レーナ(Lena)

LENA
2005
Warner Music Latina 62296-2

 昨年(2006年)春から私は毎週土曜夜にある場所に足を運ぶようになっている。気に入っているラテン音楽のCDを持参しラジカセで流すことも時々あるのだが、ある日ペルー人の子供から「お祖父ちゃん/お祖母ちゃん(abuelos)が聴いていたような古い音楽でなくて、もっと新しいのはないの?」と言われた。確かに私が所有しているディスクは80〜90年代が大部分(70年代も少々)で少々時代がかっているのは事実だが、「いくら何でもジッちゃんバっちゃん呼ばわりはないだろう」とその時はムッとした。が、昔の曲ばかり聴いていたら頭が硬くなってしまうかもしれないと後で思った。それからは比較的新しいミュージシャンにもボチボチ手を出すようになっている。当盤もそのような経緯で買うことになった1枚である。
 切っ掛けはNHKラジオスペイン語講座テキストに連載されていた "SABOR LATINO" という音楽のコラムである。その2月号「世界へ羽ばたく! キューバの音楽一家3代目」で採り上げられていたのがLenaだった。執筆者の岡本郁生によると、ハバナ生まれながら90年代前半に米合衆国へと亡命、現在はマイアミを拠点に活躍し、ラテン・グラミーの新人賞にもノミネート(受賞は逃す)された実力者らしい。(ラテン・グラミーといえば、何年か前にNHK-BSで観た表彰式での故Celia Cruzの勇姿が忘れられない。名を呼ばれて演壇に上がった彼女は最初こそ家畜語でたどたどしく受賞スピーチを始めたが、「私は英語が全然得意じゃないから」と言って、以後は猛スピードの西語でまくし立てたので私は思わず快哉を上げた。本当に最後の最後まで元気いっぱい&素敵な婆さんだった。)それで興味を抱き、ネット通販を捜してみたらamazon.comで中古が6USD弱で売っていたので即買い。期待を持って試聴に臨んだ。
 ところがトラック1 "Arrepentido" のイントロに閉口してしまった。歌手が意味もなく喚き散らしている。バックの音楽も喧しいだけで特にシンバルのリズムは苦痛だ。媚びを売るかのような出だしの歌唱には思わず耳を塞ぎたくなった。続く "Tu corazón" の冒頭も同様に合成音声が煩わしい。この時点で「大スカを引いてしまったか!」と天を仰いだ。なお先のコラムによると、この曲はレーナのデビュー・シングル曲で、Alejandro Sanzとの共演が話題を呼んだらしい。サンスといえばかつてのネット知人Nさんのサイトでも紹介されている通り、スペインでは「押しも押されぬ大人気」(註:原文ママ、もちろん正しくは「押しも押されもせぬ」)を誇っているようだが、私は初めて聴いた。そして「変なガラガラ声のオッサンが歌っとるなぁ」と思っただけだった。まるで魅力を感じない。(どこかで書くことになるだろうが、私の男性ポピュラー歌手に対する評価は女性へのそれとは比較にならぬほど厳しい。)それゆえ、彼がレーナを大絶賛していたというエピソードを岡本がいくら並べ立てていたところで「所詮は眉唾だろう」と考えるより他はなかった。(サンスが歯の浮くようなお世辞を並べているだけのようにも読める。)中にこんな記述がある。

