「ブルックナー指揮者」という言葉もネット掲示板では論争の種になる。「カラヤンが『ブルックナー指揮者』だって(藁)」のような煽りはしばしば目にする。「真のブルックナーファン」と同じく正解は出せっこないので、とりあえず私の考える3つの条件を以下に挙げる。

1.少なくとも3番以降には好き嫌いがないこと
 敢えて「3番以降」と断り書きを入れた。優れた演奏を残していても、初期交響曲(00、0、1、2番)を最初からレパートリーに入れなかった指揮者、あるいは全集を完成させたが初期はシンドイと言って晩年には演奏を避けた指揮者を「ブルックナー指揮者」から除外するのは忍びないと思ったからである。けれども3番以降で特定の曲しか振らなかった指揮者は「ブルックナー指揮者」ではなく「ブルの○番(と○番と・・・・)のスペシャリスト」と呼ぶべきだと私は考えている。
 7曲をグループ化するならば「47系」と「58系」でまとめられると私は以前から思っている。前者には「ソフト(軟)」、後者には「ハード(硬)」というイメージを持つ。3番は前者に、6番はやや後者に近い。一直線に並べるとこうである。




ソフト  4───7───3───┼───6───8───5  ハード


9番を真ん中に置いたのは便宜上である。あくまで独自の地位を保つべきであるとして直線上には置かなかった。(二次元平面ではじめて場所を得られる曲だと思う。)縦線は他の作曲家との繋がりを示していると考えていただきたい。マーラーの9番あたりと連結しているような気がする。(この点に関しては他所で、たぶんバーンスタインのページで詳しく述べることになろう。)
 このように並べてみると、何となくであるがソフトな「47(3)系」に親和性のある指揮者は「自然体」を持ち味としており、対極に位置する「58系」は苦手と感じていたのではないかと考えた。そうするとザンデルリンクはまさにピッタリだし、シュミット=イッセルシュテットも見事に当てはまる。もちろん、こんな単純な図式では無理が出てくることは承知している。ベーム、クーベリック、ワルター、アーノンクールは8番(その他)も録音している。まあ、一応最高傑作とされている8番を避けるのは相当のこだわり(食わず嫌い?)がある指揮者に限られるだろうが・・・・一方、「58系」のみをレパートリーにした指揮者というのは思い付かないけれども、フルヴェンやコンヴィチュニー、ホーレンシュタインといった豪腕型(あるいは浅岡弘和が使った「自力型」でもいいが)の指揮者は、どちらかといえばこちらの方に適性を示したように思えなくもない。彼らの時に荒れ狂うような激しい演奏でも何とかなってしまうからである。しかし「47系」は崩壊してしまう。
 ということで、演奏(録音)機会の少ない6番は別として、3番以降で避けていた曲がある指揮者は「ブルックナー指揮者」からは外したい。上で挙げたザンデルリンクその他何人か(アーノンクールはそのうち全曲入れるかもしれない)の「自然体」系指揮者がそうだし、Kさんによると「特定の曲(おそらく4と6)を好まなかった」というマゼールも除かれる。一応録音はしたが、「47(3)系」を激しくやりすぎて不自然になってしまった指揮者も、本心では「ブルックナー指揮者」から外したいと思っている。これに対して、どちらの系列でも名演を残したヴァントやチェリビダッケは文句なしに合格だし、クナも使用版の酷さのため演奏自体を評価できない9番を除いて万遍なく名演を残しているため該当する。また、カラヤンやハイティンク、そして(9番はイマイチだが)朝比奈もどちらかが極端に悪いということはないためOKである。ヨッフムやマタチッチは豪快なイメージが強いけれども、7番でも意外とソフトなスタイルで成功を収めている。要はこういう使い分けのできる指揮者を私は「ブルックナー指揮者」と呼びたいのである。現時点では未整理なので、この項についてはひとまずここで措く。

2.三大Bを得意にしていること
 そうなるとベト全集を入れていないジュリーニはヤバい。もっとも彼はブル自体が2789番だけなので既に前項でハネられているのであるが。(ただし7番より8番の方が上出来だから無理矢理押し込むとすれば「豪腕系」だろう。なので5番も聴きたかった。)まあ、ドイツ人作曲家による造りのゴツい交響曲という特徴は共通しているから、ブルックナーで名演を残しながらベートーヴェンやブラームスになると全くダメという指揮者は(一部評論家が特にベートーヴェン演奏を酷評することはあるとしても)そんなにいないだろう。(逆はあり得るかもしれないが、もちろん本稿の対象ではない。)なので、サッサと次に移る。

3.マーラーを得意にしていないこと
 ブルックナー総合サイトには「落書き帳/投稿編」というページがあり、なかなかに興味深い意見や情報が多数掲載されている。2000年11月には「ブルックナーとマーラー」と題する投稿があった。無断での大幅転載は避けたいので一部だけにする

