国際的音楽窃盗団「顔魔」
 私がパラグアイ西部地域に棲み着いて1年もしない頃(おそらく1990年)だったと思うが、ニ短調による「ミーレドシラ・・・・」というメロディに乗せて歌われるポルトガル語曲がラジオから毎日のように聞こえてくるようになった。村には電気は来ていなかったけれど、9Vの自動車用バッテリでアンプを駆動し大音量で流している家もあった。特にアコーディオンの奏でるイントロ部分が印象的だった。そんなある日、村人の娘の15歳(現地では成人に相当)の誕生会に招かれた際にもその音楽が流れた。そこで「これは何という曲か?」と尋ねたところ、「ランバーダ」だと教えてくれた。ダンス用音楽のようで、男女がペアになって激しい踊りを繰り広げていた。地元の中波局のみならず海外短波放送でもしょっちゅう聞かされた。どうやら世界的にヒットしているらしい。例えばBBC英語放送のチャート紹介番組(毎週月曜)ではシングル部門のトップ10に食い込んでいたし、さらにドイチェ・ヴェレ日本語放送の音楽番組(月1)によると彼の国では数ヶ月にわたって1位に就いていたのではなかったか? ただしグループ名についてはハッキリしなかった。英語では「ケイオーマ」と聞こえたが、関東の私鉄沿線に出没する痴漢の常習犯「京王魔」をイメージしてしまいそうな名前だし、岸浩一アナウンサーの紹介もよく聴き取れなかった。
 さて、後に首都アスンシオンに行った時のこと、自動車整備の技術指導のために来ていた同僚(現在隣県に在住)が宿舎にてビデオを再生していた。日本で待つ恋人に送るビデオレターを編集しているらしい。映像は車内から撮影したと思しきパラグアイ東部の田舎の風景だったが、そのバックグラウンドとして流れていたのが例の音楽だった。ただし曲調は全然違っていた。アンデスの民族音楽調だったのである。彼のナレーションが入った。「いま日本でも流行っている『ランバーダ』のオリジナルがこれです。ボリビアのグループが歌っています。」細部は違っているだろうが、確かこんな内容だった。それを聴いた私は「ブラジル人がボリビアのフォルクローレをカヴァーしたのか」と早合点した。大間違いだった。それを思い知らされたのは何年か経ってからのことである。以下、込み上げてくる憤懣を抑えつつ冷静に述べたい。(←たぶんムリ)
 帰国後しばらく経ってからのことである。ある日名古屋市内の中古屋に立ち寄ったところ、一角に特価品コーナー(要は「100円均一」の紙を貼った段ボール)が設けられていたので物色していたら、ふと「ランバダ」という文字列が目に入った。一過性ブームが終わった商品の悲しき宿命である。値段が値段だからスカでも構わないと思い、「ワールド・ビート 〜ランバダ〜」と題する10曲入りアルバムを買って帰った。(この日ようやくにして歌い手が "KAOMA" であると判明した訳である。)「ミュージック・コラムニスト」なる職名の伊藤史朗なる人物が執筆したライナーにも英国および欧州大陸、さらに米合衆国や日本でのヒットについて言及されていたが、最初に火が付いたのはフランスだったらしい。またグループ自体も同国人が様々な国(仏、アフリカ、ブラジル)のミュージシャンを集めて作ったという記述があった。この曲のヒットが嬉しくてたまらないという執筆者の表情が目に浮かんでくるような文章が延々と続けられていたが、その中で以下の一節が目に留まった。

 ボリビアからブラジルはバイーアの港町ポルト・セグーロへ、
 そしてParisへ。そこParisで、モダーンに変身した「ランバダ」
 をはじめ。全10曲まさにワールド・ビートな鼓動がハッキリ、
 クッキリ聴こえる。

これを読んだ私は伝統音楽をダンス風にアレンジしたんだなと改めて独り合点した。(この時点でも未だ勘違いには気付いていない。なお伊藤に対してはあまりの無節操さに文句を言いたいことが山ほどある。覚悟しとけ。)他の9曲も耳当たりの良いものを揃えているから売れたのもまあ理解できる。(先のライナーの執筆時点で「ランバダ」だけで400万枚以上売り上げていたらしい。)かくいう私もBGMとして時々通しで再生していたのであった。
 そのさらに後のことである。H氏から借りたCondorkanki(コンドルカンキ)の「アンデスの勇者たち」がすこぶる良かったため、直後にViviana & Condorkanki(名義変更されたが実質的には同じ音楽集団)による「アンデスの彗星」を買った。問題はその4曲目である。サンポーニャによる「ミーレドシラ」が聞こえてきた。「おっ、『ランバダ』の元歌じゃないか」と思ってブックレット(全てを高場将美が担当)を開いた。その「ジョランド・セ・フエ(泣きながら)」の項を見て私はひっくり返った。

  フランスで大ヒットの「ランバーダ」として紹介された時は、フォルク
 ローレのファンはびっくりして、あいた口がふさがらなかった。ボリビア
 の人気グループ≪カルカス≫の超有名曲で、ずっと前から南アメリカ全体
 で絶大な人気があった歌だ。こんなにあからさまな盗作は珍しい。

知らなかった! まさに茫然自失である。あの偉大なロス・カルカス(Los Kjarkas)をパクっていたとは! 上の続きとして高場は括弧内に「もう著作権問題は解決したが」との注釈を入れていた。つまり、それまでは無断借用していたということである。実にケシカラン話ではないか! この事件はja.wikipedia.orgのカルカスの項でもしっかり取り上げられている。