 サンスを唸らせたというレーナの声は、少しハスキーで、
 艶やかさがあり、ときに切なく哀愁たっぷり。
 さりげなく、心の中にスッと入り込んでくる力強さがあります。

同意できるのは「ハスキー」と「ときに切なく」だけ。ただし前者の「少し」は大いに疑問だし、後者も明らかに過剰である。「さりげなく」は断固却下。とにかく歌い方がわざとらしい。最初に通しで聴き終えた時には落胆と後悔しか残らなかった。この時点で採点すれば30点が関の山だったであろう。
 しかしながら何度目か(3度目だったか?)には結構聴けるようになった。要は慣れである。車の中で流していたら途中から気分が乗ってきた。少なくとも元気が出る音楽であることは確かなようだ。また歌い方は気に食わないものの決して下手ではない。つまり、某国のアイドル連中のように歌唱力不足を覆い隠そうとして表現過多に走っているのではないこともよく判った。ちなみに全12トラックの作詞・作曲を歌手自身が手がけているが、音楽の質自体は必ずしも悪くないから相当な才能の持ち主であるのも間違いない。(となると悪いのはアレンジャーだろうか?)亡命直後はコンサート・ピアニストとして活動し、数々の賞を受けたそうである。その腕前はラスト(トラック12)に置かれた "Eterna pasajera" の弾き語りで聴ける。私はこれが最も気に入った。大袈裟な節回しに辟易させられるという点では五十歩百歩だけれども。
 ということで、アルバムの完成度や歌手の実力は認められなくもないが、騒々しい伴奏と不自然な歌唱が全てを台無しにしている。あまりにもMottainai!(←Wangari Maathai、あるいは我らが嘉田由紀子の口調で)それでも大盤振る舞い(惨憺たる最初の評価から倍増)して60点をくれてやろう。
 そういえばJポップの女性シンガーの歌い方と似ているような気もする。(いくら私が無関心だとはいっても、チャンネル巡りをしていれば勝手に目&耳に入ってくることはあるから、たぶん浜崎とか倖田ぐらいなら見分けが付くし、宇多田ヒカルとだいたひかるも区別できる・・・・はず。)ああいう不自然極まる歌唱が平気な人にとっては難なく受け入れられるのかもしれない。というより、これは明らかに演出過剰気味の米合衆国スタイルに毒されてしまった結果であろう。何にしても、件のコラムの最終文にあったように「私が音楽を選んだんじゃない・・・音楽が私を選んだのよ」などと豪語できるほどの器とは絶対に思えない。「そんな大口を叩くのは(当サイトで後日採り上げる予定の)ロリーナ・マッケニット級の歌手と認められてからにしてくれ」と言ってやりたい気分だ。したがって現時点では勝手ながら「ラテン音楽界のアーノンクール」と命名させてもらう。あの「ハッタリ野郎」とは表現のあざとさでもいい勝負だから。

おまけ
 岡本は自身のブログ「エル・カミナンテ岡本郁生のラテン横丁」でもレーナについて書いている。(ラテン・グラミーの発表前の2006年10月23日付で、それを膨らませて先の連載コラムを仕上げたと思われる。)その中身には触れないが、文章の後に置かれた2枚の画像、すなわち当盤の米合衆国盤(WEAインターナショナル)と欧州盤(ワーナー・スペイン)のジャケットに関するコメントに対しては私も言いたいことがある。NHKのテキストに載っていたのは後者。長髪をなびかせている歌手は引き締まった表情を湛えており清楚な印象を受ける。それに少し惹かれたこともディスク購入の動機となった。ところが受け取った品を見て私は愕然とした。それが米合衆国盤のジャケットである。あの頬杖をついて不貞腐れたような顔に嫌悪を催さずに済ますのは難しいだろう。(ついでながらブックレット内の写真も厚化粧や過剰な装飾品が目に付いて仕方がない。さらに裏表紙には不潔感すら漂っており「悪趣味ここに極まれり」と言いたくなる。中身の下品な音楽と歩調を合わせたのかもしれないが。)
 しかし、しかしである。何たることか。岡本は「少し違っている」「これ、微妙にアメリカとヨーロッパの違いが出ていて、面白いですね」と述べるに留まらず(これを些細なこととして片付けられる感覚からして信じられないが)、「個人的にはなんつったって、↓こっちです!」として矢印の先にUSA盤の画像を置いているのだ! これを以て彼のセンスが悪いと断ずるつもりなど毛頭ないが、私の嗜好とほぼ180度違うことは嫌というほど解った。よって今後岡本が薦めるものには絶対手を出すまいと堅く心に決めた次第である。(というより件の連載は3月号でめでたく終了となったから、もはや彼の推薦文を目にする機会もないだろう。)

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