 ブルックナーもマーラーも器用に振り分ける指揮者がいる。
 私は彼らが信用できない。
 ブルックナーにもマーラーにも共感できるところがウソっぽいのだ。
 (以下両者の違いについて力説している。名文である。)
 豊かな才能をもった指揮者なら、こういう相反するキャラクターの作品を
 器用に料理するのだろうが、そういう指揮者を敢えて好まない。

 これに対してあのM氏が例によって抱腹絶倒もののレスを付けた。彼は「器用に振り分ける」の意味をまるで理解しないままに「反例」を並べ立て、「信用できない」「敢えて好まない」を勝手に「ブルックナーを指揮する者がマーラーを指揮してはおかしい」に読み替えるというサーカス級の離れ業までやってのける。最後の「ならばベートーベンもヴェルディも指揮するのはおかしいということになる」は体操選手も顔負けのウルトラDである。が、本題からは外れるのでこれ以上は言及しない。(ちなみに彼の最高傑作は「ブルックナーはニ流の作曲家」であろう。オペラを書いていない作曲家を二流と断定するまでのストーリーは非常に独創的で、誰にも真似ができない。敢えて「ニ流」としたのも彼一流のジョークか何かであろうが、私には高尚すぎて理解できなかった。ところで、M理論を使って良いなら「歌劇を指揮しなかった」という理由で朝比奈やシューリヒトもヴァントやチェリビダッケと同じ「ニ流の指揮者」として一括りにしても構わないという気もするのだが、きっと彼の頭の中ではちゃんと筋の通る理屈があるのだろう。それにしても「ニ流」とか「小者」みたいな格付けがよっぽど好きなんだね、この人。そういえば「ニ」は音名では「D」だから、もしかしたらアルファベットによるランク付けでは「D級作曲家」に相当すると暗に示していたのだろうか?)
 また、M氏がトラブルを起こしたクラシック専門掲示板にも2005年1月下旬に「ブルックナー指揮者、マーラー指揮者」というスレッドが立てられ、とても興味深い&レベルの高い議論が繰り広げられていたが、やはり「ブルックナー指揮者」と「マーラー指揮者」は基本的に両立しないという意見が大勢であった。
 さて、何を隠そう実は私もこんなことを書いてるんだよね(Kさんへのメール、2000/03/13)。

 >  ところで、マーラーとブルックナーへの共感度には総和一定の法則がある
 > のでしょうか?前者の理解者としてはバーンスタインを筆頭にマゼール、ベ
 > ルティーニ、インバル、シノーポリなど。後者はカラヤン、チェリビダッケ、
 > ヴァント、ベーム、ヨッフムなど。このうち、もう片方も振る人にしても特
 > 定の曲だけ。インバルはブルックナーでは初稿という変化球で勝負していま
 > す。やはり一方にのめり込むだけ、もう一方からは縁遠くなる傾向があるよ
 > うな気がします。むしろ両方を同程度振ると、結局どちらも中途半端な演奏
 > になってしまうのでしょうか?(アバド、朝比奈などはどうなんだろう?)

 この後、「両方の全集を完成させている指揮者として唯一思い出したのがハイティンク」などと続けているが、インバルとショルティを忘れているのは単にうっかり八兵衛だったからである。(シャイーも加わりそうだ。)なお、件の投稿コーナーでもハイティンクを例外とする意見が後日掲載され、私もその意を強くした。ただし、彼のマーラーは全曲を聴いていないが、ブルックナーに肩を並べるほど完成度が高いとは思えなかった。(5番のアダージェットなど、いくら何でもノロすぎ。)また、上述したようにインバルは変化球を投げているし、マーラーでは比較的正攻法(直球勝負)のショルティもブルックナーでは曲球で勝負しているように思う。そういえば、鈴木淳史も「クラシックCD名盤バトル」のブル5の項にて「そもそも、マーラー指揮者と呼ばれる人たちがブルックナーを振ること自体、ブルックナー信徒にとっては冒涜そのものと言われるみたいで、そうでなくとも、世間的な評価はあまり高くないように思える」と書いていた。ちなみに鈴木はあそこでシノーポリ盤を推していた。既にアップしたディスク評にも記したが、私も彼のブルックナーは結構高く評価している。アレさえなければ全集を完成させていたであろう。とはいえ、私にとってマーラーを振った時のシノーポリは「ダメ指揮者」に過ぎないから、やっぱり「両方を得意とする」には該当しないように思う。マーラーでは重要曲であるはずの5番を「冗長」と断ずるなどクレは一部の曲をレパートリーから外していたから、4番以降を全て録音したブルックナー指揮者に含めるべきなんだろうな。
 ということで、両作曲家に同じだけ共感し、エネルギーを注げるという指揮者は結局いないという結論に達した。(そうしないと贔屓のハイティンクが外れてしまうから私にとっては困るのだ。)

戻る