 1980年代末には、初期のヒット曲 "Llorando se fue" (泣きながら) がフラン
 スのグループ「カオマ」に盗作され「ランバダ」の名で世界的に大ヒットす
 る事件が起こった。当初、作曲者名は偽られ、著作権料もまったく支払われ
 なかったが、後にカルカス側が裁判に勝ったことで著作権料が支払われるよ
 うになった。

全く非道い。「バレなきゃ何でもアリ」という志の低さには呆れてしまう。私は当初こんな盗人どもを相手にする気など全くなかったのだが、カルカスやコンドルカンキのディスク評を書く際には "Llorando se fue" に触れない訳にはいけない。とはいえ、彼らのページを汚すのは嫌だったので、別に新たな場所を設けてネチネチ攻撃を繰り広げることにしたという次第だ。軽薄なる文章を数え切れぬほど並べていた伊藤も同罪だから一緒に訴状、いや俎上に載ってもらうことにしよう。
 さて、1989年からしばらくの間、あの下品極まりないダンスと共に世界的に流行した「ランバダ (Lambada) 」であるが、そもそもボリビアには同様の舞踊音楽はないらしい。その辺りについてはja.wikipedia.orgの「ランバダ」の項に詳しいので、再度引かせてもらう。

  原曲は愛する人との悲しみの分かれを歌った、哀愁のあるしっとりとし
 たものであったのに対し、カオマは曲調をアップテンポにしてエロチック
 なダンスをつけた。(中略)原曲を知る人たちの中には、カオマの行為に
 憤りを感じ、全く異なるイメージの曲として全世界に広まってしまったこ
 とを悲しむ者も少なくなかった。

そりゃそうだろう。原曲のリズムはボリビアの伝統音楽の1種サヤ (saya) であるが、それとは全く相容れないようなブラジル風の舞踊音楽に改竄してしまうというセンスからして既に無神経&無節操だと言わざるを得ない。ところが伊藤の見解はこうだったのだ!

  また、Parisでボクは、心からワールド・ミュージックを愛する何人かの
 人達が、カオマの「ランバダ」について首を傾げる様を目にした。その時
 ─ イイじゃないの、こういうカタチのもあって ─ とも思った。

全くもってアホである。必要もないのにカタカナやアルファベット表記を軽々しく使うような人間だからこそ、原曲の価値を著しく貶めるような改竄にも無感覚だったということだろう。そういえば各曲のコメントも伊藤は手がけており、そこではオリジナル "Llorando se fue" にもちゃんと触れているではないか。執筆時点では許可を得てのカヴァーと思っていたのかもしれないが、盗用が判明した時点で商品回収に奔走するか、少なくとも文面の大幅差し替え(もちろん抗議声明を入れて)ぐらい要求すべきではなかったか。
 なお上で引いた「当初、作曲者名は偽られ」であるが、ブックレットには確かに "LYRICS AND MUSIC(作詞作曲)CHICO DE OLIVEIRA" というクレジットがある。実際にはメロディのみならず詞の大部分をも "Llorando se fue" に依存しているのだから、「オリジナリティ皆無」という烙印を押しても罰は当たるまい。奴の素性については伊藤のライナーに「(多分)カメルーン出身」と記載されている。さすがは汚職ランキングでパラグアイとトップを争ったことのある国から来た人間といえよう(八つ当たり的暴言)。ついでに窃盗団のメンバー構成について詳しく記しておくと、フランス雄2、アフリカ3(カメルーン雄、コートジボワール雄、セネガル雌)、ブラジル雌2らしく、まさに「多国籍犯罪集団」の名に相応しい。ちなみに先の引用箇所で省いた部分は「当時ボリビアは著作権保護の法整備が進んでいなかった事もあり、カオマが法的に裁かれることはなかったが、」であるが、これも腹立たしい。本来なら連中は臭い飯をしばらくの間食って然るべきだったのに(残念無念)。
 いや、本当に非難されるべきは彼らを悪の道に引っ張り込んだ人間ではないか。その「総元締め」こそが「ジャン・カラスコ」なる仏蘭西人である。伊藤は「このオッサン、タダ者ではない」と評しているが全く同感だ。ここまで卑劣な行為に平気で手を染めることができる人物の面の皮がどれほど厚いのか、この手で確かめてみなくては気が済まない。(ちなみに「厚顔無恥」という四字熟語からページトップの当て字が反射的に浮かんだ。)もちろん「なかなかどうしてガッツある人物だ」は却下。泥棒にガッツなどない方がいいに決まっているから。そういえば、かつての日本のようにフランスには南米のフォルクローレの愛好家が多く、彼の国レーベル制作によるCDも結構出ているようだ。そういう下地があったからこそ、悪の親玉が金になりそうな曲として "Llorando se fue" に目を付けたに違いない。
 こんな恥知らずの連中によるディスクなんぞ当然ながら評価には値しないが、敢えて採点するなら0点より上はあり得ない。それを不満に思う読者には次のアメリカンジョーク(大学での会話)をプレゼントしよう。

 学生:先生、どうして僕の成績が0点なんですか? 納得できません。
 教授:私も同感だよ。だが残念ながら私にはそれ以下の点数を付ける
    権限が与えられてはおらんからね。

わたしゃ本音ではマイナス1万点ぐらいで丁度良いと思っているんだよ(怒の十乗)。

地獄に堕ちろ











































あぼーん