあえず問題ない。「『ラ・バンバ』を踊るために必要なのはちょっとの感謝と別のちっちゃなもの (中略) 僕は水夫じゃない、船長だ」という意味の詞はどうやら全てのヴァージョンに共通しているようだ。混乱が生じているのはその先である。フリオ・イグレシアスが "Raíces" のトラック3 "México"(メキシコ・メドレー)の同曲2巡目に採用したのは "Para subir al cielo ...." 以下で、これはネット検索でも相当数が出てくる。「天に登るために必要なのは大っきなハシゴともう1つ小っこいの」という少々お茶目な歌詞ゆえ私は結構好きである。一方、パンチョスが当盤の3番で歌っている "Ay, te pido, te pido...." という詞も多少の違いこそあれ使用頻度は結構多いようだ。ちなみに「ああ、お願いだ。『ラ・バンバ』はもういいからソンなど違うヤツ(種類の異なる音楽)にしてくれよ」といった意味である。何れにしても "Ay, arriba, y arriba, y arriba iré"(もっと上、もっともっと上行くよ)というフレーズは例外なく挿入されている。ところで、私が西語のトレーニングを受け始めた頃にもらった歌の本にも詞が3番まで掲載されていた。1番は正調歌詞、3番は先述の梯子ネタ、そして2番が傑作だった。冒頭から「みんな我が家のことをバカ呼ばわりしている。ガキんちょが15〜20人もいるからって。」その直後に "Ay, arriba, y arriba, y arriba, iré" が来るのだからこれは抱腹絶倒ものである。ただし、実際にそれを歌っているのは未だ聴いたことがないが・・・・ちなみに、先述のUSAでヒットしたLos Lobosによるカヴァーを私は遅ればせながら数年前にラテンのコンピレーションCDで初めて聴いたが、あまりの芸の無さ(ひたすら1番の歌詞を繰り返すだけ)に呆れてしまった。こんな一本調子の音楽をありがたがるのはよっぽど単細胞の連中だけだとつくづく思った。
 などと冒頭収録曲にこんなに字数を費やしてしまったが、実のところ私はこの超実力派団体の残した超有名曲集に対して今更あーだこーだ言うのは野暮でおこがましいと思えてならないのである。なので誠に勝手ながら以降のトラックについてのコメントは割愛し、ここで終わりとしたい。採点も辞退させていただく。

おまけ
 上の "quince a veinte" で思い出したこと。開発途上地域ではどこもそうなのかもしれないが、女性の初婚年齢が早いこともあってサッカーやラグビーのチームが結成できるだけの子供のいる家も決して稀ではない珍しくないだろうと想像する。私がかつて住んでた村でもそうだった。あるオバハンは既に40歳を迎える前にお祖母ちゃんになっていたのだが、長女が出産を開始した以降も打ち止めにするつもりは更々なかったようで、孫よりも年下の娘/息子が続々と誕生していた。これでは磯野家(サザエさん)どころの混乱では済まないだろうし落語のネタとしても使えそうだが、これから生まれてくる赤ん坊が自分の叔父あるいは叔母になると知っていた子供は一体どんな気持ちだったのだろうか?

追記
 本文に記した「ベスト・ヒット全曲集」を本ページ執筆直後にネットオークションで発見。例によってちょっかいを出し(高値更新し)落札してしまった。さほど高くなかったし、新規入手の6曲にもそれなりに満足できたけれど特に付け加えることはない。それよりも原詞のみ掲載され対訳が欠如しているブックレットに失望した。そのCDを「ラテン音楽パラダイス」中で紹介していた竹村淳が(「・・・・演唱はメキシカン・ラテンの一つの極致だ」と絶賛する一方で)この点について「不親切の極み」と苦言を呈していたのを失念していたのであった。(ところで彼が好んで使う「演唱」であるが、ATOKでは変換されないし、「炎症」「延焼」などを思い浮かべてしまうので正直いかがなものかと思う。)それを憶えていれば入札しなかったのに(残念無念)!

スペイン語圏の音楽のページに戻る